第十二話 姉弟

 食いしばった歯から、息が漏れた。


「ククル!」


 名前を呼ばれたおかげで、遠のきそうになった意識が戻り、ユルの顔が視界に飛び込んで来る。


「い、たい……」


 腹に手を当てると、ぬるりとした液体が指に付着する。それが何かは、見なくても鉄臭さでわかる。


「当たり前だ、馬鹿!」


「馬鹿は、ユルだよ。何でこんな……殺されるようなことを」


「良いから、オレに力を貸せ! 治すから!」


「う、うん」


 ククルは震える手で祈った。すぐに燐光を帯びたユルの手が当てられ、痛みが薄れていく。


 そしてようやくククルは、王が呆然としてこちらを見下ろしていることに気付く。


「何だ、その……不気味な力は」


 ククルは目を見張ったが、ユルは特に驚いていなかった。


「兄妹神の力だよ。私もユルも神の血を引くから――」


「そんなことを聞いてはおらん! 神の血だの何だの、馬鹿馬鹿しい!」


 大声を聞き付けたのか、「失礼します! 御無事ですか!」という声と共に護衛と思しき武官が、どかどかと部屋に入って来た。


「大事ない。下がれ」


「しかし」


「下がれと言っておる!」


 王の剣幕に負け、護衛はまた元通り出て行ってしまった。


 王は何事もなかったように、二人を無感動に眺める。


「そっか……。どうしてあんなに聞得大君が神の力にこだわったか、わかった気がする」


 ククルの発言に、王が眉を上げた。


「何の話だ?」


「あなたは、神の力を信じてないんだ。それどころか、汚らわしく思っている」


「――汚らわしいとは思ってはおらん。だが、今の時代に霊力セヂなど要らぬ。なのに――くだらぬ理由で、姉はお前を生み……清夜を殺したと言うのか!」


 王の怒りは収まっていなかったらしい。彼が刀を振り上げたので、ククルはまたユルにしがみつく。


「ククル、放せ」


「絶対、嫌。せっかく助かったのに、王様に殺されようなんて――馬鹿すぎるよ! 陛下も、よく考えてください! 誰が悪いの? 少なくとも、ユルが悪いわけじゃない!」


 ククルはまだ完全には癒えていない傷口を片手で抑えながら、王の目を真っ直ぐに見据えた。


「聞得大君が、どうしてそこまで血や霊力にこだわったのか――私は知らない。だけどなんとなく、あなたにも一因があると思うよ!」


「ククル、止めろ」


 ユルは制し、また頭を下げた。


「ごめんなさい。……生まれてしまって……」


 あまりにも哀しいその台詞に、王は虚を突かれたように動きを止めた。


「オレは、清夜の代わりなんてしません。オレも、もう死んだことにして下さい。清夜が死んだこと、国民にも知らせて――ちゃんと弔ってあげて下さい」


 ユルが言い終わった途端に、ククルは手を組み――彼らの姿は虚空にかき消えてしまった。







 行き場を失くした刀を鞘に仕舞い、王は文机の元に戻った。


 ――――誰が悪いの?


 目を閉じると、少女の姿が浮かんで、もう一度あの台詞を口にする。


 次に、少女の顔は消え失せて姉の顔に変わる。そして、王は遠い過去を想った。




 昔から、姉が怖かった。自分には見えぬものを見ると言って、誇らしげに語る姉が。


 いや、馬鹿にしていた面もあったのかもしれない。祭祀など形式に過ぎない。霊力など要らないのだ、と。


 ある時、彼女の「わらわが守ってあげる」と言い張る偉そうな態度を腹に据えかねて、姉にそう言ったことがある。それを聞いた時、姉の形相はまるで鬼のように変わった。


『ならば、わらわは何をすれば良いのだ。わらわは、国王と国家の安寧を祈る――お前のオナリ神なのだぞ』


 それも形式上のことでしょう、と冷たく言い切った覚えがある。


 空の神の末裔だという言い伝えは、王族の血に神聖さを持たせるための政治的な戦略で、オナリ神の伝統も民族的に伝わって来た風習でしかない。


 力など、そこにはない。ノロもユタも、普通の人より少しばかり勘の良い女に過ぎない。


 まくしたて、得意げに姉を見た。いつもの仕返しという意味合いも、少なからずあったように思う。


 悔しげに、唇を噛んだ姉。彼女はそれからしばらくして、妙な女を伴うようになった。姉は彼女を蛾の化生だと言い張ったが、きっとそれは嘘か思い込みでただの女官だと思っていた。


 されど、彼女が普通の人ではないことは段々とわかって来た。ウイは、全く年を取らなかったからだ。


 それからだ。姉は妙な力を使い出し、近い未来さえ予見するようになった。


 まるで初代の聞得大君だ、と姉がもてはやされる中――段々と恐ろしくなっていった。


 姉の底知れぬ黒い目から、自分は目を逸らした。


(それが、悪かったというのか?)


 神の子を孕み、偽りの子を育て、清夜を殺すまで――どうして、狂ったのだ。


「父上!」


 叫び声と共に、ナミが入って来た。


「何事だ」


「伯母上が倒れました!」


 悲痛な声をあげるナミに腕を引かれて、王は腰を上げた。




 布団に横たわった姉の顔は、青白かった。威圧的な態度を見せない今は、儚くさえ見える。


 こんなにも美しい人だったのかと気付かされ、自分が随分長い間、彼女をまともに見ていなかったのだと思い知る。


「容態は、どうなんだ」


「何とも言えません。外傷はないのですが、意識が戻らず脈も弱い」


 医師の診断報告の途中にも関わらず、ナミが口を挟んだ。


「これは、怪我じゃないもの。ウイと霊力がつながってたのに、急にウイが消えてしまった……いえ、死んでしまったから精神に異常を来たしたんだわ」


「ウイが、死んだ?」


 姉の傍にはべっていた、あの化生が消えたとは初耳だった。


「ええ。お父様、ユルお兄様に会ったでしょう。彼が、殺したの」


 衝撃の事実だったが、王は特に怒りも覚えなかった。ウイを“良いもの”だとは捉えていなかったからだ。


 それどころか、あれが現れてから姉はおかしくなった。益々おかしくなったのは、子をみごもってからだが。


 神の存在など半信半疑だったが、さすがに影武者として育てられた少年を見れば、何か超自然的な力が存在するのだと認めずにはいられなかった。


 清夜に寸分違わずそっくりな少年を見た時は、度肝を抜かれたものだ。くわえて、あれほど得意げな姉の表情を見たのは、初めてだったろう。


「そういえば、神の子を生むとおかしくなるのだったか……」


「はい?」


 王の呟きを聞き留めたナミがいぶかしげに顔を上げたので、彼は淡々と語った。


信覚島しがきじまにも、神の子を生んだ女性が居たんだよ」


「それって、ユルお兄様のきょうだいってこと?」


「いや……。それは、海神の子だ」


「私は、ユルお兄様を生む前の伯母様のことは知らないけど、彼女が狂気を持っていたことは確かです。でも、きっとそうでしょうね。ニライカナイと現世がこんなに離れた今、神の子を宿された女性が正気で居られるのかしら?」


 ナミは、ため息をついて伯母の横顔を見つめた。


 直接的な原因は自分にはなかったと、確信出来る。だがしかし、自分の行動がきっかけになったのだとしたら?


「お父様、ユルお兄様を追ったりはもう――しないで下さいましね」


 ナミに頭を下げられ、王は眉をひそめた。


「随分と、あいつを庇うんだな。お前は清夜の妹であって、影武者の妹ではないのに」


「……ええ。本当のお兄様ではなくても、私達は互いに信頼してましたもの。ショウお兄様とユルお兄様が心の上では兄弟だったように、私達も兄妹でした」


 ハッとするような凛とした表情が、先ほどユルと一緒に現れた少女を思い起こさせた。


 そう、ナミ自身も知らないことだが、ナミは清夜とも血がつながっていないのだ。


「大切なのは、血ではないと思います」


 まるで心を見透かしたように、ナミは続ける。


「だって姉妹が兄弟を想い、祈る気持ちが――オナリ神となったのでしょう?」


 見上げられ、どうしてか罪悪感を覚える。


 祈りを信じなかった自分。変わり果てた姉。


 ――――あなたにも一因があると思うよ!


 少女が言い残した、突き刺さるように苛烈な言葉を噛み締める。


「私は祈りの力など、信じていなかった。そんなものが、作用したことなどなかったからだ」


「――父上が信じていなかったら、祈りの力なんて届きません。信じて、信じられて――初めて祈りは成立するのです」


 ナミの言葉に、王はうつむいた。


 その時、聞得大君の睫毛がぴくりと震えた。


「姉上――」


 開かれた目は明らかに焦点が合っておらず、王もナミも絶句した。


「ウイ、そこにおるのか」


「伯母上。ウイは亡くなりました」


「そなただけだ……。わらわを高めてくれるのは……」


 ナミの言葉など聞こえていないようで、聞得大君はもう居ないウイに向かって、ひたすら語り続けた。


 振り向くと、医師は沈痛な面持ちで首を横に振った。


「今しばらく様子を見ないと、わかりませんが……覚悟した方がよろしいですな。狂われた可能性が高い」


 動揺を隠しきれず、王は顔を両手で覆って呻いた。


「あの少年が言った通り、清夜を殺したのは、あなたなのか? 姉上、それだけ答えてくれ」


 だが姉は、虚空を見つめて何かを視線で追うだけだった。


「父上……。伯母上はもう、罰を受けているのではないですか」


「では私の哀しみと怒りは、どこへぶつければ良い? あの子は、何のために死んだ?」


 彼女を追い詰めたのが、もし自分だとするならば――


「私、か……」


 この業は、己で背負わなければなるまい。


 抜け殻のような姉を見下ろし、王は一筋涙を落とした。


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