第十話 告白 2

 ククルはティンが話を終えてからも、しばらく口が利けなかった。


「どうして、神様はそんなこと望んだんだろう……? 私と兄様を、結婚させるなんて……」


 ククルがようやく紡いだ声は、見事にかすれてしまっていた。


 ククルとティンは父母が違うため、本当の兄妹とは言えない。だがしかし、神の血の濃さでいえば――誰より近い血縁でもあるのだ。どちらも、海の神の血を濃く引くのだから。ティンは半神として。ククルは先祖返りの娘として。


『海の神は、昔のような神の時代に戻したかったんだよ』


 ティンは話し疲れたように、月夜を仰いだ。


『空の神も、同じように神の支配する国に戻したいと思ったのだろう。もう、ニライカナイと現世はこんなにも離れてしまったのに――』


 激しい風が吹き、ククルの髪を煽る。しかし、ティンの姿は何も変わらない。これが、二人の明らかな違いだった。


 ククルは生きていて、ティンは死んでいる。


 そのことを改めて哀しく思いながらも、ククルはまた口を開く。


「ユルは、それを全部知ってたの?」


『ああ。ただ、時が来るまで――君やトゥチには言わないように、頼んでおいた』


 ティンは、慮ってくれたのだ。知れば、きっとククルやトゥチが自分を責めると思っていた。


『私がこの世に干渉出来るのは、契約をしたからだ。本当なら、そこまでの力はない』


「え……?」


『全て終えたら、マブイを捧げて海神の一部にすると。契約は君達が旅を終え、帰って来るまで――。または、私が約束を破ってククルに会った時』


 不穏な海風が吹き、月に雲が差す。


『だけど、仕方ないね。もう少しで旅も終わるだろうし、何より――ユルを見ていると、自分を見ているみたいで放っておけないんだ』


「兄様?」


『愛していたよ、ククル。妹としてね――。…………トゥチに、すまなかったと伝えておくれ』


「どうして、トゥチ姉様には会いに行かないの――」


 問い掛けて、気付く。トゥチにはきっとティンの姿は見えないのだ。


『気付いたようだね。トゥチはユタでもノロでもない、普通の女性だ。私のような半端な存在なんて見えないよ』


 哀しげに呟き、ティンは目を閉じた。


『――ユルを、助けておやり。待ってても、彼は帰って来ない。お前から、助けに行ってやらないと』


 黒々とした波がティンの背後に迫っていた。ティンは避けようともせずに、まるでそれが本懐であったかのような晴れ晴れとした表情で後ろへと倒れる。


『今度こそ、本当のお別れだ』


「兄様!」


 ククルは叫んで、ティンに向かって跳躍する。波はティンを包み込んだ後に、ククルをも飲み込んだ。




 冷たい海水で、一気に体が冷える。


(兄様を連れて行かないで……)


 海に溶けてほしくない。せめて、来世で逢いたかった。こくな契約をしてまで見守ってくれたティンが哀しくて、仕方がない。ククルは透けていくティンに、手を伸ばした。


(止めて、神様! 何でもするから、何でも――。兄様の魂は助けて! 命を奪っただけで、十分でしょう!?)


 とめどない怒りが溢れ、ククルは水底を睨みつけた。


 ――――ならぬ。これは契約だ。


 厳然とした声が聴こえたと思った瞬間に、ククルは閃いた。


(兄様、私が力を貸すよ!)


 驚きにティンの目が見開かれたが、すぐに目を細めて頷いてくれた。


 絆はまだ、有効だ。二人なら、神になれる。


 光が溢れ、周りの冷たい水がどんどん温かくなっていく。


『ククル……だめだ。半分ぐらいはもう既に……。姿を保てない』


 ティンの弱気な発言にも、ククルは諦めなかった。


(姿を保てないなら、ここに留まれば良いよ)


 ククルは懐から翡翠を取り出し、掲げ持った。嬉しそうに、ティンは『ありがとう』と呟き――姿を消した。それと同時に、翡翠が優しい緑に輝く。


 ――――――愚かな! 契約を違えるとは! そなたも、私の怒りを買ったぞ!


(知らないよそんなこと! 私のことも殺したいなら、殺せば良い――!)


 水底から、ゆらりとうごめく影が上ってくる。魔物マジムンだ。


 一度だけ見た人魚よりもより凶悪そうな、ぬらぬらと光る鱗を持った魚の化け物が、ククル目掛けて泳いで来た。


 しかし、緑の光が一際輝いたせいで魔物は怯む。


(兄様……)


 確かに、宿ってくれたのだ。もう声も聞こえないけれど、ティンはここに居るのだ。


 ククルは優しい気持ちになり、祈った。兄に、祈りを捧げる。


 魔物は緑の光に包まれた後、朽ちて水底に落ちて行く。


 ククルは再び海の神が何かを放つ前に、海面を目指して泳いだ。


 海からあがり、ククルは髪や着物から海水を滴らせたまま無心で浜辺を歩く。

 

 しばらく歩き続けていたが――突如、がくりと膝をついて砂浜に倒れ込み、ククルはそのまま意識を失ってしまった。






 目を開くと、心配そうなトゥチとカジの顔が見えた。


「ククル、大丈夫!? あなた、砂浜に倒れてたのよ!」


 トゥチに問われて頷きながら、ククルは何が起こったかを順繰りに思い出して行った。


 握り締めた拳を恐る恐る開くと、翡翠がちゃんとそこに――あった。


 ほんのり温かいそれには、ティンが宿っているはずだ。


「トゥチ姉様、カジ兄様……聞いて。私は今から、とても哀しい話をするの」


 ティンとの邂逅。そこで聞いた話を、二人にも語らなければならない。


 きっと泣いてしまうと思ったのに、話している間中、ククルは一度も涙をこぼさなかった。




 聞き終えた二人はしばらく黙っており、ククルもまた話し疲れたせいもあって押し黙ってしまった。


「……そうだったの。ティン様は私と婚約した時から、神の怒りを買ってしまったのね……」


 哀しげに、トゥチは表情を歪めた。


「ククルが神を生んだら死んでしまう……か。そりゃ、そうだろな。いつか、漁師の与太話で似た話を聞いたことがある」


 カジの発言に、ククルもトゥチも顔を上げた。


「たいそう昔の話だったというが――とある巫女ユタは、神の子で半神だったらしい。そのユタは自分よりも霊力の強い子供を生むために、父でもあった神と交わり、子を生んだとか。その結果、出産の時に普通の出産よりもずっと多い血が出て――ユタは事切れてたそうだ。神は、腹を喰い破って出て来たんだ」


 吐き気がして、ククルはぐっと歯を噛み締めた。


「本当の話、なのかな」


「さあ、真偽は知らんな。だが、神ってのは人間とは違うんだ。お前の霊力だって大したものだろうが、遠く及ばない。そんな存在を生むなんて、危険に違いないだろ」


 カジはぞっとしたように首を振って、すっかり温くなった酒を飲んで喉をうるおしていた。


「ティン様は、あなたを助けたかったのね」


 トゥチはため息をついてから、ククルを慈愛に満ちた表情で見つめた。


「あのね、トゥチ姉様!」


 ククルは大切なことを思い出して、驚くトゥチの顔をじっと見据えた。


「兄様が――すまなかった、って言ってたよ」


 ほろりと、トゥチの目から涙が零れた。


「ティン様……」


 泣き崩れるトゥチの背をさすり、うんうんとカジは呟いた。


「あいつとお前の晴れ姿を見れなかったのが、悔やまれるよ」


 しばらく、ククルもトゥチもひたすらに泣き続けた。あのティンの変わり果てた姿を見て以来、何度も泣いた。されど尽きない、涙と胸の痛み――。


 そうして泣き疲れた時、ククルは熱を持った目蓋に手を当てながら、告げた。


「兄様は、ユルを助けておやり、って言ったの。最期の時を早めてまで、兄様は私に――それを伝えたかったんだ」


 ククルは毅然とした声で、続けた。


「だからもちろん、助けるよ」


 トゥチとカジは晴れやかに笑って、頷いた。


「そうね」


「ああ、助けようぜ。あの意地っ張りをな」


 そしてククルはそっと、握っていた翡翠を二人の前に置いた。


「それ、俺が買ってやった翡翠か」


「うん。あのね、さっき兄様が魂を海の神に捧げる契約をした、って言ったけど……最後の最後で、兄妹神の力が使えたんだ。それで――完全に、とは言えないけど消えるのを阻止したの。ここに、兄様の一部が宿っているの」


 ククルがあっけらかんと嬉しそうに告げると、カジとトゥチは驚いて顔を見合わせた。


「ククル、あなた……海の神に、背いたの?」


「うん。当たり前だよ。二度も兄様を、連れて行かせないよ」


 翡翠を手で覆ってククルが微笑むと、カジは盛大に呆れていた。


「よっく、それで無事だったな!」


「兄様が守ってくれたの。もう話は出来ないけど、兄妹神の力は使えるの」


「それなら、あなたはユルくんが居なくても力を使えるようになったのね」


 その事実に、ククルは指摘されて初めて気付く。


(これで、ユルを助けてあげられるかもしれない)


 ティン自身も予想していなかっただろうが、正にティンはユルを助ける礎となってくれたのだ。




 自分のようで見ていられない、とティンは言った。神に運命を翻弄されたティンは、ユルに共感していたのだ。


 ククルはティンと再会した浜辺に佇み、じっと海を見つめていた。


「兄様……。ごめんね」


 翡翠を撫でると、ほんのり温かかった。


「私は、兄様に守られてばかりだね」


 ククルのことが心残りで、ティンは神と契約して現世に留まってくれていたのだ。本当ならニライカナイにずっと、行ったままであろうに。


「全部終わったら――なんとかして、兄様をニライカナイに送るからね」


 きちんと、あちらへ渡れるように。それがククルが兄にしてやれる、唯一のことだった。


「ユルを助けるまで、力を貸してね」


 翡翠を握り締めて、ククルはティンに声を掛けた。



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