第三話 祝祭 4


 結局ククルの足は折れてはおらず、捻挫と診断された。


 診断結果を思い返し、少しホッとしながらククルはユルの練習風景を見守っていた。


 代わりにユルがやるという知らせを受け、舞踊の先生は大層驚いていたが、すぐに気持ちを切り替えて指導に当たっていた。


 とはいっても、ユルはククルの練習を見ていただけあって、ほぼ完ぺきな舞だった。指導も、細かい注意だけだった。


「はい、いいでしょう。これなら明後日のお祭りも問題ないですね」


 先生はにっこりと、ユルに笑いかける。


「……どうも」


「でも、お見事ねえ。昔、習っていたの?」


「そんなところ」


 ユルは口少なに答えており、ここでもユルの女性苦手具合が発揮されていた。


「これから、二才ニセー踊りの練習? 大変ね」


「ええ。でも、あっちはもう軽く合わせるだけでいいので問題ないです。――ありがとうございました」


 礼をして、ユルはククルの近くにやって来る。


「行くぞ」


「うん」


 ククルはユルに手を引かれて立ち上がり、片足飛びで彼の後を追った。隣の部屋まではそう距離もない。


 部屋に入ると、二才踊り担当の男性たちがククルを見て憐みの表情になった。


「……やあ。聞いてはいたが、痛々しいね」


「かわいそうに」


「せっかく練習したのにね」


 同情の言葉をかけられて、思わず目が潤みそうになってしまう。


「い、いえ。ご迷惑かけてすみません……。私、精いっぱい応援します!」


 わざと明るく言ってみせると、彼らは戸惑いがちに微笑んでいた。




 そうして迎えた祭り当日。


 朝から、観光客がたくさん押し寄せた。琉球各地からはもちろん、大和人も多い。それ以外の外国から来た人もちらほらいた。そして、驚いたことに他の島々や本島からユタがたくさん来ていた。


 高良ミエが、ククルにユタたちを紹介してくれた。


「どうも、ククル様。兄妹神の参加するお祭りと聞きまして、私たちも声をかけあって参りました」


「わわ……どうも、よろしくお願いします」


 ククルは、十人ほどのユタたちを見渡してから、頭を下げた。


 ユルは今日明日と舞で忙しいのだから、ククルが応対せねばならないだろう。


 兄妹神の伝承は、ユタ間では有名だったらしい。ちなみに、今はノロ(神女)はすっかり減ってしまっているようだ。


「ユタの皆さん。今日は楽しんで行ってくださいね。神事は明日の午後から。それまでは舞などの出し物です」


「……ククル様。その足はどうされたんです?」


「舞の練習の時に痛めまして――」


 ユタの一人に聞かれ、ククルは事情を語った。本来は女踊りをするはずだったが、代わりにユルがやってくれることも告げた。


「おやおや、それはお気の毒に」


 ユタは皆、同情的だった。


「何かあったら手伝いますんでね。言ってくださいね」


 ありがとうございます、と答えてククルは微笑んだ。




 舞の演目が始まり、島は不可思議な熱狂に包まれた。


 とうとうユルの出番がやって来て、皆が息を呑む。


 化粧を施し、艶やかな女物の琉装に身を包んだ彼は、背の高い女性にしか見えなかった。


 曲が始まり、ユルの手と足が動き出す。柔らかい、しかし芯のあるしっとりとした動き。


(ふわあ……綺麗)


 思わずククルも見とれてしまう。


「あの子、美人だなあ」


「出番終わったら、連絡先聞いちゃおうぜ」


 隣に立っていた男性二人組が、熱に浮かされたように囁き合っている。舞台の上にいるのが女だと思っているらしい。ユルが聞いたらどう思うだろう。


 思わず笑いかけた時、ククルは舞台近くに何かいることに気付いた。


 丸い物体が、ふよふよと浮いている。


(あれは……魔物マジムン?)


 悪意や敵意といったものは感じられなかったが、舞台の周りを飛んでいるので気になって仕方なかった。一匹ではなく、何匹もうろうろしている。


 ククルは眉をひそめ、魔物を目で追う。


 何匹かは、他の魔物より膨らんでいた。何か食らったのだろうか。


(食べ……た?)


 ふと、ククルは斜め前の女性の様子がおかしいことに気付く。ぼんやりとして、心ここにあらずといった様子。


 これは、マブイを落とした時の症状とよく似ていた。


(まさか!)


 首を巡らせると、他にも様子のおかしい観光客がまばらにいた。


 何とかしないと、と人ごみを押しのけ前に出ようとしたが――


 曲が終わり、ユルの舞が終わる。割れんばかりの拍手が鳴り響いた。すると、魔物たちは興味をなくしたように四方八方に飛んで行ってしまった。


 ククルは大慌てで、近くに並んでいたユタたちに声をかけた。




 その後、あの魔物を探し回ったがどこにも見当たらなかった。


「いないですねえ」


「ほんと……。どうして、あの舞台の時だけ」


 ククルは汗を拭い、足を引きずりながらため息をついた。


 ふと思いついて、ククルはユタたちに告げた。


「ちょっと、捜索は中断しましょう。ユルにも相談して来ます」


 頭を下げて、ククルはゆっくりと公民館へ向かった。出番を終えたユルは今、あそこにいるはずだ。


 公民館に入って、ユルの待機している小部屋へと向かう。


「ユル、入るよー」


 声をかけて扉を開けると、ユルが振り向く。


 まだ化粧を落としておらず、着物も上布を脱いだだけの状態だった。かつらもまだ付けたままで、結い上げていたのは解かれていたので、長い黒髪が背に垂れている。その艶めかしいとも言える姿に、ククルは慌てた。


(き、聞得大君きこえのおおきみかと思った……)


 舞台に上がった時は遠目だったので、よくわからなかったが、こうして近くで女装した姿を見ると、彼は母親に似ていた。


 もっとも、ユルは清夜王子にそっくりな姿かたちになったというから、ユルが母親に似た――というよりも、清夜王子が伯母に似たのだろう。王家らしい顔なのかもしれない。


 濃いめの化粧は、はっきりとした顔立ちの美女を思い出させた。


「お疲れ。まだ着替えてなかったんだね」


「ああ――。着替えないといけないのに、疲れすぎてぐったりしてた」


「脱ぐの手伝おうか」


「ああ」


 舞の衣装は豪華なので、脱ぎ着にも一苦労である。


 ククルはユルが衣装を脱ぐのを手伝い、化粧落とし液を染み込ませたガーゼで彼の顔を拭いながら話し始めた。


「実はね、舞台近くに魔物マジムンが出たの。ユル、見えてた?」


「魔物? いや……舞に夢中で、見てなかったな」


「まずいことになったよ。観光客の何人か、マブイを落としてるみたい。その魔物が何かしたみたいなんだよね」


「……何だと?」


 ユルの眉が上がった。


「その魔物はどこに行ったんだ?」


「わからないの。さっきまで、ユタのおばあさんたちに頼んで一緒に探してたんだけどね……。ユルの舞台が終わったら、どこかに行っちゃって」


「……もしかして」


 ユルが、ふと呟く。


「オレに寄って来たのか?」


「多分ね。あのね、舞って儀式の一種なの。だから、霊力セヂを持っている人はいつもより霊力が昂る。ユルは神の子で、霊力が高いでしょう。だから、昂ったユルの霊力に惹かれたんだろうね」


「――なるほどな」


 ふう、とユルはため息と共に相槌を打つ。


 化粧を落とし、衣装も脱いで肌襦袢一枚になった彼は――さっきまでの美女はどこへやら――いつものユルだった。


「見つからないとなると、どうするんだ?」


「考えたんだけど……明日、もう一度ユルが踊るでしょう? 今度は二才踊りだけど。その時に多分また、同じ魔物が来ると思うんだよね。魂を飲み込んじゃった魔物に魂を吐かせて、魂を戻すのはどうだろう」


「舞の最中に、そんなことできるのか?」


 ユルは顔をしかめたが、すぐに「あ」と何か思いついた表情になった。


「そうか。明日の二才踊りでは、刀を使う。天河ティンガーラを使えばいいんだ」


「天河で魔物を斬るってこと?」


「そうだ。斬り払い、客席に飛ぶようにする。あとは任せたら、お前が何とかしてくれるか?」


「うん! 私だってノロだもん! ユタもたくさんいるし、マブイ込めなら任せて!」


 ククルは大声で言い張り、胸を抑えた。


 マブイ込めは、ノロやユタの大切な仕事の一つだ。魂を落としたまま観光客が帰ってしまうと、その内彼らは命を落としてしまう。祭りのせいだ、とでも評判が広まれば来年の祭りにも響くだろう。これは、ククルが何とかしなければならない問題だった。


 その後またククルは外を捜したが、あの魔物は見つからなかった。

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