第三話 祝祭
あの
ユルも同じような日々を送っているものの、彼は度々姿を消した。
「ユル、どこに行ったんですか?」
ある日、昼食後に姿を消してしまったユルについて、高良夫人に尋ねる。
「ユルくんなら、仲田のおじいのところよ」
「仲田さん?」
「そう。島一番の本持ちでね。コレクションを見せてもらう約束してたみたい」
いつの間に、とククルはむくれた。どうせなら、誘ってくれたらいいのに。
それからも、ユルは度々仲田家を訪れているようだった。ククルも一緒に行きたいと言い張ったのだが、なぜかククルが昼寝している時に出かけているらしく時機が合わなかった。
「お前の昼寝回数が多いから悪いんだろ」とは、ユルの言だ。
今度こそ付いて行ってやる、と思いながらククルはユルの奏でる三線の音に耳を傾ける。
ユルは最近、夕食後に高良のおじさんから民謡や現代の琉球曲を習っている。
「いやあ、基礎がしっかりしているからすぐに上達するねえ。声もいい」
高良のおじさんが絶賛する通り、ユルは新しい曲を次々と身に着けて行った。
ククルはその練習をいつも見学していた。
特にククルは、現代の曲が気に入っていた。琉球音階を使っているから琉球らしく響きながらも、テレビから流れる大和の流行曲にも負けないぐらい聴きやすくて魅力的だ。琉球酒場などで、よく演奏されるらしい。今は三線だけだが、他の楽器が加わるともっと賑やかに響くだろう。
練習に付き合うのはククルだけではなく、高良夫人も高良ミエもにこにこ笑って練習風景を見守っていた。
元気のいい曲だと、聞きつけた近所の人がやって来て、宴会に発展することもままあった。
今日は、比較的おとなしい曲をつま弾いている。ユルの弾く淋しそうな音に、よく合う曲だった。
ユルは歌も上手だった。歌も王府で習ったに違いない。ユルの声は真っすぐで迷いなく、でもやはり少し陰を含んでいる。その陰が何とも言えない味わいを出すので、音楽というのは不思議なものだ。
(でも、意外だなあ)
三線が上手いのは知っていたが、ここまで熱心に練習するとは。ユルは音楽が好きなのかもしれない。
(私って、ユルのこと何も知らないな……)
ユルの過去は、辛いものだった。だから本人が話したがらないし、ククルもあまり聞かないようにしている。たまに、少し淋しくなる。
「明後日から、舞の練習が本格的に始まるねえ」
高良夫人が、ククルに話しかけて来る。
「あ、そうですね……」
夏の終わりに、この島では盛大な祭りが行われる。昨年は座っていただけのククルとユルだったが、今年は本格的に神事や祭りに参加せねばならない。
神事の方はまだいい。問題は、舞だ。
目覚めた兄妹神に踊ってもらえばありがたみが増すと島人一同で考えたらしく、ククルとユルは舞を依頼された。ククルは
(舞、かあ)
夏休みが始まってから、何度か練習したがあまり上手くいかなかった。昔、祖母と母に舞を習った経験もあるのだが、なんとか型どおりに踊れるだけだ。しかも今の型は昔とは少し違う。
明日からは本格的な練習に入る。
(島の人たちの期待に応えるためにも、頑張らなくちゃね)
祭りには、琉球各地からはもちろん大和からも観光客がたくさん来る。島挙げての一大行事――なんとか、成功させたいと強く思った。
その翌日、とうとうククルはユルが玄関を出るところを目撃することに成功した。
「ユル、待ってー! 私も行く!」
急いで草履をつっかけ、ユルに続いて家を出る。すると、ユルは面倒くさそうに振り返った。
「……はいはい」
「やっと捕まった。いつも私の昼寝してる時に行っちゃうんだもの」
「違えるな。オレは、お前が昼寝している時に行ってるんじゃない。オレが出かける時に、お前が昼寝してるんだ」
「一緒じゃん」
「違う」
何のこだわりさ、とククルはむくれる。
ククルも勝手に行けばいい話だが、この前観光客に絡まれたため、一人では出歩かないようにときつく言われていた。
高良夫人やミエに付いて来てもらうのは心苦しく、どうしても遠慮してしまう。だからこそ、ユルと一緒に出かけないと、仲田家に行けないという寸法だった。
さっさと歩くユルを追って、ククルは小走りになる。
強い日差しを、赤瓦が照り返す。白い壁と砂の道が眩しい。抜けるように青い空。今日もいい天気だ。
観光客の団体と行き交った。みんな楽しそうだ。
ククルは目を細めて彼らを見送り、ユルとかなり距離が離れてしまったことに気付いて慌てた。
待って、と呼び掛けてククルは走る。もうユルは仲田家のインターホンを押していた。
迎えに出て来た仲田のおじいさんに、「こんにちは」と挨拶をする。島の神事などで会ったことがあるため、顔は知っていた。
「おや、今日はククルさんも来なさったか。どうぞどうぞ」
招かれ、ユルと共に玄関に上がる。ユルは勝手知ったる他人の家、とばかりに真っすぐ奥の前に進んで行った。ククルも彼を追う。
仲田家の蔵書は、ユルが通うだけあって凄まじい量だった。洋室に本棚がいくつも並べられており、本棚いっぱいに、古書が詰められている。
「古い本ばかりだね」
「そこが、この家のすごいところなんだよ。新しい本なら、他で読めるだろ」
「へー」
よくわからないが、ユルは古書を求めているらしい。
ユルが本を一冊取り、ソファに座って早速広げる。ククルはその隣に座って、本を覗き込む。
(……漢文じゃん)
大陸の文書なのだろうか。
ククルは首を傾げて立ち上がり、本棚を眺めた。適当に、一冊取り出す。これも漢字で構成された本だった。取った本を直してもう一冊取り出す。これまた漢文だった。
「何これえ……」
ククルは諦めて、本を直してまたユルの隣に座った。
その時、仲田の奥さんがお茶を運んで来てくれた。
「暑かったでしょう。サンピン茶、どうぞ。おじいのコレクション、お役に立っているかしら」
「はい。有難いです」
ユルは余所行きの態度と声で答えていた。
「ゆっくりしていってね」
笑いかけられ、ククルは笑みを返す。
奥さんが出ていくと、入れ替わりのようにおじいさんが入って来た。
「どうも、兄妹神様」
彼は急に頭を下げ、ありがたやありがたやとククルたちを拝む。
「お、今日はそれを読んでいるのですな」
「ええ。この前読んだつながりで――」
と、二人はククルにはちんぷんかんぶんな話を始める。話がかなり専門的だ。
(つ、つまんない)
ユルがククルを誘わなかった理由が、ようやくわかった。
帰り道には、もう夕陽が差していた。白い道が橙色に染まっている。
「仲田のじいさんは、漢文学者なんだよ」
歩きながら、ユルが説明してくれた。
「ひええ」
道理で専門的な話をして、あの蔵書を持っているはずである。
「昔は本島の大学で教えてたんだとさ。今は教壇は引退して、本を書いてるそうだぞ」
「すごい人だったんだねえ。何でユルは漢文ばかり読んでるの?」
「言ったろ。他で読めない、買えない貴重な書物ばかりだからだ。大陸のことだけじゃない。昔の琉球のことも、漢文で残ってたりするんだぞ」
「は、はあ」
ユルの理屈がよくわからなくて、ククルは適当な返事をしてしまった。
そういえばユルは漢文が得意中の得意だった。高校で習っている漢文はむしろ簡単すぎるらしくて、百点以外取っていない。
「本、借りないの?」
「貴重な本ばかりだし、あそこで読むだけにしてる」
「へー。でも、ユルが何で私を連れて行ってくれないかわかったよ。あの本、どれも私には読めないもの」
「ほらな」
「で、でもそれなら言ってくれたらいいじゃん!」
「仲田のじいさんが漢文学者なこと、お前が知らないとは知らなくてな。何で付いて行きたがっているのか、よくわからなかったんだ」
「……」
なんだそりゃ、とククルは肩を落とす。ユルは言葉が足りなさすぎる。
「――明日から、舞の練習だな」
急に、ユルが話題を変えた。
「そうだね。正直、不安だけど頑張るしかないよね」
「ああ」
ユルはちっとも不安そうではなかった。ユルの練習風景を見たことがあるが、ククルと違って全く苦労していなかった。舞も習っていたのだろう。
(ユルは、すごいなあ。何でもできるんだもの)
いや、何でもできないといけなかった――ということだろう。優秀だった清夜王子に比肩するよう、相当な努力をしたのだろう。
勉学も、音楽も、舞踊も、武道も。
辛くなかったのだろうか――と、ククルはユルの横顔を見る。こうやって静かな表情をしていると、いつか会ったユルのイチマブイ(生霊)を思い出す。
彼は穏やかな顔をしていた。清夜王子の表情に似ていたのではないかと、ククルは密かに邪推したものだった。
ユルは王宮育ちにしては粗野で、口が悪い。そんな所作や性格はもしや、王子とは違うことを示したかった無意識の発露なのだろうか。
聞きたいけど、聞けないユルの昔。固い絆があると確信していても、まだ聞けなかった。それは、彼が辛い思いをするとわかっているからだ。
視線に気付いたらしく、ユルは面倒そうに見下ろして来た。
「何だよ」
「……ううん、別に。何でもない」
本当は、ユルから話してほしい。こんな辛いことがあったんだと言ってくれたら、ククルは慰めてあげられる。……でも、ユルはそんなことしないのだ。
ククルを信じていないのではなく、誰にも甘えない性格だから。
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