第五話 投影 7



 ククルは、周りに真っ青な海が広がっていることに気付いた。


「あれ?」


 ここは、どこだろう。海だけど、海に入った記憶がない。


 ふと気配に気付いて、振り返る。すると、後ろにティンが立っていた。茶色い髪と、昔ながらの琉装が風になびいている。


「兄様!」


 引き返そうとしたが、ティンはゆっくりと首を振る。


『ここに来てはいけないよ』と、口の形だけで伝えてくれる。


「え……?」


 また声には出さずに『ほら、ユルが呼んでいる』と伝えて、ティンは背を向けて行ってしまった。


 追いたいけれど、そうもいかず。ククルは首を元に戻して、前を見据えた。


「ユル、呼んでるかな?」


 声は聞こえないのに。


(あれ、でも)


 手が、温かい。まるで誰かが、握ってくれているようだ。


 ククルは得心して、目を閉じた。




 目を開くと、白い天井が見えた。


 自室ではない。それに、この空気は……薬臭い。


 身を起こし、きょろきょろする。隣のベッドでは、小学生ぐらいの女の子が退屈そうに本を読んでいた。その向こうのベッドは空いている。


「……」


 ふと、首に手を当てる。ごわごわとした感触。首に包帯が巻かれているようだ。痛みが走った。


 すっ、と病室の戸が開いて、ユルが入って来た。起きたククルを見て、目を丸くしている。


「目が覚めたか」


 ホッとしたように、ユルは笑う。久しぶりに見る、ユルの優しい笑顔に嬉しくなる。たまに、こんな顔をしてくれるのだ。滅多に見られないのが難点だが。


 ユルはククルのベッドに歩み寄って、顔を近付けて来た。


「気分はどうだ?」


「うーん……首痛いけど。私、どうなったの?」


 はあ、とため息をついてユルは傍らにあった小さな椅子に座った。


魔物マジムンが、お前の首を掠めて血が出たんだ」


「うえ」


「お前なあ、オレを庇ってんじゃねえよ。オレなら、怪我してもお前の命薬ヌチグスイで治せるだろ。お前が怪我したら、どうにもならないんだから」


「……と、咄嗟に体が動いてて」


 ククルはもじもじと、頬をかいた。


「私、死にかけてた?」


「そこまでじゃねえよ。最初出血が多かったから、貧血起こして気絶したんだろ」


「ふーん、そうなんだ」


 なら、あそこはニライカナイではなかったのか。てっきり、死にかけたせいでニライカナイに行ったのかと思ったら。


「でも、めちゃくちゃ焦ったぞ……。頼むから、ああいうのはやめろよ。もっと深い傷だったら、死んでたかもしれない」


「気を付ける……。魔物は、どうなったの?」


「お前の止血で、魔物退治どころじゃなかった」


 あれ、とククルは苦笑した。


 でも、あれはたしかにあの鳥のような魔物だった。


「松田さんに憑いてたんだね……」


 舞台袖に置いた後、彼女の元に戻ったのだろう。そういえば、松田は小道具係で、本番は特にすることがないので客席にいたはずだ。


「松田さんって、どうしてユルを恨んでたの? ……あっ! そうだ、修学旅行で告白したけどユルに断られたからか!」


「……お前、どこでそれを知ったんだよ」


 ユルは不審そうに眉をひそめた。


「うっ。比嘉薫さんに聞きまして……。どう考えても、それが原因だよね?」


「多分そうだな」


「あの時、何を話してたの?」


「諦めきれないから、もう一度考えてくれないかって言われたんだよ。オレは気を持たせるようなことしたくないから、無理だって断った」


「もっと優しく断りなよ」


「無茶言うな」


 ユルはムッとして、腕を組んだ。


「何でユルって、妙にもてるんだろ。口悪いし、粗野なのに」


「ケンカ売ってんのか、てめえ」


「あわわ」


 凄まれ、怯えてしまう。つい言いすぎてしまった。


「オレが知るかよ。物珍しいんじゃねえの」


「物珍しい?」


「本当は、現代人じゃないからな」


 なるほど、と頷きかけてククルは首を傾げた。痛いので、すぐに体勢を戻したが。


 それならククルももてていないとおかしいのだが、全くその気配がないのはどういうことだろう。まあいいや、とククルは思考を打ち消し、話題を変えることにした。


「ユルが、この病院まで運んでくれたの?」


「いや、救急車呼んでもらった。オレも付き添いで乗って行ったけど」


「きゅーきゅーしゃ……」


 病院用の車だっけ、とククルは思い浮かべる。道路を走るのを、見たことがある。


「私が意識ない間、手を握っててくれた?」


 その質問は意外だったらしく、ユルはぎょっとしていた。


「はあ?」


「違うの?」


「さあな」


 はぐらかす意味がわからない。この反応は……照れているのか、と気付いてククルは笑ってしまった。


「へへー」


「何笑ってんだよ」


「へへへ」


「不気味だぞ」


 指摘されても応えず、ククルの顔は緩みっぱなしだった。


 ユルは憮然として、立ち上がる。


「どこ行くの」


「お前の意識が戻ったこと、知らせないと。意識ないから入院になったけど、そこまで深い傷じゃなかったし縫合もしたから、もう帰れるはずだ。ちょっと待ってろ」


「はあい」


 ククルは病室を出ていくユルを見送ってから、ため息をついて天井を見上げた。


「あいたた……」


 しばらくは、首の痛みに難儀しそうだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る