第四話 幽霊 4
初めは、幽霊はククルに何も話そうとしなかった。しかし、ククルが「あなたの事情を聞きたいの」と訴え続けると、折れたのか話をしてくれるようになった。
辛抱強い説得が通じ、幽霊が口を開いた時には、もう午前零時を回っていた。
「あなたの名前を、聞かせて」
『私は――
「花さん、ね」
ククルが頷くと、花は喋り始めた。
『私の夫は、武士だった。誰もが羨む結婚だったわ。俸禄も高く、殿の覚えもめでたい、精悍な武士だったのだから。でも――彼は、賭け事が好きだったのよ。ある日、夫は大負けして突然破産したわ。借金返済の足しに、と私は遊郭に売られたの』
「え……」
『一度人妻だったこともあり、私はあまりいい店には売られなかったの。……屈辱的だったわ。でも、私は幸い容姿が人より優れていた。馴染みもできて、なんとかやっていた……。でね、ある日夫が店に訪ねて来たのよ。どうやってか知らないけど、家計を立て直したのね。悪くない着物を着ていたわ。こんなことになってすまない、いつかまた迎えに来ると――約束してくれた。そして、あの簪をくれたの』
花の頬が、綻んだ。
『でも……もう、来てくれなかった。人を雇って、調べさせたら――再婚したって……。泣きながら私は遊郭から出て、夫のところに行ったの。大変だったけど、直接問い詰めないと気が済まなかったから。そうして家に辿り着いたら、かわいらしい女性が出迎えてくれたわ。再婚相手――ですって。呆然とする私に、彼女は告げたの。“あなたが前の奥さんですか。残念ですが、苦界に身を落とした女性がまた武家の妻になるのは……と反対にあったから、夫はあなたを諦めるしかなかった”と優しく説明してくれたわ! 同情して、眉をひそめさえした! ……そうして私は、下男に捕まり、引き戻された。足抜けの罪で折檻されている内に、死んでいたわ』
あまりの壮絶な話に、ククルは青ざめていた。
『死んでから、夫も後妻も祟り殺してやった。その子供も、もちろん。でも、怒りは収まらなかった。いつしか自分は、あの簪と共にあると気付いた。あの簪を手に入れた男を、片っ端から呪って行ったわ』
「そんな……」
ククルは彼女の事情を頭の中で反芻し、考え込んだ。
遊郭にいた時も、辛かったのだろうと容易に推測できた。夫への怒り、憎しみは――いつしか男性全体に普及していったのだろう。だから彼女は、男性を呪うのだ。
「……辛かったんだね」
同情の言葉を口にすると、花はふんっと鼻を鳴らした。
『あなたに何がわかるの』
「完全にはわからないけど……あなたの話を聞いて、とても辛かったんだってわかったよ」
今は、説得したりはしない。ただひたすらに、共感する。
「だって、あなた何も悪くないじゃない」
『……そうよ。ただ、嫁いだだけだったのに』
「でもあなた、まだ旦那さんのこと好きなんだね」
指摘すると、花は驚いたようだった。
「昨日、ユルに触れようとしてたじゃない。旦那さんを思い出したんでしょ?」
『……』
花は、ククルから目を逸らす。
「そんなに、ユルは旦那さんに似てる?」
『……少しね。どことなく、あの人を思い出すの』
花の声音に滲むのは、たしかな愛情。愛があったからこそ、憎しみも深いのだろう。
「でも、別人だよ」
ククルは、訴えるように声をかけた。
「あなたの旦那さんとも、あなたにひどいことをした男の人たちとも、違う」
『……』
「あなたはきっと、混乱しているんだよ。憎しみと恨みが募りすぎて、誰彼構わず呪ってしまうようになった。でもね……それを続けると、あなたの
切々と訴え続けると、花の表情が動いた。
『だけど、一度私を祓おうとした霊能者は言ったわ。私が悪いって。私が我慢するべきだったって。何も知らずに遊郭にいたら、希望を持ち続けて待てただろうって……』
「そんなの、おかしいよ」
『そう思うのは、あなたが女だから。男は、あの霊媒師みたいなこと言うのよ! 女が我慢すれば、全て丸く収まるって――!』
花から憎しみが迸り、ククルはぎゅっと拳を握りしめた。
「全員じゃないよ。たとえばユルなら、そんなこと言わないよ」
ククルは、手ごたえを感じていた。もう少し押せば、花は改心してくれるだろうと。
「ユル、起きて」
強引に揺さぶり起こすと、彼はゆっくりと目を開いた。
「辛いのにごめんね。でも……あと少しだと思うから。――この人の、事情を聞いてあげて」
ユルを助け起こす。彼の体は、焼けるように熱かった。
花はもう一度、身の上話をする。
どういう答えを返すのだろうか、とククルは少し緊張する。だけど、きっと大丈夫だ。ククルは、ユルの優しさを知っているからこそ確信していた。彼はちゃんと、共感できる人だ。
話を聞き終えたユルは、掠れた声で呟いた。
「あんた……辛かったんだな」
『……』
「正直、同情するよ」
ユルの答えを聞いて、幽霊はしくしくと泣いていた。
「わかったでしょう? 全員じゃないよ。だから、祟り殺すのはもう終わりにしよう。そんなことで、あなたの気は済まないよ。こうやって同情してくれる、優しい人まで殺すことになるんだから」
ククルが訴えると、花は力なく呟いた。
『どうすればいいの……』
「簪の場所を、教えて」
『……寝台の下よ』
その答えに、ククルは「えっ」と言ってしまった。灯台下暗しとは、このことだ。
(ああ、そっか)
幽霊が近くにいる場所だからこそ、簪の気配が混じってわからなかったのかと納得する。
ククルは身を屈め、ベッドの下に手を伸ばした。固いものが手に当たり、それを掴んで引き出す。
綺麗な、赤い簪だった。
ククルはそれを手にして、祝詞を唱え始めた。花は抵抗もせず、祝詞に身を委ねる。
『私の話を聞いて、共感してくれた人は初めてだったわ』
ぽつりと言われて、ククルは微笑んだ。
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