第三話 祝祭 2
その夜、ユルはいつもの練習が終わった後、縁側で三線を爪弾いていた。
当然、ククルは彼の隣に座っている。
「ユルは、音楽好きなの?」
尋ねると、ユルは不思議そうに首を傾げた。
「……別に」
「えっ」
「嫌いじゃないけどな」
「うーん」
嫌いじゃない、とは好き、ということだろうか。
「オレはショウの何でも真似できたけど、三線だけはどうしても違う音色になったんだよな。弾き方もそっくりに真似したのに、不思議なもんだ」
「そうなんだ」
ククルは驚きつつも、ユルの手元を見やった。
「ああ。それであの女にはよく怒られたけど、王子が人前で三線演奏なんて機会あんまりないからな。仕方ないからそのままでいいって、言われたんだ」
あの女とは、ユルの母親――聞得大君のことだろう。
つまり――ユルの個性が発揮された唯一の場、ということだろうか。
「あの人魚の島で――倫先生に向けて、弾いてたよね?」
倫の亡くなった人魚の島で、ユルは三線を爪弾いていた。まるで、彼の死を悼むように。
「……そうだったな。倫先生は、オレの音色が違うのはいいことだって言ってた。元々、影武者としてショウそっくりに振舞うことに対して、よく思ってなかった人だから」
そっか、と呟いてユルの横顔を見やる。
少しでも、過去のことを話してくれたのが嬉しかった。
ククルは空を見上げた。月の綺麗な夜だ。
「ユル。ちょっと、散歩しない?」
浜辺を二人で歩く。ぬるい風が吹き抜け、波音がさざめく。
「こうして、暗い浜辺に立っていると――あの時代に、戻れそうだよね」
なんとなしに、そう言ってしまうとユルの目が、陰りを帯びた。
「……ユル?」
「お前――戻りたいのか?」
問われ、ククルはぎくりとした。
正直、戻りたいと思うことはある。この時代は疲れる。大きく変化した社会に、ただでさえ適応能力の低いククルが付いて行くのは大変だ。カジもトゥチもいないのが、淋しい。父母や祖母とも、もっと話し合えばぎこちない関係から、脱することもできたのではないかと、考えてしまうこともあった。
でも、それを言ってはいけないのだ。言えば、ユルが気にしてしまう。初め、ユルは一人でニライカナイに渡ろうとして、ククルは彼に付いて行った形なのだから。
「戻りたい、とは思わないよ。たまに、カジ兄様やトゥチ姉様に会いたいなあ、って思うだけで……」
「――そうか」
ユルは無表情で、一つ頷く。
「ねえ、ニライカナイのこと、思い出した?」
話題を変えるべく、ククルはユルに尋ねた。
「全然だ。……天河と命薬って、何なんだろうな」
「……ね。力が使えるとはいえ――私たちの力は、以前より制限されてるんだよね」
最近発覚したのだが、命薬はユル以外の傷は治せないらしい。ククルが草で足を切った時に当てても、ミエが指を切ったところに当てても、何も起こらなかった。
天河の力も、魔物を斬るとはいえ以前のような、身体力の向上は見られない。
「その内、思い出せるといいね」
「そうだな。――もう帰るか」
ユルに促され、ククルは頷いて海に背を向けた。
翌日から、公民館で本格的な舞の特訓が始まったが……
(ううう)
明らかに、舞の先生の目が泳いでいる。「どうしよう」と困っている様子だ。
ククルは習った通りに踊りながら、自分でも「どうしよう」と思っていた。
ふにゃふにゃ、と擬音が付きそうな頼りない舞になってしまっている。
「えっと……ククルさん」
「は、はい」
「もうちょっと、手を……こう、ね」
熱心に指導してくれて、ククルも改善しようとするのだが――ふにゃふにゃ、がせいぜいへろへろになったぐらいであった。
「うーん、一旦休憩にしましょう。二才踊りの見学してみますか?」
「ぜ、是非」
ククルは荒い息の合間に返事をした。二才踊りでは、ユルが主役で踊るはずだ。ちらっと見たことはあったが、どんなものかしっかり見てみたかった。
「では隣の部屋に行きましょう」
先生に促され、ククルはタオルで汗を拭きつつ隣の部屋に行った。
戸を開けるなり、だんっ、という音が響く。ユルが跳び上がった音だった。
二才踊りは激しく、勇壮な舞だ。縦横無尽に舞台を駆け巡る舞は見た目にも派手で、観光客にも人気があるのだという。
手に木刀を持って、ユルは軽々と身を躍らせていた。
(す、すごい)
敵役の男たちと剣を交える様は、まるで本当の戦いのようで。
「――休憩! いやあ、ユルくん素晴らしいねえ」
踊りの先生――こちらは男性だ――も、満足そうに何度も頷いている。
「本当に。何年もやってるはずの、俺たちが負けそうだ!」
共演者たちが、わははと笑う。
ユルはさすがに息を切らせていたが、そう疲れた様子も見せていなかった。入り口に立っていたククルに気付き、こちらを見る。
「何だお前、見に来たのか」
「う、うん。休憩で。お疲れ様」
とことこと、ユルに近寄る。
「ユル、上手だねえ。すごいね!」
「……そうか?」
微妙な表情になって、そっぽを向いてしまう。やはり、褒められることに慣れていないらしい。
「お前の方は、どうなんだ?」
問われ、うっと詰まる。
「あんまり、上手にできてないけど……頑張る。まだ日にちあるし」
「ふうん」
素っ気ない返事だったが、どことなく目が心配そうだ。
「大丈夫だよ! 一応、ばば様と母様に習ってたこともあるし」
「……なら、いいけど」
「うん!」
わざと元気のいい声を出して、ククルは笑っておいた。
ユルには強がって見せたものの、ククルは危機感を覚えていた。
島人はククルを生き神だと崇めているから、舞を依頼したのだ。巧拙は気にしないだろう。でも、祭りに来るのは地元民だけではない。下手なのにどうして、と観光客は首を傾げるかもしれない。
せめて、少しでもましに踊れるように練習したい。
ククルは帰宅した後、家で練習できる部屋はないかと高良夫人に尋ねた。
一階奥の客間を使っていい、とのことだったので、夕食後ユルの三線練習が終わってすぐ、ククルは舞の練習に赴いた。
高良夫人が気を利かせてくれたのか、大きな姿見も置いてある。
助かる、と思いながらククルは浴衣姿で舞の練習を始めることにした。
音楽は、CDプレーヤーをかける。この物体からどうして音楽が鳴るのかが不思議だが、今は現代技術の神秘に思いを馳せている場合ではない。疑問を押し込め、スイッチを押して、音楽を鳴らす。
「う、うー」
やっぱり、へろへろだ。
それに、曲半ばというところで体力が早くも尽きかけている。
負けない、と足を持ち上げたところで、戸口に誰かが立っていることに気付いた。
ユルが、腕を組んで立って――こちらを見ていた。
恥ずかしくなって、曲が鳴っているのに舞を中断してしまう。
「……続けろよ」
「恥ずかしいもん……」
きっと無様だと思われただろう。そう考えると、顔が熱くなってしまう。
見に来ないで、と言っておけばよかった。音楽が聴こえたから、来てしまったのだろう。
「オレも教えてやるよ」
「……え? これ、女踊りだよ?」
「舞は、一通り習ったんだよ。ほら、初めからやってみろ」
促されたが、ククルはうつむいた。
「オレの前で恥ずかしがって、どうするんだよ。本番では、たくさんの人の前でやらないといけないんだぞ」
じっと見られても、顔を上げられない。
「……笑ったり、しねえよ。見ないと、お前がどんな調子かわからないだろ」
真剣に言われて、ククルはようやく頷いた。
曲に添って、女踊りを舞う。あぐらをかいてこちらを眺めるユルは、無表情だった。それが少し、怖い。
「んー。大体わかった」
曲が終わると立ち上がり、ユルはもう一度曲をかける。
「初めの方覚えたから、見てろ」
え、と言う間もなくユルは型を取る。
柔らかな動き。だが決して、ククルのようなへろへろの動きではない。止めるところはきちんと止めて、メリハリを生み出している。
(美女だ……)
ユルが、美女に見える。美女の動きだ。女踊りが体現する、美女そのものだった。
「……こんな感じか」
ユルが動きを止める。魔法が解けたようにククルはハッとした。
「す、すごい。どうして女踊りもできるの?」
「習ったからだって言ったろ。お前がやったのと、オレがやったの――何が違うかわかるか?」
「うーん。私のは、へろへろだよね」
「そうだ。女踊りは柔らかな動きが特徴なんだが、柔らかい動きってのは早い動作よりも力が要るんだよ」
「ははあ」
「お前の動きには芯がない。もっと芯を意識しろ」
「芯……ねえ」
考え込みながら、音楽なしで最初の動きをなぞる。意識してみたが、へにょへにょ、と擬音が鳴りそうな動きだ。
「お前、腹筋がないんだよな」
いつの間にかユルがククルの後ろに回り込み、腹を掴んだ。
「……!」
しばらく我慢していたが……
「へへへへ」
笑いが漏れてしまった。
「な、何だよその不気味な声」
「くすぐったい!」
堪え切れず、けらけら笑って振り返るとユルは呆れたような表情になった。
「びっくりするだろが」
「へへっ。くすぐったいってば!」
「はいはい」
手を放されて、ようやく人心地つく。
「舞の先生は何も言ってないのか?」
問われ、ククルは首を傾げる。
「うーん、細かい助言はくれるんだけど……どうも、遠慮してるみたいなんだよね」
「生き神様に助言なんて恐れ多いってか。遠慮せずに厳しく教えてくれって、言ってみろよ」
「うん、そうしてみるね」
「オレも、この時間になったら見てやるから」
「ありがとう! 助かるよ!」
にっこり笑って礼を言うと、ユルは困ったようにそっぽを向いてしまった。
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