第十二話 姉弟 2
ククルとユルは、大通りの真っただ中に姿を現した。
幾人かが気付いてぎょっとしていたが、何せ人通りが多かったので、すぐに雑踏に紛れることに成功する。
「……ユル。大丈夫?」
「あんまり、大丈夫じゃねえな」
久しぶりに並んで歩きながら、二人は言葉を交わす。
「あの毒蛾がそそのかさなきゃ、オレは生まれなかったのに」
ユルは絶望したように空を仰ぐ。その横顔が哀しすぎて、ククルは思わず目を伏せた。
「どうして、こんなことになったんだろうね」
聞得大君は、ウイという化生につけこまれてしまった。だが、だからといって彼女が被害者でしかないという認識も出来なかった。
ウイの真意はどうあれ、聞得大君は実の息子を己の利益のために生み、王子を殺して息子を玉座につけようとし――最後には息子のマブイを失くして空っぽにしようとしたのだ。
「私は、ユルが生まれて悪いとは思わないよ」
ぽつりとククルが呟くと、ユルは無表情でククルを見た。
「どうして」
「理由なんかないよ。人が生きるのに理由が要る? 生きたいって思うの、自然なことだよ」
「だけど、オレのせいで二人も大切な人が死んだ」
「――それは、ユルの罪じゃないよ。かわいそうなユル」
堂々と、同情の言葉を口にする。今までなら一蹴していただろうに、ユルは哀しそうに眉を下げてククルの言葉を受け取った。
「オレは、かわいそうか」
「うん。ユル、自分をかわいそうって思ってあげても良いと思うよ。あなたが自分を責めることじゃないよ。それは、断言する」
たとえ、ユルが王子の座を奪うために生まれ、生かされ、育てられたのだとしても――それは彼の罪ではないだろうと、ククルは確信していた。
ほろほろと、きらきらした水が零れ落ちるのを見て、ククルは目を見開いた。
ユルが、泣いている。
ククルは背伸びをして、ユルの首に腕を回して抱き締めてあげた。
「ティン兄様が、あなたを助けておやりって言ってくれたんだよ」
ククルがそう言うと、ユルはやんわりとククルを押しやってから、拳で涙を拭った。
「ティンが?」
「うん。ユルは、兄様に会ってたんだね」
「ああ――。お前の“兄”にならないかって、話を持ちかけられた。オレが本島に向かうとわかった時は、大反対されたけどな」
ユルは周りの視線を浴びていることに気付いたのか、ゆっくりと歩き始めた。
「それは、ユルが復讐するとわかったから?」
彼の背を追いながら、ククルは質問を放つ。
「ああ。でも、オレは――お前を利用したかった」
「……わかってる」
今更、衝撃を受けることでもなかった。
「悪かったな」
謝られて、拍子抜けしたほどだ。
「ティンは、消えたのか。お前に会ったら消えてしまうって、言ってたけど」
「ううん。消えそうになったけど、何とか留めたんだ」
ククルは懐から翡翠を取り出した。目を細め、ユルは翡翠をまじまじと見やる。
「全部とは言えないけど、ここに兄様が眠っているの。ニライカナイに、送ってあげなくちゃ。――そのせいで、私も怒りを買っちゃったけどさ」
「怒りって、海神の怒りか? おい、大丈夫なのかよ」
「多分、ユルと一緒に居たら大丈夫。兄様は、海でひとりだったから殺されてしまったんだ」
「――なるほど」
兄妹神の力が使えるなら平気か、とユルは呟いて足を止めた。
「適当に歩いてたけど、今からどこに行くんだ?」
「茶屋に。私がいきなり消えたから、きっとカジ兄様もトゥチ姉様も心配してる」
不思議と、笑みが漏れる。ユルが戻って来てくれて嬉しいのだと自覚するのに、時間は掛からなかった。
もう慣れてしまった道を辿って、茶屋の暖簾をくぐる。驚いた表情のカジとトゥチが立ち上がり、すぐに二人を抱き締めた。
「良かった! 戻って来たのね!」
「心配させやがってえ!」
途端に安堵が胸に溢れる。
「あのね、カジ兄様にトゥチ姉様。なんだかんだあったけど旅は終わったし――多分もう、王府に追われたりはしないと思う。だから私、故郷に帰りたい」
「……そうか。お前はどうなんだ、ユル」
カジに話を振られ、ユルは頷いた。
「オレも、あの島に――」
行く、と言い掛けたところでククルが「帰るんだよね」と言葉をかぶせた。
それに喜ぶでもなく怒るでもなく、ユルは呆れたような笑みを浮かべる。
「ああ」
「それじゃあ、早速出発しようぜ。その前に、色々世話になったこの茶屋の主人に、お前からも礼言っとけ」
ユルはカジの後ろに佇む店主を見付け、息を呑んだ。
「――ユル様。御無事で、良かった」
「今回も協力してくれたんだな」
「ええ。前で終わりに出来なかったのは残念ですが、また元気な姿を拝見出来て嬉しいです」
二人の話しぶりからすると、前にユルが逃亡した時にもアキが協力したようだ。
「倫先生は、どうなったのですか?」
「死んだ」
一言告げると、アキは痛ましげに眉をひそめた。
「そうですか……。一体、どこで」
「人魚の島で、役人に殺された。墓もそこに在る」
ユルは淡々と、事実を並べていた。
「――本当に残念です」
「ああ」
その場には、しばし痛々しい沈黙が満ちた。
「お二人さん。色々積もる話もあるだろう。俺達は一度、宿に帰っておくから、しばらく喋ってたらどうだ」
そんな、カジの気前の良い申し出を、ユルは「わかった。あとで帰る」と素直に受け入れていた。
幸い時機良く準備も手はずも整い、三日後の早朝に出発することが出来た。
船の上から、ククルとユルは遠ざかる本島を眺めていた。
朝の光に海は煌めき、高い空は抜けるような青さだった。
「アキさんと、いっぱい話せた?」
隣に立つユルに話し掛けると、ユルは小さく頷いた。
「ああ。ナミにも伝言を頼んだ。――なあ、ククル」
突如、真剣に見つめられ、ククルはきょとんとなってしまった。
「何?」
「――巻き込んで、悪かったな」
驚いたけれども、ククルはすぐに微笑む。
「ユルが謝るなんて、変なの」
「おい。人が真剣に言ってんのに」
「ごめんごめん。でも、謝らなくても良いよ。ユルも大変だったと思うけど……おかげで、聞得大君に取り入っていた“よくないもの”を消せたもの。ユルが行かなくても、きっとあっちから来て大変なことになったと思うし。遅かれ早かれの問題だったんだよ」
ククルが長い台詞を言い切ると、今度はユルが驚いていた。
「お前、どうしたんだ」
「へ?」
「そんなに、しっかりしてたっけ?」
「失礼な!」
ぷくっとふくれてそっぽを向いたが、意地は長くは持たず、ククルは苦笑してユルの方に顔を向けた。
「私も、ユルが居ない間に変わったんだよ。兄様からとんでもないことを聞くし、ユルを助けるために色々考えたし……」
いつも“兄”に頼りきりだった。ティンを失くして絶望していたけれど、間を置かずにユルが現れた。初めて“妹”ひとりになって、成長出来たのかもしれない。
「だからきっと、これで良かったんだよ」
大変な旅路だった。だけど、それももう終わる。
「兄様、見守ってくれてありがとう。もうちょっとだけ、待ってね」
ククルは翡翠を取り出し、陽の光にかざした。
ニライカナイにティンを送るなら、やはり故郷の海から送りたいと思ったのだ。
旅路で出逢った人達を想い浮かべながら、ククルは空を仰いだ。
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