第二話 旅人 4


 翌朝、顔を洗ってから食卓に向かったククルは、高良のおじさんおばさんがいないことに気付いた。


 座しているのは、ユルとおばあさんだけだ。


「……あれ、おじさんとおばさんは?」


「観光客が行方不明らしくて、島人総出で捜索中だ。オレたちも、朝食取ったら手伝いに行くか」


「――え」


 ククルの脳裏に、昨日会った女性が浮かんだ。


「まさか――」


 ククルは青ざめ、ユルに昨夜のことを話した。ユルも、顔色を失った。


「……お前。多分、その人だぞ」


「えっ」


「若い女性って言ってたからな。来い!」


 ユルが立ち上がり、駆け出す。ククルは嫌な想像を押し込めて、彼の後を追った。


 二人が浜辺に着いた時にはもう、島人がビニールシートに包まれた何かを囲んでいた。


「……ああ、ククルちゃんにユルくん」


 高良のおじさんが振り返り、こちらにやって来る。


「見ない方がいい」


 彼の表情だけで、わかってしまう。遺体が引き揚げられたのだろう。


「高良さん。こいつ、昨晩にその女性と会ったようなんだ」


「そうかい……。後で、警察に証言しに行ってもらわないといけないかもしれないね」


 ユルの説明を受け、高良のおじさんは眉をひそめた。


 ククルはじっと、青いビニールシートを見つめ続けた。


(どうして)


 今日来ると、約束してくれたのに。


 がくがくと、足が震える。そんなククルの肩を、ユルが叩く。


「しっかりしろよ。――オレたち、一旦戻ってます」


「ああ、その方がいいね。ククルちゃんの調子悪そうだし」


 高良のおじさんに言づけてから、ユルはククルの手首を掴んで歩き出した。導かれるがままに、ククルも歩く。


「何で、昨日の段階で言わなかったんだよ」


「……ごめん。でも、あの人もう行った後だったし。今日、言おうと思ってたの」


「まあ、オレに言ったからって何か変わったわけでもないだろうけどな……。お前の話では、話した後は考え直したようだったんだろ?」


「うん。今日、うちに来るって約束してくれたのに……」


 また考えが変わり、海に入ってしまったのだろうか。


 とにかく、ククルは止めたつもりだったが止められなかったということだろう。彼女の自殺を――。


 そう考えると、胃がきりきりと痛んだ。




 その後、信覚島の方から警察の増援が来たらしい。彼女の遺体は、信覚島に運ばれて行った。そして、警官の一人が高良家を訪れた。


 見せられた顔写真はまさに、昨日会った女性だった。


「……それで、約束した後に向こうの方に歩いて行ったんです。その後、この――ユルが私を迎えに来て」


「オレが来た時にはもう、彼女はもう見えませんでした」


 昨晩、彼女と会った浜辺でククルとユルは証言をした。二人の証言を聴き、警察官は深く頷いた。


「うーん。とにかく、君――和田津さんが最後の目撃者だね。悪いけど、信覚島の署まで来てもらえないか」


「はい」


「……オレも付いて行く」


 ユルが小さく主張すると、警官は快く頷いてくれた。




 帰りは、夕方になってしまった。連絡船に揺られながら、ククルは腹を抑える。ちょうど、空っぽの胃があるところを。


「お腹空いた……」


「お前、朝食も食べてないもんな」


「食べる気しなくて――」


 水は飲んだが、食べ物はまだ口にしていなかった。


 何も食べていないせいなのか、力が入らない。ずるずると、ククルは窓に頭をくっつける。


「――そんなに、応えたか」


「うん……。あのね、思い出したんだけど――昨日、私たちが帰るあたりで、魔物の気配がしたの。海からだったと思う……」


「何だと? ――なら、魔物のせいなのか?」


「わからない。でも、そうだと考えると……彼女がまた海に入った理由がわかるんだよね。心に闇を抱えた人は、魔物に付け込まれやすい。誘われやすいの」


「なるほどな……」


 ユルは考え込み、顎に手を当てた。


「おじさんたちに、この島で魔物が出たって噂がないか聞いてみようと思うの」


 ククルは呟き、窓の向こうに視線を向けた。


 夕方の海は、夕焼け色に染まっている。いつも通りの、琉球の美しい海。だけど、魔物が棲む恐ろしい海でもある。


 彼女の命を奪ったのは、海そのものなのか、それとも魔物なのか――。




 夕食時、ククルは高良家の人々に魔物の噂がないか聞いてみることにした。


「……実は最近、遭難事件が相次いでいるんだよ」


「えっ」


 高良の答えを聞いて声をあげ、ククルはユルと顔を見合わせた。


「この島だけでなく、ここの諸島全域でね。そりゃあ、今までも海難事故はあったよ。しかし春ぐらいから、ちょいと多くてね。なあ、おばあ」


 話をふられ、神女ノロでもある老婆――ミエが頷く。


「そうだねえ。おそらく魔物だね。だけど海にいるんじゃ、こっちからは手が出せなくてね。一応、島の人には警告を出してたんだよ。夜はなるべく歩かないように、と。他の島の巫女ユタも警告を出してるはずだよ。でも、観光客が言うこと聞くわけもないからねえ。被害者は観光客ばっかりだ。それもどうしてか、女ばかり」


「なるほど……」


 ククルは頷いて、ゴーヤの漬物を口に運んだ。


 春ぐらいから、というとちょうどククルとユルが信覚島に行ってしまった後だ。もちろん、何度かはこの島に戻って来てはいたが。


 信覚島での事故は耳にしていなかった。信覚島付近には、まだ出ていなかったということだろうか。


「私とユルで、魔物退治ができないか試してみます」


「しかし、ククル様。いつ出るかもどこに出るかもわからず、夜の海から引き込むような魔物ですよ。どうやって退治するというのです?」


 ミエは弱り切った表情だった。彼女もノロとして、頭を悩ませたのだろう。しかし、諸島一帯に現れるというのは広範囲すぎる。彼女や他のノロおよびユタにはどうにもできなかったのだろう。


「うーん……時間かかると思うけど、何とかやってみます」


 何かできるとしたら、古の力を保持している自分たちにしかできないだろう、とククルは確信していた。


(まあ……私の命薬は退治には使えないだろうけど)


 ユルの天河は、魔物を斬る。あの力が役に立つはずだ。


 今はまだよくても、被害がずっと続けば観光客が減ってしまい、島人の生活が脅かされてしまう。そんな事態を回避するためにも、この夏休みを利用して魔物退治をしようとククルは決めたのだった。

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