第一話 覚醒 2


 月の明るい夜だった。まばらにある街灯のおかげもあって、苦労することもなく寝静まった町を歩く。


 人気のない草原まで来て、ユルはようやく足を止めた。


「……ま、ここならいいだろう」


 大きな木の近くに腰かけ、幹に体を預ける。ククルは迷った挙句、ユルの隣に座った。


 手早く調弦をしてから、ユルは三線を弾き始めた。びん、と音が夜空に響く。


 ククルは音に耳を傾けながら、目を閉じる。


 懐かしい、ククルの故郷――八重山諸島に伝わる民謡だった。歌がなくとも、わかる。


 ユルは本島出身なので本島の民謡を弾くのかと思ったが、ククルの故郷……ひいてはカジやトゥチの故郷に伝わる民謡を敢えて選んでくれたことに、じんと感動してしまう。


(ユルも、悼んでくれているのかな)


 カジやトゥチ、そしてもちろんティンのことも――。


 ユルの奏でる音はやはりどこか淋しくて。でも、その哀しそうな音はこの夜と痛みにぴったりだった。


 曲が終わり、ユルが手を止める。


 ぱちぱち、とククルは拍手をした。


「本当に上手だね、ユル。誰に習ったの?」


「王府で、一流の先生に習った」


 素っ気なく言われて、ククルは肩をこわばらせた。


 王府……ユルが思い出したくないことを、思い出させてしまっただろうかと反省する。しかし、ユルは特に怒りも見せずに空を仰いだ。


「でも、この民謡はさっき弾き方を習ったばかりだ。……お前、この民謡知ってるだろ?」


「え? う、うん」


「お前やオレが生きてた時代から、伝わって来た曲ってことだ」


「……そう、なんだ」


 相槌を打ちながら、ククルは涙を堪えた。


「ありがとう、ユル」


「……ああ」


 素っ気なく返事をして、ユルは三線を抱く。


「できれば、今度は歌つきで聴きたいな」


「調子乗んな。オレは、歌詞は覚えてない。……お前が歌えばいいだろ。ほら、演奏してやるよ」


 返事も待たずにユルはまた、あの民謡を弾き始めた。


 慌てながらも、ククルは記憶を呼び覚まして小さく歌った。


「……微妙だな」


 ユルの評価にムッとしながらも、続ける。そうして目を閉じていると、かつての光景が蘇って来るかのようだった。


 ティンがいて、トゥチがいて、カジがいて。


 ああ、とククルは自らの心を振り返る。


(淋しかったんだ――)


 自ら決断してニライカナイに渡った。覚悟をしていたとはいえ、帰って来ると以前いた時から数百年も経ってしまった。忙しさにかまけて気付かないふりをしていたけど、なかなか受け入れられなかったのだ。


 歌が終わると、伴奏も少し経って終わりを告げた。


 ふと、ユルの静かな横顔を見やる。もう、ユルだけだ。ククルのことを昔から知っている人は。


 ティンもカジもトゥチも、父母も祖母も――島の人も、もうみんな死んでしまったから。


 不安になって、ククルはユルに手を伸ばす。するとため息をついて、不本意そうにしながらも手を握ってくれた。


 そこで、ククルはずっと不思議に思っていたことを思い出した。


「ねえ、ユル」


「なんだよ」


「……ニライカナイにいた時のこと、覚えてる?」


 すると、ユルは少しの間を経て首を横に振った。


「いや……。お前も、覚えてないだろ」


「うん。不思議だよね――」


 帰って来た直後は、少し覚えていたように思う。しかし、時が経つごとに手から砂が零れ落ちるようにして忘れてしまった。


「あそこは異界だからな……。記憶を持って来られなかったんだろう」


「そうだね……」


 ニライカナイにいた時、神々と何かを話したはず。でも、覚えていない。まるで空白の時間だった。


 そして戻って来たら、数百年が過ぎていた。驚くほど文明が発達し、言葉も変わって……。


 ユルが、ククルの手を強く握り直す。


「仕方ない。お前もオレも、付いて行くので精いっぱいだ。戸惑って、当たり前なんだよ」


「……ユル」


 ククルは零れ落ちそうになった涙をどうにか堪え、震える声を絞り出した。


「ごめんね」


 辛いのは、ユルだって一緒だ。


「めんどくさいから謝るな。……ほら、帰るぞ」


 手を放して、ユルは立ち上がる。ククルも立ち上がり、星空を仰いだ。瞬く星は、数百年前と変わらない。


 少し、気分がすっきりしたようだ。


 歩き始めたユルを追って、ククルは足を踏み出した。




 翌日の休み時間中、ククルは教科書を睨んでいた。次は大和語の授業。大和語は、まだまだ苦手だ。


(でも、読み書きできてよかったなあ)


 ククルの家は神事を司るからか、子供たちは幼い頃から読み書きを教えられた。かつて指導者的な地位にあったせいもあるのだろう。他の島人で読み書きできる人は少なかった。


 ククルには、ティンが教えてくれたのだった。


 ククルが覚えていたのは琉球語の――それも八重山方言のものだけれども、全くできないよりはましだろう。


「……はあ」


 兄に優しく教えてもらった記憶が蘇る。あの頃の記憶は、今も大切だ。


 色々な事情を知った後だと、ティンの注いでくれた優しさが益々染みる。


 最後まで、魂を犠牲にしてまで助けようとしてくれた。思い出すと、涙が溢れそうになる。


「和田津さん?」


 呼びかけられて、ククルはハッとして顔を上げた。まだ和田津という苗字に慣れないので、少し間が空いてしまったが。


「大丈夫? 泣きそうな顔してたから」


 心配そうにククルを見下ろしていたのは、級友の女子二人だった。


(……ええと)


 残念ながら、名前は憶えていなかった。


「だ、大丈夫」


 どうにかそれだけ答えて、ククルは笑ってみせた。


「そう? ねえねえ、和田津さん。今日一緒に買い物行かない?」


 誘われて、ククルはぽかんと口を開けてしまった。


「買い物?」


「うん。和田津さんと仲良くなりたいなって、あたしも美奈も思っててさ」


「そう。綾香と一緒に誘ってみたの」


 髪が茶色い子が綾香、もう一人の大人しそうな子が美奈というようだ。


「う、うん! 今日ね! わかった!」


「それじゃあ、決まりね。また後で詳しいこと決めよう!」


 綾香に手を振られ、ククルはぎこちなく手を振り返した。


 当たり前だが――ククルは、クラスに馴染めていなかった。仲間外れにされているわけではない。ただ単に馴染めないのだ。


 島の子供と遊ぶのが苦手で、ティンに構ってもらってばかりいたせいもあるのだろう。同世代の友人といえば――彼が友人と言えるのなら――ユルしかいなかった。


(友達、できるのかな)


 ククルは、ほうっとため息をつき、教師が入って来たことを確認してから教科書をめくった。




 授業が終わってしばらくしてから、ククルはふと思いついた。


(ユルに、言わなくちゃ)


 いつも一緒に帰っているので、事前に言っておこうとククルは席を立った。


 ユルは隣席の男子と話しているところだった。ククルと違って、ユルは学校で意外に社交的にふるまっていた。


(そういえば……私やカジ兄様にはつっけんどんな態度だったのに、船員さんとかとはにこやかに話してたっけ)


 どういう局面でユルの社交性が発揮されるのか、ククルはよくわかっていなかった。しかし、ククルより世渡りが上手いことはたしかだろう。


「……ユル」


 後ろから声をかけると、ユルが不思議そうな顔で振り返る。


「何だ?」


「今、いい? 話の邪魔して、ごめんなさい」


 隣席の男子に謝ると、にっこり笑って頷いてくれた。いい人だ、とホッとする。


 ユルは黙って、ククルを見上げている。


 別に場所を移動することもないだろうと思って、ククルは口を開く。


「今日、クラスの女の子たちと買い物して帰るから」


「買い物?」


「うん。だから、先帰ってて」


「……わかった」


 ユルはそれだけ言うと、首を元に戻してしまった。また隣席男子との話に戻ってしまう。


 ククルは「うん、伝えた」と心の中で呟いて、自分の席に帰った。


 しかし、ユルの反応はどうしたことだろう。


(ものすごーく、不思議そうだった。私に友達なんかできっこないって、思ってたんだ)


 多少被害妄想がちに思いつつ、ククルは次の授業の教科書を開いた。


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