第十一話 姉妹 2

 アキから会いたいと言い出すのは、珍しいことだった。もっとも、御内原ウーチバラは男子禁制の後宮であり、ここでは会えない。正式な手順を踏めば御内原以外の城の中で会えることは会えるが、何せ手続きが面倒だった。だからこそアキがナミに用事がある時は、こっそりと馴染みの女官に手紙を託すのが常だった。


 今回も、アキは茶屋にお忍びでやってきた女官に、手紙を渡してくれたらしい。その手紙は、すぐにナミの手に渡った。


『聞きたいことがある。なるべく近い内に、俺の茶屋に来てほしい』


 そんな簡素な文章が綴られた手紙に目を通した後、渡してくれた女官に返して、手紙は焼いて処分しておくように申しつけた。


 アキは叔父なのだから後ろ暗いことなどないが、念のための措置である。


 ナミは早速、茶屋に行こうと決めた。ちょうど、今日は特に予定がない。


 脱走癖があると言っても過言ではないナミにとって城から抜け出すのは、お手の物だった。


 いつかの正妃がこっそり作らせたという、“地下に設けられた秘密の通路”を女官に教わって以来、脱出はもはやナミにとっての日常だ。


 自分に背格好の似た女官にしばしの身代わりを命じてから、ナミは支度を始めたのだった。




 ナミがアキの茶屋に入ると、昼過ぎであることも手伝ってか、店内は人で溢れていた。


 叔父の姿を探して入り口付近でまごまごしていると、腕を掴まれた。


「ちょっと! 誰――」


 王女としての矜持か、つい強い語調になってしまったが、手の主を見てナミは口をつぐんだ。


 そこに居たのは、ユルとナミを引き合わせてくれた少女・ククルだったからだ。


「あなた……」


「ナミさん、久しぶり。話があるんだ。奥に行こう」


「え、ええ」


 ナミは戸惑いながらも、前に見た時よりも、ずっと肝の据わった顔になった少女を見つめたのだった。








「ユルは、どうしてる?」


 ククルは開口一番、そう問い掛けた。


「……ユルお兄様には、会わせてもらえなくて。ずっと伯母さま――いえ、聞得大君のお部屋に閉じ込められています」


 ぎゅっ、とナミは拳を握り締めた。


「そっか。……あのね、ナミさん。ユルのマブイが落ちてるの」


「――え?」


 ククルの話を聞いて、ナミの顔が、さっと青ざめる。


 さすがは、次代の聞得大君になるべく育てられた少女である。これだけで、事の深刻さは一瞬で理解したようだった。


「ユルのマブイは、私のところに来た。マブイが落ちてるのに、どうして聞得大君は何もしないのか――すごく、気になって」


「それは、おかしいですね。マブイを落としてそのままにしていたら、死んでしまうのに――」


 そこで、ナミはハッとしたようだ。


「もしかして」


「ん?」


「ユルお兄様の体を、空っぽにするつもりなのかもしれません」


 ナミの言葉の意味が脳髄に染み渡り、ククルは口を抑えた。


「つまり、わざとマブイを追い出した?」


「ええ。聞得大君には、何か考えがあるのでしょう。ユルお兄様を、死なせるわけがない。マブイが落ちて戻らなければ死ぬのが通例ですが、聞得大君は死なせないような手段を知っているのかも」


「そっか。ユルは王子になりたくないんだもんね。意志がない方が、都合が良いんだ」


 口に出すと、余計に恐ろしく響き渡った。


「意図はどうあれ、このままでは――」


「ユルの心は死んでしまうってことだね。ナミさん、お願い。私はユルを助けたいよ。王宮に居ても、良いことはないでしょう。どうにかして逃がしてあげたい」


 ナミは、ためらいがちに頷いた。


「ユルお兄様にとっては、それが良いでしょうね……」


「私がユルのところに行けば兄妹神の力を使えるから、おそらく聞得大君にも邪魔されずに逃げられる。でも、問題がある。それは聞得大君の霊力セヂが強いせいで、潜り込んでも向こうに悟られてユルのところまで行けないかもしれない、ってこと」


 幾度も考えて、口に出してトゥチやカジに聞いてもらった甲斐あって、ナミによどみなく説明することが出来た。


「それでは、どうすれば?」


 予想通りの質問が来た。ククルはすうっと息を吸って、告げた。


「王族は空の神様の末裔らしいから、あなたはユルと遠い意味で血がつながってると言っても過言じゃ、ないよね」


 アキと散々話し合って、決めたことだった。ナミには、彼女がククルの妹であることを言わないことにしたのだ。


 幸い、ナミにはそのことを言わなくても説明が可能だった。


「ユルは半神で、神の血が濃い。だからあなたはユルとなら、兄妹神の力が使えるはず。ユルに、力を貸して。祈り方を、教えるから」


 ククルの家に連綿と受け継がれて来て――おそらく王族にもかつては伝えられ、今は忘れられたのであろう祈りを、ククルは妹に託した。







 ナミは翌日、御内原ウーチバラにある、聞得大君の住居空間を訪れた。


 すぐに、女官がその行く手を阻む。


退いて。聞得大君に話があるの」


「誰も近付けるな、との命令です」


「――ほら、これを」


 ナミが突き付けたのは、王の書状だった。


「陛下も、私がユルお兄様に会う権利があると考えておいでよ。さあ、私を案内なさい」


「……はい」


 いくら聞得大君に権力があろうとも、少なくとも建前上、王の権力は聞得大君のそれを上回る。清夜王子が亡くなってから抜け殻のようになった王に頼んで、この書状を書いてもらうのは、そう難しいことではなかった。


 女官の案内に従い、ナミは奥へと進んだ。




 ユルは、酷い有様だった。


 上半身は暑いのか布団もかぶらず着物をはだけ、血に濡れた包帯が露わになっていた。更に、苦しそうに咳き込んでいる。


「お兄様! どうして――こんな」


 あんまりな惨状を目にして、ナミの頬に涙が伝う。


「お前達は世話をしなかったの!?」


 首を巡らせて案内してくれた女官を睨みつけると、彼女はすくみあがって頭を下げた。


「私達女官も、近付けなかったのです」


「何ですって? じゃあ、世話は誰が――」


「私ですよ?」


 いきなり第三者の声が割って入ったので、そちらに顔を向ける。しなやかで、淡く――だが、どこか艶やかな女が立っていた。


「お前は、聞得大君の……」


「ウイ、と申します」


 優雅に礼をする様は、さながら蝶のようだった。だがナミは、この女が蝶ではなく毒蛾であることを知っている。


「ナミ様。ここで何をしているのです?」


「何を、ですって? ユルお兄様をしばらく見ないから、心配して来たのよ。よくも、こんな酷い扱いを――」


「あらあら。私のせいではございません。ユル様は、私が近付くのを嫌がり、なかなか世話をさせてくれないので……」


 ウイは微笑を浮かべていたが、目が笑っていなかった。化生けしょうの、目だ。


「何故、お前が」


「姫君のご要望で」


 ウイが言う姫君とは、聞得大君のことだ。彼女が聞得大君になっても、いくつになっても、この化生はその呼称を改めないので、ナミは不気味ささえ覚えていた。


 だが年を取らない永遠の存在であるウイにとって、いつまで経っても伯母は“姫君”なのだろう。


(この者さえ、倒せたら……)


 聞得大君の力はウイにつながっているも同じだった。この得体の知れない化生と契約した時から、聞得大君の霊力セヂはより増したのだ。


 だが、ククルに言われた通りに兄妹の力を使いたくても、ユルが弱りすぎていた。今、咄嗟には使えない。


「二人にして。しばらく、お兄様の面倒は私が見ます」


「――それは、姫君がお許しになるかしら?」


「あの人の許可なんて要らない。国王陛下の許可を、もらって来たんだから」


 書状をかざすと、ウイは目をすがめた。その、毒を刷いたような表情に、ぞっとする。


「わかりましたわ」


 そして、彼女の姿はかき消えてしまった。


「ユル、お兄様……」


 彼の体を抱き締めるようにして、ナミは泣いた。


(戻って来て欲しいという想いが、彼をここに引き戻してしまったのだとしたら、私はどれだけ罪深いの……)


 心が引き裂かれるように痛くて、たまらなかった。







 ククルは茶屋の中で、ユルのマブイと向き合っていた。


「あなたも、還りたい?」


 普通、マブイは素直に体に還りたがらないものだ。このマブイも同様のようで、ゆるりと首を振った。


「――そっか」


 ククルは握りこんだ翡翠に語り掛けた。


(私は、どうすれば良い?)


 答えを求めるのではなく、自分を冷静にさせるために問いを浮かべる。


 だけど答えなんて、ひとつしかなかった。マブイが抜けたら込めるべきだ。嫌がるマブイも捕まえて。


「あなたは、不思議なマブイだね」


 彼は逃げずに、ククルの元にやって来た。


 それは、無意識にあったユルの想いのせいかもしれない。助けてほしいという、密やかな伝言かもしれない。


(恐ろしいことだけど、マブイを抜くように仕向けたのは聞得大君なんだろう。ユルのマブイも、彼女には反抗したいの……?)


 表面上は嫌がっていても、奥底ではマブイもユルに還りたいのではないのだろうか。


「兄様、力を――」


 ククルは翡翠を握り締めて祈り、ユルのマブイに手を伸ばした。


 マブイは戸惑いながらも、ククルの手を握る。途端に、二人は緑の光に包まれた。


「おいで。私が還してあげる」


 やわらかな招きの声を呪文として、ユルのマブイが姿を変える。――次の瞬間、ククルの手には丸い光の玉が握られていた。その淡い青色は、まるで空の色のようだった。


(あとは、ユルのところに行くだけだ)


 ナミがユルを連れて来てくれるという話だったが、それよりも結界が解けた瞬間に彼のところへ飛んで行く方が早いだろう。やったことがない割に、それが出来ることをククルは半ば確信していた。


 その不思議な確信は、ティンが教えてくれているものだろう。


 ティンはもう語ることは出来ないが、こうやって彼の思考は不思議な形でククルの無意識に流れ込んで来るのだった。








 顔を冷たいもので拭われる感触に、ユルは目を開けた。


 ぼんやりとした視界に、慣れない手つきで布巾の水を絞る少女の姿が映る。


「ククル……?」


 だが見間違いだったようで、ククルではなくナミだとすぐに気付く。


 前にも同じことを思ったな、と自分で呆れていると、声を聴き取ったらしいナミと目が合った。


「……お兄様。気が付いたんですね。勝手ながら、医師を呼んで傷の手当てもさせていただきました。熱は、少しは引いたかしら」


 ひんやりとした手が額に当てられ、心地良かった。


「どうして、お前が」


「無理矢理、会いに来たのです。安心して、お兄様。部屋の四隅に魔除けの札を貼りましたから、少なくとも毒蛾は入って来れませんわ」


「そうか。そいつは、助かった」


 微笑んでみせると、ナミは目頭を押さえて首を振った。


「お兄様、大切な話がありますの」


 ユルの手に、ナミの透き通るように白い手が重なった。


「このままでは、あなたは死にます。マブイが落ちているんです」


「ああ、そのことか。知ってる」


 ナミはユルの答えを聞いて、目を見開いた。


「何て……?」


「あいつが、オレのマブイを異国の呪術だかなんだかで抜いてるんだ」


「そんな、馬鹿な――」


 ナミは口元を手で覆い、涙を堪えた。


「そんな、酷いです。どうして、そんなことが」


「オレが、言うこと聞かないからだとさ」


「それなら、一刻の猶予もありません。ここに居たら、このままマブイが全部抜けてしまう。お兄様、私の力を貸します。兄妹神の力で、ここから出るのです。あの、ククルという少女にやり方を聞きました」


 ナミがまくしたてると、ユルは眉をひそめて体を起こした。


「お前も、そんなこと出来るのか?」


「きっと出来ます! あの少女も保証してました」


「そうか……」


 ククルは、根拠のないことを言い切るような娘ではない。確信があるはずだ。


「もう少し、お兄様の体調が回復してから、と思いましたが――今の状態では、悪くなることはあっても、良くはならないと思います」


「ああ、そうだな。だけどそんなことしたら、お前も立場なくなるぞ」


「私は大丈夫。次の聞得大君だと、既に選ばれてますから。きっと、悪いようにはなりません。それより――私に責任を取らせてください」


「責任? ……お前に責任は、ない」


 ユルはきっぱり言い切ったが、ナミは目を閉じて首を横に振った。


「私の想いが、お兄様を引き戻したのです。だから、責任はあります。…………さあ、お兄様。支度をなさってください。私は向こうを向いておりますゆえ」


 言うだけ言って、ナミはユルに背を向けてしまった。


 ユルは呆気に取られながらも、枕元に置いてあった新しい着物に着替えた。ただそれだけの動作なのに、ひどく体が重くてだるい。今にも、また布団に倒れ込んでしまいそうだった。


 これでは、力を貸してもらっても奮えるかどうかわからない。


「ナミ。支度は終わった」


 もちろん武器は置いていなかったので、丸腰だ。


「では、祈りの力であなたの体を少しでも楽にします」


 ククルに言われた通りに口にしているのか、いかにも解説といった口調でナミは祈りの姿勢を取った。


 流れ込んで来る、温かな力は懐かしくて――それでも、この前までユルが享受していたものとは少し違っていた。


 萎えていた足に力が戻り、ユルは息をついた。


(これなら、走れる)


「お兄様、いかがです?」


「ああ、大丈夫みたいだ。これで……ここから出られるんだな?」


「ええ。聞得大君の結界を、内から破るのです」


 ナミが差し出したものは、二つの鉈だった。


「お前、よく取り戻せたな――」


 と言い掛けたところで、ユルはそれが新品だと気付く。


「市場で買って来たのです。ククルさんが、これがお兄様が愛用していたものだと教えてくれたのです。刀ではなく、鉈を使ってらしたのね」


「……ああ」


 王子の影武者として、もちろん剣術は習っていた。だからユルは城を飛び出す前は、刀を使っていたのだ。


 武器を鉈に変えたのは、庶民が刀を持っていると目立つからだったが――かつての自分との決別でも、あったのかもしれない。


「――お兄様?」


「あ、ああ」


 ユルは慌ててナミの手から武器を受け取った。


「行くか」


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