第一話 覚醒 4


 土曜日の朝、ククルとユルは連絡船に乗ってククルの故郷である島に向かった。


「でも、便利になったよねえ。昔ならもっとかかったのに」


 連絡船の座席に座ってすぐ、ククルは隣席のユルに話しかける。


「……そうだな」


 窓際に座ったユルは、ぼんやり外を眺めていた。


「正直、まだ付いて行けないんだよね。こんなに世界が変わって……」


 ククルは、ちらっとユルの横顔を見る。


「ユルは、戸惑わないの?」


「――戸惑うさ。でも、お前よりはましかな。王府で新しい技術や海外のことも見聞きしてたし」


「……なるほど」


 ユルは、ククルよりも見聞が広かったということだろう。


 船が発進し、体が揺らぐ。ククルはそこでふと、話題を変えた。


「ニライカナイのこと、全然思い出せないね」


「そうだな」


「何年ぐらいいたんだろう?」


「体の年齢を考えると、二年はいただろうが……そんなに長くいた気はしないんだよな」


 ユルは顎に手を当て、眉をひそめた。


「私も……。でも、時間は二年経ったんだよね?」


「もしかしたら、行き来した時間が二年ということかもしれないな。行きに一年、帰りに一年とか」


「なるほどね……」


 しかし、二人とも覚えていなかったので、あくまで推測だった。


 また沈黙が下りたので、ククルは言おうと思って忘れていたことを言うため、口を開いた。


 取り持ってくれ、と言われたことを思い出したのだ。


「あのさ、ユル」


「何だよ」


「ユルってまだ、女の人苦手なの?」


「……」


 ククルの質問を不審に思ったのか、ユルは顔をしかめてククルを見た。


「何で、そんなこと聞くんだ?」


「な、なんとなく。昔、苦手って言ってたじゃん? そういえば、どうして苦手なの?」


「……お前、オレの母親に会ったろ。あれで女嫌いにならない方がおかしい」


「たしかに、そうだね」


 ユルの母親――聞得大君を思い出す。更に、彼女に付き従っていた化生のウイも女性だった。


(あの二人が傍にいたら、女性が苦手になっても仕方ないか……)


 ククルは不思議と納得してしまった。


「今もまあ……苦手と言えば苦手だな。あの女に似た女を見かけると、身構えるし」


「そう……なんだ」


 ユルは今も、引きずっているようだ。しかし仕方ないだろう。時が経っても、あの出自はユルを苦しめ続けるだろう。


「じゃ、じゃあ彼氏欲しいと思う!?」


 言いにくいことを勇気を出して言ったせいで、思ったより大声になってしまった。


 近くに座っていた乗客が、驚いたようにこちらを見て来る。


(……しまった。しかも、間違えた)


「彼氏?」


 案の定、ユルはぽかんとしている。


「間違い! 反対! 彼女!」


 大声で訂正すると、前の方に座っていた乗客も振り向いた。


(ああ、恥ずかしい。でも、取り持つためにはユルの姿勢を確かめる必要があるもんね)


 赤い頬を抑えて、ククルはユルを見る。


「何なんだよ、いきなり」


「いいから!」


「――今は、そんな暇ないな」


 ユルは素っ気なく答えて、顔を窓に向けてしまった。


(今は、ってことは……いつかは、ってことかな?)


 望みなしではなさそうだ。美奈に伝えたら、喜んでくれるだろうか。


 ちらっと横目でユルを見る。完全に窓の方を向いてしまっているので、彼がどういう表情をしているか確かめられない。


 ユルはこの世界にも適応しているから、この先も上手くやっていくだろう。


 ふとククルは、ユルと美奈が歩いている光景を想像してみる。


(お似合い――なのかな)


 控えめで儚げな美奈は、同性の目から見ても美しい少女だ。優しい性格だし、ユルの孤独を癒してくれそうだ。


(でも、淋しいな)


 ククルとユルは、二人ぼっちで二人きりで時代を越えて来た。そんな、相棒とも言える存在が誰かと交際し結婚してしまうというのは、淋しかった。


 きっとこれは、ティンが婚約した時と同じような感情なのだろう。なら、いつか祝えるだろう。ティンとトゥチの婚約を祝福できたように。


 ユルには、幸せになってほしかった。彼の過酷な運命を知っているからこそ。




 島に着き、ククルとユルは高良家に向かった。


 高良夫妻は大層歓迎してくれた。


「ごめんなさいねえ、忙しいのに。島の人がもうみんな待っててね。呼んで来るから、その間に着替えてね。おばあちゃんは御嶽うたきで待ってるよ」


 高良夫人はそう言い残し、島の人に知らせるべく出て行ってしまった。


 高良家にも、ククルとユルに宛がわれた部屋があった。


 ククルは自室に入り、置かれていた着物を手に取る。


琉装りゅうそう、久しぶり)


 着慣れた服に着替えると、ホッとした。もっとも、ククルが以前着ていた着物よりもずっと上等な生地でできたものであるが。


 それでも、洋装よりもずっと馴染んでいた。


 部屋を出ると、ちょうどユルも着替え終えて出てきたところだったらしく、廊下で鉢合わせた。


 琉装姿のユルも、久しぶりだった。


 一瞬――自分たちが生まれた時代に戻ったかのように、思う。しかし、それはもちろん錯覚だ。


「どうした?」


 ユルに声をかけられて、我に返る。


「何でもない。行こう」


「ああ」


 二人は肩を並べ、玄関へと向かった。




 たくさんの人たちが御嶽に来て、ククルとユルに参って行った。


「神様。あたし、この前触れられると腰がましになってねえ。またお願いしますよ」


 ククルは、そんな老婆の腰を優しくさすった。


(効果、あるのかなあ)


 ニライカナイから帰って来て、兄妹神の力は使えなくなった。癒しの力も、攻撃の力もなくなった。


 それでも、島の人たちは二人を生き神だと崇める。彼らにとって、何百年も眠っていたのに目覚めた御神体そのものが、奇跡なのだろう――。


 さすり終えると、老婆は「ありがとうございました」と礼を言って下がった。


「いやあ、ありがたやありがたや。わしも触らせてもらいますぞ」


 次に並んでいた中年の男性が、ふとククルの胸元に手を伸ばす。それを見咎めユルが、ぱんっと手を払った。


「……どさくさに紛れて何やってんだよ、オッサン」


「い、いやあ。有難いお体に触れようと」


「じゃあ握手でもしてろよ。今度やったら、ぶちのめすぞ」


「ひいっ! すみませんでした!」


 ククルはぽかんとして、ユルと男性とやり取りを見守っていた。


「お前も、ちょっとは警戒しろ」


 ユルに忠告されて、ククルは小さく頷いた。




 参拝を終え、二人は高良家に帰った。


 帰ってすぐ、高良ミエがククルとユルを床の間に呼んだ。


「すみませんねえ。実は――この前、御嶽を整理してたんですよ。お二人の昔の着物を畳み直していたら……」


 もう御神体がない御嶽には、代わりのようにククルとユルの着物が祀られている。


「こういうものが、出て来てねえ。何か覚えはないですか?」


 ミエが差し出したのは、二つの首飾りだった。一つは金の鎖に、海のように青い宝石がついている。もう片方は、銀の鎖に紺色の宝石だ。青い宝石の内側では、青がゆらりと揺らぐ水面のように動いていた。紺色の宝石は内で星が瞬くように銀の光がきらめいている。


「……何、これ」


 ククルは二つの首飾りを見下ろし、息を飲む。


 明らかに、不可思議な品だ。


「ユル、これ覚えてる?」


「いや、全然。でも、あの着物の傍にあったっていうんなら……オレたちが持って帰って来たってことか? どうして今まで気付かなかったんだ?」


 ユルは顔をしかめ、夜空のような首飾りを手に取った。


「明らかに、この世界のものじゃないよな」


「うん……。ニライカナイのものだよ、きっと」


 宝石の中で渦巻く海、瞬く星。現世で作れるものではないだろう。


 ククルとユルは少し青ざめて、顔を見合わせた。




 豪華な刺身料理が振舞われたが、食事中もククルは上の空だった。それはユルも同じだった。首飾りのことが気になりすぎていたのだ。


 ククルは風呂に入った後、ユルの部屋を訪れた。


「ユル。入るよ」


 戸を叩くと「ああ」と短い応答があった。


 戸を開き、部屋に入る。ユルは窓際に腰かけて、ぼんやり夜空を眺めていた。先に風呂に入ったユルの髪は、まだ濡れていた。今は髪を束ねていないので、濡れて艶を増した黒髪が肩にかかっている。いつもと髪型が違うだけで、違う人のように見えた。


 ゆっくりこちらに顔を向け、ユルは首を傾げる。


「お前、何持ってんの」


「三線。弾いて弾いて」


「何でだよ。高良のおじさんに頼めよ。名手だろ」


「今日は、ユルの三線が聴きたいの!」


 我儘を言って、ククルはユルに三線を半ば無理矢理渡す。


 渋々受け取り、ユルは調弦を始めた。


 ククルは床に座り、懐に持っていた首飾りを取り出す。


 爪弾かれる三線の音に耳を傾けながら、ククルは不思議な首飾りを見つめる。


 ユルが弾いているのは、聴いたこともない曲だった。本島の民謡だろう。


 ぼうっとして聴いている内に、曲が終わる。


「――で? お前はそれをどうしたいんだ?」


 問われ、ククルは顔を上げた。


「……着けてみようかな」


「着ける?」


「うん。何か、思い出すかもしれない。……私は、こっちだよね」


 ククルは青い首飾りを首にかけた。ユルも続いて、三線を置いた後にククルの手からもう片方の首飾りを受け取り、それを着けた。


「……」


「……」


 何も、起こらなかった。記憶も戻らなかった。


「ただの、お土産かなあ」


 ため息をついて、ククルは首飾りを外そうとしたが――


「大変だ、ユル」


「何が?」


 ユルは青ざめたククルを見て、不思議そうな顔をしていた。


「首飾り、外れない」




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