第十話 告白

 ククルは宿の一室で、遠くの空を眺めていた。


 都は当然ながら、人が多い。これほどの人混みを見たことがないせいなのか、都に来てから、すっかり人酔いしてしまっている。


(家が、恋しいと思うなんて)


 ティンが死んでからは、わずらわしくて居心地の悪いだけの家だったのに。


 それでもやはり、馴染みのない場所では疲れてしまう。慣れない本島言葉も、聞き取れるとはいえ故郷やえやまの言葉と同じように、とは言えない。


(ユルは、一緒には帰らないのかな)


 しばらくは都に滞在しようと、カジが案を出してくれた。商人であるカジは滞在して困ることもないし、「お前も待ちたいだろう」と言ってくれたので、ククルは素直に頷いた。


 影武者だったという、ユル。ナミは「神からいただいた子」だと言っていたが、ティンと同じように、人間と神の間に生まれた子供ということだろう。


 それなら、ティンと同じようにユルが神の力を使えたことも、不思議ではない。


 二人が、ククルの兄になれた理由。それは、半身に神の血を引いているから。


 ユルが城に捕らわれてから、もう一月も経つ。毎日のようにあの茶屋に足を運んだが、あれからナミは現れなくなった。


 ククルは昼も夜も関係なく、眠気を覚えるようになった。夕食にも起きずに、朝まで眠り続けることもあるぐらいだった。


「とにかく、びっくりしちゃったんじゃないかしら。ティン様のことで色々あったのに、重なるようにユルくんまで居なくなったんじゃ」


「だろうなあ。ククルには限界だったのかもな」


 枕元で聞こえた、トゥチとカジの会話を思い出す。


(二人の、言う通りだよね……)


 まだ夕方にもなっていないが、布団に体を横たえる。トゥチとカジは今、商いのために外出している。


(私は、兄を二人も失うことになるのかな)


 とても対照的な、二人の兄を――




 ククルは、昏々と眠り続けていた。


 ふわりと、良い匂いがする。


 青い光を感じたと思って目を見開くと、今まで会いたくても会えなかった人が見えた。


「――ティン、兄様」


 きっと、夢だ。そう、自分に言い聞かせる。だけれども、懐かしい姿に涙が止まらない。


『久しいね、ククル。――お前に会いたかったよ』


 ククルは兄に抱きつこうとしたが――その体をすり抜けて、ククルは床に転がってしまった。


「兄様……?」


『……お前には触れられないよ。私はもう』


 死んでいるのだから――。


 ティンが何を言いたいのかわかった。だって、あんなにも冷たい体を見たことがあるから。


「兄様……。なら、どうして」


『どうしても、お前に伝えたいことがあったから』


 耳に心地良い声は、生前と全く一緒とは言えない。この世のものではないことが、まざまざとわかるような――どこか存在感の薄い声だった。


『ククル、付いておいで』


 窓から飛び降りて行ってしまったティンに度肝を抜かれながら、ククルは草履も履かずに窓から飛び出し掛ける。


 しかし、ここが二階だということを思い出し、ククルは混乱しながらも部屋から飛び出して階段を駆け降りたのだった。




 ようやく浜辺に辿り着いたククルを見て、ティンはくすくす笑っていた。


「兄様、ひどい……!」


『すまない、すまない。どうも、生きていた頃の感覚を忘れていてね』


 くらい海を背に、ティンはククルを見つめた。


「兄様、どうして……ここに居るの」


 死んだらみんな、ニライカナイに行ってしまうと聞いたのに。


『どうして、だって? ……私はずっと、君を見守っていたんだよ』


 そっ、とティンはククルの頬に手を添える。決して触れることは出来ないのに、どうしてぬくもりを感じるのだろう。


「兄様――」


 聞きたいことがありすぎて、言いたいことがありすぎて、かえって言葉にならなかった。


『きっと君は、私が何故死んだか知りたいだろう』


「それは、私の祈りが足りなかったからじゃ……」


『違う。違うんだよ、ククル。でも――違う意味で、君は君を責めるかもしれない。けれど、もう真実を話しても良い頃だろう』


 ティンの姿は、生前と一切変わっていなかった。凛としながらも穏やかな、頼れる兄の姿を見るだけで、涙が零れ落ちそうになる。


『君はきっと、混乱しているだろうね。だから今から昔話をしようか、ククル。馬鹿げた神々のお話を――』


 大袈裟な身振りでティンは一礼した。ククルは呆然としながらも、ティンの話を聴くべく、涙を堪えて彼を見つめた。


 そうして、ティンは語り始めた。





 ねえ、ククル。ニライカナイが遠ざかっているという話を知っているかな。――知らないって?


 君も、聞いたんじゃないか。私達の家に連綿と生まれ続けていた、“兄妹”が生まれなくなったこと。君は妹の力を具現化する兄が生まれなくなったとしか、聞いていないのかもしれない。でも、反対もあったと思うんだよ。兄妹の力は、二人揃ってしか発揮されないのだからね。


 何故そうなったかというと、もちろん血が薄まったからさ。君の祖先は海の神と巫女ユタの間に生まれた子だという。それで人間同士で婚姻を繰り返せば、血は薄まるに決まっているだろう。


 でも、君が生まれた。君は、先祖返りをしたらしく霊力セヂが高かった。そこで、神の家の権威を取り戻したい祖母は、私という半神を兄に据えることを思い付いた。後は、知っての通りだよ。


 その前に、どうして私が生まれたのかって聞きたそうだね。


 薄まった血を何とかするために――君の祖母が海神に祈っていた、らしい。


 そうして神は、半神を授けることにした。母体に選ばれたのは、私の実母であるクムだった。海神は私を、いずれ生まれるであろう「先祖返りの娘」――つまり「君」と結婚させろと、託宣を下したらしい。


 …………そう。私は本当なら、君の兄ではなく夫として現れるはずだったんだ。だけど既に“兄”の存在がなかった君の家は、私が成長するのを待たずに“兄”として家の養子にした。それで私の実母が発狂したのは、知っての通りだよ。


 君の祖母は、ある意味、君のことを考えてくれてたんだ。婚姻させなくても、一時的にでも力のある兄妹神が存在すれば良いと考えたらしい。


 それには、王府も協力してくれたそうだ。役人に連れ去られたことも、母のクムが泣き叫んでいたことも覚えているよ……。実は、君の家は王府的にも大切だからね――。八重山諸島では君の親戚だけが、ノロの地位を与えられたことからも、わかるだろう?


 君の家は、元々は王府の王族と、対を為す存在なんだ。どちらも神の力で諸島を治めていた、もっとも、君の家の方では、政治は形骸的になって祭祀の役割だけが残ったようだが……それは王府との兼ね合いも、あったのかもしれないね。


 ところで君の祖母は、どうして夫ではなく私を兄に据えようと思ったのか? そこを説明しないといけないね。


 ククル、君は先祖返りだ。血の濃さはほとんど半神なんだ。もし私と結婚すれば、君は神の血を引く子どころか――「神」を生むことになる。


 でも、君の体は人間だ。……ややこしいって? ――そうだね、いわば霊力は半神でも体は人間ということだ。


 神なんてものを産んだら、君は死んでしまうんだよ。


 だけど、それが神々の望むことでもあった。地上に神を現すことが、彼らの願いだったんだ。


 遠ざかるこの世を、ニライカナイにつなぎ止めるために。支配を緩めないように。


 祖母は私を兄に据えたものの、海神は納得しなかった。私にお前と結婚するようにと囁き続けた。


 だから私は抵抗した。父である、海の神に反抗したんだ。――そうしたら、用なしだと言われて殺されてしまったんだ。


 私は危ぶんだ。君も危険にさらされるかもしれないと。神罰だけじゃない。魔物マジムンが、君を狙うかもしれないと思った。神の血を持つ人間は魔物にとって、ご馳走だ。兄妹神の力を持たない君は無力だからね……。


 だからユルと契約を結び、兄になってもらったんだよ。

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