第九話 王子 3




 同じ姿、同じ名前。不気味がってもおかしくないのに、清夜しょうや王子はいつでもユルに優しくしてくれた。ユルの呼び名をくれたのだって、清夜だ。


「影武者に名前は要らないって、父上も伯母上も言ってたけど……同じ名前だと困るな。そうだ、僕はショウという愛称で呼ばれているから、君はユルでどうだろう。それだと、二人会わせて“清夜”になる」


「あ、ああ……」


 初めて会ったのは、互いに六つになった時。それまで聞得大君の元で隠れるようにして生きて来たユルに、そっくりな顔をした清夜王子の優しさは温かく染みた。


 聞得大君は、ユルをぞんざいに扱っていたわけではないが、時折顔を見に来るぐらいで――そもそも、情に薄い人であった。


 王も最初は驚いていたが、聞得大君に影武者の必要性を説かれて納得してしまったようだ。




 その日から、ユルはショウの全てを真似出来るように訓練をした。


 元々、勉学は家庭教師に習っていた。だがやはりショウの習うそれは王府最高のものであり、ユルは勉学でショウに並ぶことを要求された。


 ショウの家庭教師はりんという、大陸から来た好々爺のような風貌の学者だった。


 あらゆる言語に長け、更に帝王学の知識をもって大陸にある大国の皇帝から表彰されたというこの人物を、琉球王は思い付く限りの伝手を全て使って本国に招いたのだという。


「父上は、とても僕に期待しているのさ。期待は重いけど――僕を奮い立たせてくれる。立派な王になるよ」


 清夜には、期待に応えなくてはと義務感に燃えている節があった。正妃ではなく、側室の子だったからだろう。


 正妃には男児が生まれなかったため、側室の子であるショウが次代の王に抜擢されたのだが、そういった背景があるだけにショウの母親への風当たりはきつく、心労が祟って亡くなってしまったらしい。


「おやおや、話には聞いていたが、本当にそっくりだねえ、君達は」


 倫はにこにこ笑って、ユルとショウを見比べた。


「影武者としてお役に立てるよう、努力します。ご指導のほど、よろしくお願いします」


 堅い声で告げられた宣言に、倫は少し哀しそうに眉を下げた。


「君は……いや、何でもない。――君のかつての教師から、君のことを聞いたよ。賢い子なんだとね。私の知識を、王子と共に受け取っておくれ」


 倫はユルのことを見下したりせず、ショウと平等に扱ってくれたのだった。




 倫は頭が良いだけではなく、性根が真っ直ぐな好人物だった。ユルが心を許すのに、そう時間は掛からなかった。


「――ユルくん。君はこのままで、良いのかね?」


「はい?」


 書き取りの練習をしているところだったユルは、不審そうな目つきを隠しもせずに顔を上げた。この時、ショウは式典に出席していたため不在で、珍しくユルは倫と二人きりだった。


「良いって、何が?」


「影武者として生きて行くこと。それで良いのかね?」


 筆を止め、ユルはうつむいた。我ながら上手く書けたと思った漢字を眺める。ショウの筆跡を真似た、素人では見分けが付かないほどにそっくりになった字だ。本来の自分の字では、ない。


「オレは、そのために生まれたんだ」


「……でも、君は一人の人間だ。ショウくんと姿が同じでも、所作をどんなに似せても、君は違う一人の人間だ。個性を押し殺して生きて、それで良いのかね?」


「何で先生、そんなことを言うんだ。王族に影武者なんて、珍しくもないだろう。そいつらの生き方をいちいち、そうやって否定してるわけ?」


 動揺を悟られるのが嫌で、わざと鋭い口調で言い返す。


 倫は怒りもせず、哀しげに笑った。


「いいや。ただ、君自身が満足しているように見えなかったからね。本当は、嫌なんじゃないかと思っただけだよ」


 倫はそっと自分も筆を取り、白い紙に見事な文字を書き綴って行った。


「君は、聞得大君がどこからか連れて来た子だというが……本当は何者なのかね?」


 倫の何もかも見透かしたようなような目に、ユルはごくりと息を呑んだ。


「約束する。誰にも言わないと。だから――もう、楽になっても良いんじゃないか。この老いぼれ一人ぐらい、君の秘密を知っていたって良いんじゃないか」


 もう、我慢出来なかった。誰にも言えなくて、心が詰まって仕方がなかった真実をこれ以上、抱えきれなかった。


 だから、ユルは散々迷った挙げ句、口を開いた。


「……先生、神様って信じる?」


「ああ……。私の故郷とは違う神々だが――存在は感じるよ。この島には、神気が満ちているね。とても濃いよ」


 嘘を言っているような口調ではなかった。だからこそユルも、自分が持つ最大の秘密を告白することが出来たのだった。


「オレは……聞得大君曰く、聞得大君と神の子なんだって……。影武者にするために、授かった子だって」


 倫は絶句していたが、しばらくして大きなため息をついた。


「そういえば、昔……聞得大君がしばらく体調不良のために、一年ほど別所で療養していたと王が仰っていたな……。そう、だったのか。一体、どういうおつもりなんだろうね」


「さあ。王の役に立ちたかったとか、言ってたけど」


「ふむ。そこまで仲が良さそうには見えなかったが」


 王と聞得大君は仲睦まじい姉弟ではなく、むしろ互いに煙たがっている節があった。


「そのために生んだと聞かされたら、なるほど君は抵抗出来ないだろうね」


「はい」


「そうか……。このことは無論、私の胸に仕舞っておくからね。もしまた悩みがあれば、いつでも言いなさい」


「……はい」


 ただ、秘密を知る人が一人増えただけなのに。ユルは、自分でも驚くほど心が軽くなっていることに気付いた。




 ショウとユルが十二になった時――あの、悲劇の一日がやって来た。


 それは、粘つくような雨が降る夜だった。


 人が走り回る音と、叫び声。音の洪水に呑まれそうになりながら、ユルは食糧庫の片隅に隠れていた。


 冷たい涙が、頬を滑り落ちる。静かに、ひっそりと、ユルは泣いていた。


 誰にも見付かりませんように、と願いながら身を縮めて時が過ぎるのを待っていたが――とうとう、倉庫の戸が開かれた。


 だが、聞こえた声は恐れていたものではなかった。


「ユルくん、ここに居たのか!」


 松明を片手に、倫はうずくまるユルに駆け寄って来た。


「どうしたんだい……? ああ、訃報を聞いたんだね。そう自分を責めるものじゃないよ」


 ショウを守り切れなかった自分を責めているのだと解釈しているらしい倫を見上げ、ユルは首を振った、


「違うんだ、先生」


「うん?」


「王子を殺したのは、聞得大君の差し向けた刺客なんだ――」


「何だと?」


 倫は青ざめ、ユルの手を掴んだ。


「聞得大君が言ってたんだ! 全ては、オレを王にするためだったって!」


 衝撃的な告白に、いつも平静な倫も唇をわななかせて、しばらく何も喋らなかった。


「オレは逃げて来た。そんな、身代わりにはなりたくないって――! でも、捕まったら引き戻される! 清夜にされる!」


「君は……知らなかったんだね」


「当たり前だ! そんなこと企んでるって知ってたら、影武者の修行なんかやってなかった!」


 そっと倫の手が肩に置かれる。


「かわいそうに……」


「先生、ここでオレを見たことは内緒にしてくれ。人気が無くなったら、ここから出て行くから――」


 ユルの決意を聞いて、倫は首を振った。


「それはだめだ。君は城の中しか知らないだろう。一人で生きていけると思っているのかね?」


「だけど! ここで生きて、ショウに取って代わるなんて嫌だ!」


 必死に抵抗するユルを見下ろし、倫はため息をついた。


「誰も、逃げるなとは言っていないよ。ただ、一人はだめだと言ったんだ。私も――付いて行こう」


「何を言ってるんだ、先生。そんなこと出来るわけ……」


「私は旅のすべだって知っている。君一人で行くよりはずっと心強いだろう? さあ、立つんだ。君は留まりたくないのだろう」




 それから、二人きりの旅が始まったのだった。



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