第五話 投影 3
気まずい思いをして頼んだ甲斐あって、大道具は前日には全部完成した。
「これで終わり。みんな帰って大丈夫ですよ。明日は指示を書いた紙の通り、動いてね」
薫が最後に言うと、ククルと薫以外の生徒は挨拶をして帰って行った。彼らは初めは不服そうだったが、なんだかんだ文句も言わずに協力してくれた。
「和田津さんも、お疲れ様!」
「うん、比嘉さんこそ! ていうか、比嘉さんが一番の功労者だよねえ。部活の出し物もあるのに」
薫は漫画部で、明日は何か本を出すのだという。
「部活の方は、大分前に仕上がってたから……」
薫は苦笑した後、思いついたように手を打った。
「ジュースでも飲んで乾杯しようか。ちょっと早い打ち上げってことで」
「うん!」
大道具係は明日、道具を出したり下げたりするだけなので、実質今日で終わりのようなものだ。
ククルと薫は缶ジュースを買って来て、乾杯した。
「あ……そういえばさ」
突如、薫が神妙な顔になる。
「うん?」
「そろそろ、名前で呼んでいいかな」
そう問われ、ククルはぱあっと明るい顔になった。
「うん! 是非!」
そもそも和田津という苗字で呼ばれることに抵抗があったククルには、嬉しすぎる申し出だった。
「じゃあ、ククルちゃんって呼んでいいかな」
「いいよー。私も、薫ちゃんって呼ぶね! いい?」
「うん、もちろん」
にこにこと笑い合ったところで、ククルはほっこりした気分になった。
「……ククルちゃんは明日、雨見くんと文化祭回るの?」
「うん、そうだよ。比嘉さ……じゃなかった、薫ちゃんは部活あるから回れないんだよね」
「そうなんだよね。うちって部員少ないから。ま、いいけどね」
「漫画部にも行くねー」
ククルは明日、どうやって周るかユルと相談しなくては……と考えていた。
「待ってるね。……ところでククルちゃん。雨見くんと文化祭回るのなら、ちょっと気を付けてね」
「へ? 何で?」
「雨見くん付いてるから、大丈夫だと思うけどさ……。文化祭回るカップルって、毎年何か事故に遭うって迷信があるの。だから、付き合ってる人たちでも敢えて文化祭は一緒に回らなかったりするんだって」
「ええ!?」
ククルは仰天した後、腕を組んだ。
何か、
「事故のない年もあったから、迷信だと思うけどさ。まあ、一応ね」
「うん、わかった。でも私とユルは恋人同士じゃないよ?」
「傍から見たらそう見えるよ……」
薫は呆れているようだった。
(……
それなら、ユルと一緒にいるのは好都合だ。ついでに魔物退治をすればいい。
なぜ文化祭の時だけ、という疑問は湧いて来なかった。そういう非日常的な行事に、魔物は惹かれてやって来るのだ。
そして文化祭当日――。よく晴れた日だった。
演劇は午前中だった。ククルはあくびを堪えながら、舞台袖で待機する。
そろそろ劇も終盤なので、あとは舞台が終わった後に道具を除けるだけだ。
観客席の反応を見るに、舞台はなかなか好評なようだ。ククルから見ても、主人公のおどけたような演技は楽しかったし、ユルの士族らしい動きや殺陣は正直格好いいと思ってしまった。
美奈もなかなか演技が上手い。二人の男に取り合われる美女、という役どころも納得の美女ぶりである。
そして、とうとう主人公と敵役が最後の勝負に投じる場面になった。
あれ、とククルは舞台を凝視した。黒い鳥のようなものが、ユルに向かって飛んできている。
(
咄嗟に、ククルは舞台に飛び出していた。
ユルは集中しているからか、魔物に気付いていない。ククルは彼に魔物がぶつかる前に、その魔物を抱き留めた。
ククルの乱入に、客席はざわつき、ユルも主人公役の少年もぎょっとする。
ユルは刀を一旦下ろし、ククルを片腕で押しやった。
「私は、この勝負を止めない! 引っ込んでろ!」
機転を利かせてくれたらしい。ククルはよろよろと、舞台から退場する。
舞台袖に引っ込んで、ククルはため息をついた。
(……って、ため息ついてる場合じゃなかった! 私、魔物を抱えてる!)
恐る恐る腕の中を見下ろすと、真っ白で丸い鳥……のようなものがククルを見上げていた。つぶらな黒い目が、かわいらしい。
(あれ、かわいい)
おどろおどろしいところもない。魔物かと思ったが、精霊の類なのだろうか。本物の鳥ではないだろう。こんな大きさで、丸っこい鳥は存在しないからだ。
「ククルちゃん!」
鋭い声で囁かれて、ククルはびくっとして振り向く。薫が、心配そうな表情で立っていた。薫は反対側の舞台袖にいたはずなのだが、裏道を通ってこちらにやって来たようだ。
「どうしたの? いきなり飛び出したりなんてして」
「……あの、ね」
説明しようとして、ククルは彼女に腕の中の鳥が見えていないことに気付く。
そうだ、魔物が見える人は、今の時代ではとても少ないのだ。
「えっと――」
口ごもっている内に、拍手が響いた。劇が終わったらしい。
「片付けないと! ククルちゃん、行こう」
「うん」
ククルは迷った挙句、隅っこの方に鳥を置いた。ぴい、と鳥はククルを見上げる。
「待っててね。あとで、外に帰してあげる」
幕が下りると同時に、ククルは片付けるために舞台へと駆けた。
片付けも終え、大道具の整理をしていたところで、ヒロインを演じた美奈がククルのところにやって来た。
「ちょっと、和田津さん」
顔が怒っている。あれ以来、話すのは初めてだった。
「どうして、いきなり舞台に飛び出したの!? もうちょっとで、舞台が台無しになるところだったじゃない!」
怒鳴られ、ククルは拳を握りしめた。
(お、落ち着け私!)
魔物の存在を言っても、信じてくれないだろう。なら、他の理由を言うしかない。
「待て」
そこで、ユルがやって来た。
「オレが聞く」
有無を言わさず、ユルはククルの手を取り、舞台袖の片隅に連れて行った。
「おい、何があったんだ?」
「
「魔物が?」
「うん。でも、私が捕まえた後は大人しい鳥みたいな子で……精霊だったのかも」
「……」
ユルは難しい顔をして、腕を組んだ。
「言い辛いな、それ」
ユルももちろん、現代の琉球人のほとんどが魔物を知覚できないと知っている。存在を信じていない人も相当数いるぐらいだ。
「ど、どうしよう」
「……鳥が飛んで来て、捕まえたってことにしろ。間違っちゃ、いないだろ」
「うん……」
「オレから言っといてやるよ。着替えた後、教室に行くから。そこで合流な」
「わかった」
ユルが離れていくのを確認して、ククルはホッと息をついた。
「ククルちゃん、大丈夫?」
薫に問われ、ククルは慌てて頷いた。
他の大道具係は、胡散臭そうにククルを見ていたものの、特に何も言わずにそれぞれ大道具を持って舞台袖から出て行った。
「私たちも行かないと」
「うん」
ククルも大道具を持ち上げて、歩き出そうとしたが……
「あ、先に行ってて!」
慌てて引き返し、片隅に置いた鳥――のようなものを迎えに行こうとした。しかし、あの鳥はもうどこにもいなかった。
「あれ……」
どこかに行ってしまったようだ。嘆息し、ククルは舞台袖から出た。
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