第十一話 姉妹 3

 御内原ウーチバラを堂々と歩くユルに、女官たちが戸惑いの視線を投げかける。


 ここは王以外の男性が出入りすることのない、秘めやかな女人の園だ。ユルの存在が浮いて当たり前だった。


「待ちなさい、若様」


 艶やかな毒蛾の化身――ウイが、ユルとナミの目の前に降り立った。


 ユルは鉈の柄を握り締め、空に放り投げた。ナミが祈りのために手を組むと、何かが裂ける音がした。


 ウイが、細い悲鳴をあげる。


「若様、結界を破ったのですか――!」


「行くぞ、ナミ!」


 ナミの手を引いて、ユルは駆ける。


 ――――ユル。


 届く、声が在った。


 ――――私の名前を、呼んで。


「ククル!」


 言霊は力。一番古い、呪文のかたちは名前。だから、大声で呼ぶ。


 ぐん、と引き寄せられるような心地がしたが――実際に動いたのは、ユルではなかった。


「痛たたた……」


 目の前で尻餅をついているのは、間違いなくククルだった。


 久方ぶりの邂逅に、ユルは目を見開いた。


「ユル! ユルのマブイを連れて来たよ!」


 ククルが差し出したのは、薄青く輝く光の球だった。すうっと、ユルの胸に染み入るように消えていく。


「ナミさん、代わるね!」


 今度は、ククルが祈りの姿勢を取る。


 ユルの傷が癒え、一気に体が楽になった拍子にナミが膝をついた。


「ナミ?」


「だ、大丈夫。さっきまでお兄様に霊力セヂを注ぎこんでいたのに、それが弾かれたから……気にしないで――」


 話の途中でナミはふと後ろを振り向き、叫んだ。


「聞得大君――」


 そこには、厳しい顔をした聞得大君が佇んでいた。


「わらわの結界を破ったとは、大したもの。さすがは海神の末裔」


 腕を組んで、聞得大君は艶やかに笑った。


 どうやら、彼女はククルがそれをやったと思っているらしい。


「ウイ。もう一度、息子を捕らえろ!」


「はっ」


 主君の命を受け、ウイはその手に刀をもって、ククルとユルめがけて飛び掛かって来た。


 焦らず、ククルは祈った。ユルに力を貸すために。間違いを繰り返したりはしない。今度は戸惑わずに、彼に力を貸すことが出来た。


 光を帯びた鉈が閃き、悲鳴と共に朱が飛び散る。


「ウイ!」


 聞得大君の絶叫が聞こえ、ククルは目を開いた。化生は、血まみれで横たわっていた。


「これが……ニライカナイの力……!」


 痙攣しながらも、ウイはユルに向かって手を伸ばし続けていた。その異常な行動に、ユルは眉をひそめて後ずさる。


「惜しいこと……。もう少しで手に入ったのに」


 まるで、ユルの力を欲しがっているかのようだった。


「――まさか。お前が、あいつをけしかけたってのか……?」


 ユルの発言に、空気が凍りついた。


「けしかけたのではない。助言してくれたのだ。この国を、もう一度神の国にするためにと」


 ウイを庇うように、聞得大君が言い募る。


「オレからマブイを抜いたのもこいつの助言か?」


「ああ。そうだが、何か?」


 聞得大君ひとりがわかっていなかったが、他の者達は察し、青ざめていた。


「お前は、オレの力を得ようとしたんだ。そうだろ!?」


「……ええ。あなた様は半神。あなたの中に入れば私の力は――」


 そこまで言葉を紡いで、ウイは絶句した。心臓に、鉈が刺さっていたからだ。


「若、様」


「死ね、魔物マジムン! お前のせいで、オレが生まれて――」


 その後の言葉は、続かなかった。視界を覆うほど濃い鱗粉が舞い、立ちこめたからだ。


「ユル! ナミさん!」


 ククルはユルの腕に抱きつき、ナミの腕を掴んだ。


 ユルが鉈を振るうと、凄まじい濃さの粉を撃ち払うように清涼な風が起こった。


 晴れた視界には、ウイの姿はもうどこにもなかった。


 どさっという音と共に倒れた聞得大君の傍に駆け寄り、ナミは彼女の体を揺さぶった。


「伯母上!」


 聞得大君は身を起こし、何が起こったかわからないのか、呆然として周囲を見渡していた。


「ウイは……ウイはどこに行った!」


「――死んだ。お前、あんな魔物に騙されやがって……」


「どういう意味だ」


「ウイは、オレの――半神の力が欲しかったんだ。お前は、神の子をみごもる道具にされたに過ぎない!」


 母親に向かって絶叫するユルの背を、ククルは優しく叩いた。


「ユル、行こう」


「行くって、どこに」


「帰るんだよ。私達の、故郷に。あなたは、私の“兄”でしょう?」


 ククルは手を差し伸べたが、ユルは自分の母親を振り返っていた。


「聞得大君を殺すのは、だめだよ」


「……どうしてだ。お前は、力を貸してくれないのか」


「私は、そのためには力を貸さない。あなたを解放するために、ここから逃げるために、力を貸すよ」


 ユルは一瞬引き歪んだ顔をしたが、すぐに表情を落ち着けて頷いた。


「――わかった」


「じゃあ、行くよ!」


 ククルはユルの手を引き、促した。


「力を合わせたら、私がさっきここに来たみたいに、望むところに飛べるよ」


 言葉を飛ばすことと同様に、これもティンとの時には出来ないことだった。おそらく、ユルの父親が空の神だから出来ることなのだろう。


「ここから出る前に――逢っておきたい人が居るんだ。その人の居るところへ行きたい」


「誰の、こと?」


「ショウの、父親だ」


 受け入れざるを得ず、ククルは首を縦に振った。


「ナミさん――」


 呆然自失の伯母に付き添うナミに目を向けると、彼女は涙ながらに微笑んでくれた。


「あとは、私に全てお任せください。……ユルお兄様、お元気で……。ククルさん、またね」


 ナミの別れの言葉に対し、ククルもユルも「ありがとう」と礼の言葉を返したのだった。








 片付けても片付けても終わらない書類を睨みながら、王はひとりため息をついた。


 先ほどまで傍らに居た文官は、あまりにもうるさいので外に追いやってしまった。気が散るという理由で、護衛にも外で待つように言い付けた。


 ここでは、完全にひとりだった。滅多に享受出来ない静かな孤独の時間は、心地良い。


 特にこのところ、城は騒がしかった。聞得大君の息子――王の息子の影武者であった少年が、ようやく戻って来たせいだ。


 どうして行方をくらませたのは皆目不明だが、とりあえず見付かって良かったと、皆で胸を撫でおろしたものだ。


 無論、妙な気持ちを覚えることも確かだった。


 優秀な、次期国王であった息子は何者かによって殺された。総出で暗殺者を捜して捕らえたものの、暗殺者は依頼者の名前を吐くことなく死んでしまった。


 混乱を避けるためにも、影武者を王子にするべきだと半ば強引に姉に説き伏せられ、その死を隠すために息子の大規模な葬式も出来なかった。


「それに、あの子は我らの祖先である空の神からいただいた子。陛下の息子でなくとも、王になる資格がある」


 聞得大君にそう言われては、反論も思いつかなかった。


 まだ、息子の死は乗り越えられていない。だからこそ、その息子の代わりになるという少年とは、顔を合わせ辛かった。


 今日、ナミが彼に会いたいと主張して来た時、そういえば自分もまだ戻った少年と顔を合わせていなかったなと思っただけだった。


 ふと、王は気配を感じて顔を上げた。そこには、見知らぬ少女と――いましがた思い浮かべていた、影武者の少年が立っていた。


 当然と言えば当然だが、前に見た時よりも成長している。子供らしさが消え、凛々しさが増した。――清夜も生きていれば、同じように成長したのだろうか。


 そこまで呑気に考えた時、王は彼らが忽然と現れた不思議に眉をひそめたのだった。








「どこから、現れた?」


 王があまりにも想像していた姿と違っていたため、ククルは驚きを隠せなかった。


 髭をたくわえた厳しい面立ちに威厳はあるものの、やけに生気に欠けている。


「それは、どうでも良いでしょう」


 ユルは王の前に正座し、頭を下げた。


「オレは、あなたに真実を話します」


「真実?」


「オレが、生まれた理由です」


 ユルは毅然として顔を上げた。その横顔に危ういものを感じ、懸念しながらもククルはユルの隣に座る。


「君は……ショウの影武者として天から授かった子だと、姉君が言っていたが?」


「それは、厳密に言えば違います。全ては、聞得大君の謀りごとでした。そして、彼女も魔物マジムンのウイに騙されていたのです」


 ユルは落ち着いた様子で、全てを語った。


 想像だにしていなかったのか、衝撃で王の筆を握る手は小刻みに震え、目はかっと見開かれていた。


「それは、まことか」


「はい」


「ならば、お前は我が息子に取って代わるために、生まれたのか!」


 王は激昂して立ち上がり、腰に帯びていた刀を鞘から抜き放った。


「覚悟は、出来ているのだろうな?」


「――はい」


「ユル!?」


 慌てたのは、ククルだった。だがユルは刃を喜んで受け止めるかのように、逃げるどころか背筋を伸ばして目をつむった。


「ユル! 王様! だめえっ!」


 咄嗟に、体が動いていた。そしてククルは――自分のやわい肌に、鋭いものが食い込み、激痛が走るのを――他人事のように、知覚したのだった。


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