第一話 覚醒 3


 そして放課後、ククルは美奈と綾香と共に学校を出た。少し大きな商店街で、雑貨屋を覗く。


 美奈と綾香は何を見ても「かわいい」を連呼していたので、ククルも見習ってなまこの置物に「かわいい」と言ってみる。


「か、かわいいか?」


 しかし、綾香は引きつった笑みを浮かべていた。


(しまった。これはかわいくないのか……)


 現代の感覚は難しい、と反省する。


「あ、ねえねえ和田津さん!」


 話題を変えるかのように、綾香が大きな声を出す。


「和田津さんって、雨見くんといつも一緒に登下校してるよね?」


「雨見……あ、ユルのこと? うん。下宿先が一緒だから」


 なぜここにユルの話題が、とククルは驚き周囲を見渡した。もちろん、ユルの姿はない。


「親戚なんだっけ?」


「う、うん」


 親戚――そういうことになっていた。一応形式上は兄妹になったのに、どうしてカジはユルとククルに別々の苗字を遺したのかが不思議ではあったが――。


(まあ、私の祖先が海の神様でユルのお父さんが空の神様なんだから……親戚と言えないこともないのかな。いや、ちょっと違うか)


 考え事をしているククルに、綾香は構わず続ける。


「実はさあ、美奈が雨見くんのこと気になってるみたいなんだよね」


「気になってる……?」


 ユルってば、意地悪でもしたのだろうかと眉をひそめ、美奈の表情を見て驚く。彼女は少し、顔を赤らめていた。


「和田津さんって、雨見くんとはただの親戚なんだよね?」


 綾香に問われ、ククルは少し迷いながらも「うん」と答えた。


「よかったら、この子に協力してあげてくれないかな! 取り持つっていうか、さ」


 ぐいぐいと押し切られ、ククルは頷くしかなかった。


「ごめんね、和田津さん。綾香ってば強引で」


「何さ。あんたが自分から言わないから、あたしが言ってあげてるんでしょー?」


 二人は本当に仲がいいようだ、とやり取りを見ながらククルは感心する。


「あの……どうして、ユルを?」


 尋ねると、美奈は控えめに微笑んだ。


「この前……私、廊下で思い切りころんじゃったのね。恥ずかしくて大慌てで立ち上がったんだけど、その時は廊下に男子がたくさんいて……大笑いされたの。そこで、雨見くんが“何がおかしいんだよ”って一言言ってくれたの。おかげで、笑いが止んで……。それがきっかけ、かな」


「……へえ」


 ユルが、そんなことを。


「そうなんだ。それで、かあ」


 ククルが呟くと、綾香が大笑いした。


「意外そうだねー。親戚だから、気付きにくいのかもしれないけど、雨見くんって結構もてると思うよ。イケメンだし」


(いけめん……)


 知らない単語が出て来た。大和語だろうか。


「とにかく和田津さん、よろしくね! ほら、美奈!」


「……うん。いきなりごめんね。できたら、でいいから」


 美奈は、小さく頭を下げた。彼女の可憐な花のようなたたずまいに見とれ、ククルはこくりと頷いた。




 家に帰ると、居間にユルがいた。椅子に座って、何やら本を読んでいる。


「ただいま……」


 ククルが声をかけると、ユルは小さく頷いた。


「遅かったな」


「うん。買い物して、かふぃー飲んで来たから」


「ふうん」


 ユルは本を閉じ、ククルを座ったまま見上げる。


「さっき、高良のばあさんから電話あってさ」


「ああ、ミエさんね」


 高良ミエは御嶽うたきを守る、現在のノロである。蘇ったククルとユルを見つけた人でもある。


「島の人が、そろそろオレたちに参りたいんだとさ。今週末ぐらいに帰って来てくれないかって。お前、特に用事ないよな?」


「うん。いいよ。用事ないし」


 ククルは、ためらいなく頷いた。


 一応確認しているが、ユルはもう「行く」と返事をしたのだろう。


 ククルとユルは、ニライカナイから帰って来るまでずっと眠っていた。体は冷たくとも、心臓が動いていたその体を島人たちは御神体として崇めていたらしい。


 兄妹神の御神体だと――。


 二人が目覚めた後も、生き神様だと有難がって参って行く人は後を絶たなかった。


「決まりだな。じゃ、伊波の親父さんとおばさんには夕食の時にでも言うか」


 伊波家は共働きなので、夫妻はこの時間帯はいつもいない。


「そうだね。おばあさんは?」


「ばあさんなら昼寝してる」


 道理で家の中が静かなはずだ、とククルは納得する。


「ユルに、お土産買って来たよ。お洒落なお店で買った、くっきい」


 鞄からごそごそと小袋を取り出して、ユルに渡した。


「……どうも」


「どういたしまして!」


 ククルはしばらく待っていたが、ユルはクッキーを開ける様子もなく本をめくっていた。


「……くっきい、嫌い?」


 思わず聞いてしまう。カフェで食べたクッキーがあまりにおいしかったので、ユルにも食べさせたいと思い、持ち帰り用として売っていたクッキーを買って来たのだ。


「あんまり――甘いものは好きじゃねえな」


「……そう」


 ククルはがっくり肩を落とした。


「でも、それ本当においしかったんだよ。食べてみてよ」


「はいはい」


 ユルは小袋の包みをぴりっと破って、中を覗いた。


「熊のクッキーって……お前らしいな」


 皮肉気味に笑って、ユルはクッキーを口に運んだ。


「おいしい?」


 前のめりに尋ねると、ユルは頷いた。


「うまい」


「よかったよかった」


「でも、オレ甘いものたくさん食えないから。あとはお前が食べろよ」


 袋を渡されて、ククルは戸惑いがちにユルを見た。ユルは口を動かしながら、本の頁をめくっている。


(……失敗だなあ。まあ、おいしいくっきいをまた食べられると思えばいいか)


 ククルは手元の袋を見下ろし、小さくため息をついた。


 ニライカナイから帰って来て、新しい生活が始まった。適応能力に欠けるククルは戸惑ってばかりだった。そんなククルを助けてくれたのは、ユルだ。自分も適応するのに大変だろうに、置いて行かないで気にかけてくれている。


 相変わらず態度は素っ気ないし、愛想もないけれど。


 クッキーを買ったのは、お礼の気持ちもあってのことだった。


(好きじゃないもの渡してしまったら、逆効果だよね)


 少し落ち込みながら、ククルは自室に帰るべくその場を後にしようとしたが――ふと、思い出した。


「あ、そうだ。ねえねえ、大和語の質問していい?」


「大和語? 何だよ」


「あのねえ……いけめんって何?」


「イケメン?」


 ユルは反復して、「ああ」と思い至ったようだ。


「大和語の俗語だな。男前、の俗語版みたいなもんだ。男に対する誉め言葉」


「へーっ!」


 なるほど、と納得してククルは腕を組んで綾香の言葉を思い出した。


 綾香は、ユルのことをいけめんだと言っていた。とすると、ユルは男前だ、と言っていたのか。


 ちらっと、また読書の世界に戻ってしまったユルを見やる。


 背が伸びて、顔つきも大人っぽくなったユルは――たしかに、贔屓目を除いても男前に見えた。王子様とそっくりな姿に生まれたというし、当然かもしれない。育ちがいいせいか、どこか高貴な雰囲気もある。


(でも、ユルだしなあ)


 女嫌いでククルに意地悪ばかり言っていたユルが記憶にあるせいか、彼に憧れている女性がいるという事実は、にわかに認めにくかった。


 動かないククルが気になったのか、ユルが胡乱げな視線を向けて来た。


「……何なんだよ」


「う、ううん。何でもない。私、着替えてこよっと」


 多少わざとらしく口にして、ククルはようやくユルから離れた。

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