第四話 幽霊

 ううう、とククルは呻いた。熱い涙が、まなじりを伝う。


「……泣くなっての」


 横たわるククルを見下ろし、ユルがため息をつく。彼は傍らに置いてあったタオルで、ククルの顔をぐしゃぐしゃと拭う。


「だって……大和、行きたかった……っ」


「しょうがねえだろ。そんな高熱で行けないっつの」


「うわあああ」


 哀しくて、とめどなく涙が出る。喉が痛かった。




 夏休みが明けてすぐ、修学旅行の詳細が発表された。行先は大和。首都のトウキョウと古都のキョウトを巡る旅だ。


 琉球と大和は近い上に、一時期同じ国だったこともあり、今も往来が多い。だからクラスメイトの大半は、大和に行ったことがあった。中学校の修学旅行の行先が大和だった、という生徒も多い。


 だがもちろん、ククルもユルも大和には行ったことがなかった。彼らの生きていた時代からすると、大和への旅なんて命がけの大旅行だ。ククルの故郷から琉球本島に行くだけでも、大変な旅だったのだから。


 ククルは本当に、楽しみにしていた。


(トウキョウでミッチ―ランドに行って、キョウトで神社仏閣回って……。抹茶飲んで和菓子食べて)


 クラスで一番楽しみにしていたといっても、過言ではないだろう。


 なのに――




 ククルは、修学旅行の前日の朝から高熱を出して倒れてしまった。病院にも行って、夜になって熱が下がるかと期待したが、一向に良くならない。


 旅行になど、行けるはずのない体調だった。


 しかし納得できず、寝ながら泣きわめくククルにユルが付き添ってくれている。


「あんまりだああ」


 ぼろぼろと、また涙が零れ落ちる。


「あーもう、泣くなって。また熱上がるぞ」


「だってだって……」


「……土産、買って来てやるから」


 ごしごしとまた、ユルに顔を拭かれる。


「何が欲しいんだよ」


「え、えっとね。ミッチーのちょこれいととあひるのぬいぐるみと……ええと、八ッ橋とかんざしと――」


「……待て。書き留めるための紙持って来るから」


 ユルは立ち上がり、部屋を出て行ってしまった。


 すぐに戻って来たユルの手には、メモ帳とペンがあった。


 ククルの傍に座り込み、ユルはメモ帳を開く。


「言ってみろ」


 促され、ククルはつらつらと所望の品を述べた。


「――めちゃくちゃ多いな。できるだけ捜すけど、なかったり持ち帰れなかったりするかもしれない。先に言っとくぞ」


「うん……。写真もいっぱい撮って来てね」


「ああ」


「ちゃんとユルも写真に入って、大和に行ったんだって証拠にしてね」


「はいはい」


「ちゃんと、いい笑顔で写ってね」


「何でだよ」


 こんな時でも、ユルは突っ込みを忘れない。


「うう……」


 ごほごほと咳き込み、ククルは目を閉じる。


 すると、ユルが「口開けろ」と声をかけて来た。何も考えないまま口を開けると、何か固形のものが入って来た。薄荷の味が、口に広がる。


「なあに、これ」


 ぱちりと目を開けて、問う。


「飴みたいな薬だ。喉の痛みが少しはましになるらしい」


「そっか……」


 たしかに、薄荷の爽やかさは痛む喉をじんわりと癒してくれるようだった。


 なんだか、今日はユルがやたら優しい。病人には優しくなる法則は、ユルにも有効らしい。


「兄様も、私が風邪ひいた時は甘やかしてくれたっけなあ……」


 口に出したつもりはなかったのに、ほろりと言葉が零れ出ていた。


 それを聞いて、ユルは露骨に顔をしかめていた。


「あの、ただでさえお前に死ぬほど甘いティンが? どんだけ、ぐずぐずに甘やかされたんだよ」


「へへー」


 もう会えないとわかっているのに、今も思い出は大切で。看病してくれた時を思い出して、ククルはにやにやしてしまった。


 あにさま、とまた呼んでしまいそうになったところで、ユルがククルの額に手を当てた。


「お前はいつになったら、兄離れするんだよ」


 小さく囁かれて、ククルは驚いてユルを見た。彼はすぐに、視線を逸らす。


「ほら、喋ってないでもう寝ろ」


「うん……。ユルは、いつまでいてくれるの?」


「お前が寝付くまでは、いてやるよ」


 その答えにホッとして、ククルはもう一度目を閉じた。


 水音がして、ひんやりしたものが首筋に当てられる。濡れた布で汗を拭ってくれているらしい。


「哀しいよう。せっかく大和行ける機会だったのに……」


 目をつむったまま呟くと、また涙が伝う。


「また、行けばいいだろ。オレたちの時代と違って、いつでも行ける時代なんだし」


 ユルの静かな声が、熱のこもった部屋に響く。


「いつか、一緒に大和に行ってくれる?」


「ああ」


 短い返事に、嬉しくなる。それが、いつのことかはわからないけれど――。


「約束だよ」


「……約束だ」


 二人で、約束を交わす。その約束は、ククルの哀しみを少し癒してくれた。


 うとうとし始めた頃、扉の開く音がした。


「ユルくん、看病代わるわよ。あなたは明日の支度しないと……」


「ああ、はい……」


 伊波夫人とユルの会話を聞きながら、ククルは眠りに落ちた。




「ククル」


 名前を呼ばれて目を開けると、ユルが覗き込んでいた。


 ユルは制服姿だ。……ならば、もう朝ということだ。


「まだ熱高いな。……残念だ」


 手を置き、ユルは呟く。彼の手は冷たかった。ククルの額が熱すぎたのかもしれないが。


「うう……」


 もし下がっていたら、行けたかもしれないのに……哀しくて涙を零しそうになる。


「じゃあオレ、行って来るからな。……魔物マジムンには気を付けろよ。元気になっても、なるべく外には出ないように。ゆっくりしとけ」


 ユルは、自分がいない間にククルが魔物に襲われては大変だと思っているのだろう。


「うん……」


「土産、楽しみにしてろ。じゃあな」


「待って……」


 離れかけたユルの手を掴み、引き留める。


「どうした?」


「大和から、電話して」


「……わかった。大人しく寝とけよ」


 ユルは頷いて、ぽんぽんとククルの頭を軽く叩いてから、さっさと行ってしまった。


 途端に、心細さが胸に溢れる。修学旅行は四泊五日。この時代に来てからは、そんなに長い間ユルと離れたことはなかったのに。


(私は、ちゃんと祈っておかないとね……)


 姉妹オナリは、兄弟エケリを霊力で守る。それが、琉球のならい。もう以前のように、二人で使う力はないけれども……ククルはまだ、ユルの姉妹だから。血はつながっていなくとも、契約と絆は残っている。


 ユルの旅の安全を祈り、ククルは目を閉じた。




 その夜、ユルから電話が来た。薬で熱が少しましになっていたが、まだまだ体は辛い。しかし、ククルは電話を受けた。


 伊波夫人が運んで来てくれた、電話機の子機を耳に当てる。


「……ユル?」


『よう。調子はどうだ?』


「あんまり、よくない。そっちはどう」


『琉球とは、やっぱり違うな。もう、少し肌寒い』


「そっか……。大和って寒いんだっけね。……あ。今思ったら、これって国際電話?」


 国際電話は料金がかさむと聞いたことを思い出し、ククルは慌てた。琉球と大和は違う国だからだ。


『あー、それは心配ない。修学旅行に合わせて、伊波のおじさんがオレたちの携帯電話のプラン変えてくれたから。大和に限るけど、国際電話の料金はかからなくなってる』


「……へえ。そんなのあったんだ」


 ククルは驚いてしまった。そういえば、と伊波のおじさんが「携帯のプランをひと月だけ変えておこうか」と話して来たことをククルは思い出した。プランというものがよくわかっていなかったククルは、今ここでようやく完全に理解した。


(私の携帯も、そうしてくれてたんだね)


 無駄に終わってしまったけれど、とククルは皮肉気味に考える。


「今日は、トウキョウの町観光だっけ」


『ああ。写真はちゃんと撮っておいたから、帰ったら見せる』


「うん……」


 そこでククルは、堪え切れずに咳き込んだ。


『……もう寝ろよ。明日も電話してやるからさ』


「うん……。おやすみ」


 がらがらした声でなんとか就寝の挨拶を口にして、ククルは電話を切った。


 何度も咳をして、震える手で子機を枕元に置く。布団に包まり、ククルは熱を帯びた体を横たえた。

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