第五話 投影 5



 屋上に出ると、少し心が安らいだ。強い風が、スカートをあおる。


「……はあ」


 落ち込む心を堪えて、ククルは鉄柵に近寄った。すると、鉄柵の近くに丸い物体が転がっていた。


「あ!」


 舞台に飛んで来た、丸い鳥か魔物かよくわからない生き物だ。


「ここに、いたんだね」


 見下ろし、声をかける。鳥はククルを見て「ぴい」と鳴いた。


(……やっぱり、かわいいな)


 きっとこの子は魔物じゃないだろう。そう確信して、鳥を抱き上げる。


 青い空を見上げていると、落ち着いてきた。


(後悔は、してない)


 もし、あれが危険な魔物だったら――あの時、ユルは気付いていなかったのだし、彼が傷ついたかもしれない。だから、これでいいと思った。


(別に謗られても、耐えればいい)


 このくらい耐えられる。でも、ユルに何かあれば耐えられない。


 そうだそうだ、とククルは自分を鼓舞した。


「……でも、おかしいな」


 ククルはつい、独り言を口にした。


 ククルは、舞台に飛び込む物体を見た。あれはたしかに黒かった。だが、こうして抱いている鳥のようなものは、真っ白だ。


(私は……別のものを捕まえちゃったの?)


 他に、魔物がいるのだろうか。


 ククルは手すりを握り、行き交う人々を見下ろした。


 うまくやれてないな、とまた暗い気持ちが蘇って来た。元々、人付き合いは得意な方ではない。こういう、集団生活は疲れてしまう。


 ユルはいいな、と思う。ちゃんとクラスに溶け込めて。もちろん、彼なりに努力しているのだろうけど。


『やっかまれたりしないよう、気を付けてね』


 薫の忠言を思い出す。


 美奈は明らかに、ユルに庇われるククルを面白くなさそうに見ていた。


 教室で噂話していた男子生徒は、なぜユルがあんなにククルを庇うのかと疑問を持っていた。


 嫌な気持ちが、どんどん湧いて来る。


(ユルの、せいだ)


 そうだ、と、どす黒い念が渦巻く。


 大体、ククルはユルを魔物から庇ったのだ。それなのに、どうして……


 そこまで考えたところで、屋上の扉が開いてユルが出て来た。


「おい、ククル。置いて行くなよ」


 振り返ったククルは、ユルの驚いた顔を目にする。


「お前……その、魔物マジムン


 ユルが差した先には、ククルの腕に収まる白い鳥が――いや、鳥は真っ黒に染まっていた。


「……!」


 息を呑んだククルの腕から黒い鳥が飛び立ち、ユルに襲い掛かった。


天河ティンガーラ!」


 天河を召喚し、ユルは刀を一閃した。黒い鳥は、ぎゃっという声と共に霧散した。


 そこでククルは、さっきまでの暗い思考がどこかに行ってしまったことに気付く。


「おい、大丈夫か」


 ユルが近付き、ククルの顔を覗き込む。


「わかった……」


「は?」


「あの魔物、人の気持ちを反映するんだ」


「人の気持ちだって?」


「そう」


 ククルがユルを妬んだ途端に、あの鳥は黒く染まり狂暴になった。


 舞台で捕まえた時は、そのような醜い気持ちもなかったから、白く染まり無害になったのだろう。


 それに、と思う。あの鳥の魔物は、良くも悪くも人の感情を増幅するようだ。さっきは前向きな気持ちも、後ろ向きな気持ちも、異常なまでにどんどん膨らんでいった。


「じゃあ、やっぱりあれは魔物か。……ちょっと待て。感情の反映ってことは……」


 ユルに見下ろされて、ククルはぎゅっと拳を握りしめる。


「ごめん……」


「何だよ」


「ユルに、嫉妬した」


 たとえ増幅した感情とはいえ。ひとかけらでも、その気持ちがあったことは事実なのだ。そう思ってしまったという事実が、辛かった。


 ユルは、困ったようにため息をついた。


「何でオレに嫉妬するんだよ」


「……この時代でも、上手くやってるから」


 ずっと堪えていた涙が零れて。その涙は、ユルの指で拭われた。


「馬鹿じゃねえの。オレは、お前よりちょっと器用なだけだ」


 その器用さが羨ましいのだ、と言いかけたところで、そっと胸に抱かれた。


 ククルは驚いて、目を見開く。ティンは、ククルが泣いている時にはよくこうして抱きしめてくれた。安心して、甘えたものだった。


 でも、ユルにこうされるのは初めてだ。安心するけど、どこか落ち着かない気持ちもある。


「泣き虫。早く泣き止め」


 そう言われると、かえって涙が出てきてしまって。ククルはユルにしがみついて、涙を零し続けたのだった。




 泣いたらお腹が空いてしまった、と訴えるとユルは呆れた顔をしていた。


 二人はもう一度屋台の並ぶ校庭に、ジュースや食べ物を買い込みに行った。そしてまた、屋上に戻る。


 飲み食いしながら、ククルとユルは魔物について話し合う。


「……じゃあ、ユルはあの魔物が毎年出たと思ってる?」


 ククルは問いかけ、たこ焼きを頬張った。


「まあ、そうだろ。オレ、何で恋人同士ばかり狙われるのかって不思議だったんだよな。……でもまあ、そういう奴らはやっかまれやすいし、嫉妬もされやすいだろ」


「なるほど」


 たしかに、そうだ。しかもあの魔物は感情を増幅する。「羨ましい」と軽く思ったのが、増幅されて激しい嫉妬心に変わることも有り得る。


「多分、他の場合もあったはずだ」


「恋人同士以外にも、ってこと?」


「そうだ。でも、事例が多かったから、迷信は恋人同士だけ言及しているんだろ」


 ふむふむ、と頷きながらククルはもう一つたこ焼きを口の中に放り込んだ。


「もう退治したから、心配ないよね」


「ああ」


 ユルは一つ頷き、缶ジュースをごくごくと飲み干していた。


「……そろそろ、お開きの時間だな。教室、帰るか」


「うん」


 ククルは最後の一つになったたこ焼きを頬張って、容器をまとめて袋の中に入れた。


「お前、口の周り青のりまみれになってるぞ」


「ええ!?」


 ユルに指摘され、慌ててククルはごみ袋にした袋を傍らに置き、懐から手鏡を取り出した。……だが、口の周りはきれいなものだった。


「……っていうか、買った時に青のりいりませんって言ったんだった! もう、嘘つき!」


「あっはっは。ばーか。ひっかかってんじゃねえよ」


「ユルの方が馬鹿っ!」


 からから笑うユルの胸を叩くが、ユルは笑い止まなかった。


 ククルも思わず笑ってしまい、怒るのが馬鹿らしくなって来る。正直、教室に帰るのが憂鬱だったのだが、なんだかどうでも良くなって来た。


 笑うのは、いい。つられて心が軽くなる。


 二人は笑いながら立ち上がり、屋上を後にした。




 ホームルームが終わり、文化祭の一日は終了となった。といっても、ククルはこれから大道具の後始末に行かなければならないのだが。


「ククルちゃん、行こうか」


「うん」


 薫と一緒に連れ立ったところで、主役を務めた少年が声をあげた。


「突然ですが、打ち上げしようと思いまーすっ。参加希望者は、手を挙げてくれー!」


 ククルと薫は顔を見合わせた。


「片付けもあるし、参加しなくていいよね」


 うん、とククルは薫に同意する。賑やかなことは苦手だし、ククルは気まずい思いをすることになるだろうし、で行く理由がなかった。


 ちらっとユルの方を見ると、挙手していなかった。


(まあ、ユルはそういう性格だよね。でも、重要な役やったんだから……)


 そんなことを考えていると、隣席の男子生徒に手を掴まれて勝手に挙手されていた。


(……やっぱりね)


 ククルは思わず、苦笑してしまう。


「そりゃあ、雨見は参加しなきゃだめだろー」


「そうだそうだー」


 他の生徒にも囃し立てられ、「はいはい」と面倒臭そうに返事をしている。ユルはククルを振り返った。


「先に帰っとくね」


 と口の形だけで伝えてみると、ユルにはわかったらしく小さく頷いていた。


「行こうか、薫ちゃん」


「うん」


 そうしてククルは薫と共に、教室を出た。

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