第九話 王子


 ククルは、逃げて来た。どこをどう走ったのか、覚えていない。


 宿に着いた時には、酷い有様だった。草履は脱げ掛け、着物はどこで擦ったのか袖が破れてしまっていた。


「――ククル?」


 玄関先で泣き崩れるククルを認め、すぐにトゥチが走り寄って来た。


「どうしたの? そんなに泣いて……。その、着物も」


 優しく背中をさすられ、ようやく落ち着いて来る。


「わたし、私は……」


 ユルを、見捨てた。置き去りにした。


 泣きすぎて、苦しくなっても涙が止まらない。気付けば、カジも傍に居た。


「泣いてちゃわからねえよ。ククル、どうしたんだ。中に入れ。――ユルはどうしたんだ」


 名前を口にされ、胸が張り裂けそうになる。


 一体何があって、どうなったのか。ククルも、完全に把握出来たわけではなかった。


 ただ、わかるのは――ユルが聞得大君きこえのおおきみの息子であり、聞得大君を殺そうとし――反対に返り討ちとなって血まみれになったこと。


 ティンが死んだ時のことを思い出す。青ざめて帰って来た兄と、血まみれになって倒れたユルの姿が脳裏で被る。


(私の祈りは、いつも肝心なところで役に立たない――)


 しゃくりあげながら大泣きをしていると、カジはククルを半ば強引に抱き上げて宿の階段を駆け上がる。


 途中、通りすがる人の視線が突き刺さったが、そんなことは気にならなかった。


 ユル――。


 何度も何度も、心の中で名前を呼ぶ。何度繰り返しても、楽になることはないとわかっていたけれど。




 部屋に着き、ククルは床に下ろされた。トゥチの温かな手に優しく背中をさすられ、少しだけ安心した。


「ククル。落ち着いて、事情を話して。聞得大君には会えたの?」


「会えた……けど、ユルは――聞得大君の息子なんだって……。もう、わけがわからないよ! それでユルは、聞得大君を殺そうとしたの。それに、力を貸してくれって言われて――私はよくわかんなくて、怖くて……何も出来なかった」


 何度もつかえながら、ようやくこれだけを話すことが出来た。


 カジもトゥチも、青ざめる。


「そんなの、当たり前よ。神の力を……聞得大君を殺すのに使うなんて……だめに決まってるじゃない……」


 トゥチも混乱しているのか、強い語調ではなかった。


「意味わかんねえな! 百歩譲って、聞得大君がユルの母親だとしよう! 何で、ユルは聞得大君を殺したいんだ?」


 カジは、わざと大きな声をあげて頭を抱えていた。


「ユルは……聞得大君のことを、人殺しの魔物マジムンだって言ってた……」


 ククルの一言に、空気が凍りついた。


「聞得大君が? どうして、そんなことを……。兄さん、どう思う?」


「……そんな状況で嘘をつくとも思えん。ククル、お前はどうやって城から逃げて来たんだ」


 カジに問われて、ククルは腫れぼったい目をこすりながら答えた。


「聞得大君が、去れって言って……。何も言わずに故郷に帰れば、このことは不問にするって……」


「関わるなってことか――」


 カジは大きなため息をつき、ククルを困ったように見下ろした。


「とにかくククル、ちょっと休んでろ。わかったな?」


 言い聞かせると、ククルは幼子のようにこくこく頷いた。


「兄さん。私はククルを見てるわ」


「ああ。――俺は、あのお姫さんに話を聞いて来る」


 予想通りの発言だったのだろう。トゥチは兄を真っ直ぐに見返して「頼むわ」と呟いた。






 カジは、あの王女に連れられて行った茶屋に向かった。


「……よう」


 挨拶をすると、店仕舞いをしているところだったのか、暖簾に手をかけた店員の男が目をすがめた。


「もう終わりなんですが」


「わかってる。ちょっと、聞きたいことがあるんだ。あの、ナミって娘は……王女か」


「さあね。本人はそう名乗ってますが、自称なんて当てにならない」


 男は感情を見せずに答えた。問われることに慣れているようだ。


「あの娘に会わせて欲しい。王女に頼まれて引き合わせた、俺の連れが城に捕らえられたらしい」


 そこで、暖簾を下ろしているところだった男の手が止まる。


「……それは、気の毒に」


「慰めは要らない。それより――王女の知り合いなんだから、あんたも事情ぐらい知ってるんだろ?」


「――入ってくれ」


 短く促されて、カジは男の背中を追って店内に入ったのだった。




 花の香りがする茶をすすりながら、男はぽつりと喋り始めた。


「俺はナミの母親の……弟だ。だから、ナミはたまにああやって会いに来る」


「王妃の弟!?」


「王妃と言っても側室だし、身分は高くなかったんだ。――両親は恩恵に預かって大きな屋敷に住んでるけど、俺には合わなくてね」


 そこで男は、思い出したように名乗り、手を差し出した。


「……アキだ」


「どうも。俺はカジだ」


 二人は多少、わざとらしい握手を交わした。


 カジより年上なのだろうが、繊細そうな印象と相まってか自分より年を重ねているようには見えなかった。


「ナミが、兄を見付けたと言っていたが……本来、有り得ないんだ」


「え?」


「ショウヤ王子は死んだんだよ。伏せられているが、本当らしい」


 カジは驚き、目を見開いた。


(待てよ。そもそもユルは、聞得大君の子だという……。それなら、あいつは王子ではないのか)


「俺も、王宮の詳しい事情は知らないんだ。ナミは聡い子だから、事情を語りすぎれば危険であることはわかっている。明日ぐらい――また来るかもしれない。待つか?」


「ああ」


 無論、カジはすぐに頷いたのだった。




 宿の部屋に帰り着くと、トゥチが顔を上げた。ククルは頑なに目を閉じて眠っていた。


「兄さん、どうだったの」


「――さっぱり、わかんねえな。だけど、また明日行くことにした」


 トゥチに今日聞き出したことを語ると、彼女は哀しそうにうつむいた。


「もう、どうなってるのかしらね――。明日、王女様に話を聞けることを祈りましょう。ククルも、連れて行く?」


「だめだって言っても、付いて来るだろ」


 カジは小さなため息をついて、さらりとククルの髪を撫でてやった。







 翌日、ククルはカジとトゥチと共に例の茶屋に向かった。店主はカジの姿を目に留めると、すぐに奥の席に座るよう促して来た。


「いつ来るかも、本当に来るかもわからないよ。良いんだね」


 念押しされて、三人は同時に首を縦に振る。アキは微かに苦笑し、店の奥に行ってしまった。


 何時間待ったかも忘れてしまった頃、ククルの腹がくうと鳴った。


「ご、ごめんなさい」


「いや、俺も腹が減ったと思ったところだ。もう昼時だな。飯にしよう」


 簡単な食事ならここで出来ると聞いていたので、カジは店員を呼び止め食べものを注文していた。


 ちっとも弾まない会話を交わしながら、三人は重苦しい空気の中で箸を進めた。色鮮やかな魚の刺身は甘く、握り飯は少し塩辛かった。


 そろそろ食べ終わる、という時に一人の客が入って来た。


「いらっしゃい」


 頭を布で覆った、小柄な少女――彼女を目に留めた途端、ククルは立ち上がった。


「王女様っ!」


 びくりと少女は肩を震わせ、踵を返そうとする。だが、すんでのところでククルの手が彼女の腕を捕らえた。


「お願い、話を聞かせて! お願い、お願い、お願い……」


 少女は、病的に繰り返して懇願するククルを見て、肩の力を抜いていた。


「奥の座敷で話すんだ。さあ、行って」


 他の客の不審そうな視線も気にせず、アキはククル達を奥の間へと押しやったのだった。




 全員座ってからもナミは落ち着かなさそうにきょろきょろしていたが、ククルの強い視線を受けて、覚悟を決めたように口を開いた。


「何を、聞きたいのですか」


「何って――何もかもだよ。ユルは一体どうなったの? そもそもユルは、何者なの? 王子なの!?」


 ククルの矢継ぎ早の質問に圧倒されながらも、ナミは目を逸らさなかった。


「あなたに、お話しして良いのでしょうか」


「話してくれないと困る! 私は――ユルが斬られるところを見たの。生死もわからないの!」


 思わずわっと泣き出してしまい、カジに背をさすられる。ナミは息を呑んで、拳を握り締めた。


「……私も、あんなことになるなんて思って、なくて。でもおそらく、伯母上はお兄様を殺したりはしません……」


「待ってくれ、お姫さん。あんたの兄ってことは、やっぱりユルは王子なのか? 王子は死んだと、この店の主人から聞いたんだが……」


 カジが挟んだ質問に、ナミは目を伏せてから答えた。


「私には、お兄様が二人居たのです。ショウお兄様と、ユルお兄様。二人は同じ名前だったので……」


 ナミは指で空に字を書くようにして、説明した。


「ショウは清いの“しょう”、ヤは夜の“”です。ショウお兄様は王と側室の子……。正妃に子が居ないので跡継ぎになっていました。私と母が同じ――本当のお兄様でした」


「じゃあ、ユルは?」


「……影武者だったのです。赤子の折、聞得大君が神からいただいた子だと、父上に紹介したらしいです。二人はそっくりで、成長しても姿は鏡映しのよう。所作も、ユルお兄様はいつでもショウ兄様と同じように振舞うことが出来ました。そして、仲睦まじかった。本当は双子なのではないか、と思ったくらいです。でも――二人は兄弟ではなかった」


 いつかの光景を思い出したのか、ナミの表情が優しさを帯びた。


「そして……あんなに、恐ろしいことがあるなんて……」


 呟いた後、ナミはたちまち、泣き出しそうになる。


「ショウお兄様は、殺されました。ユルお兄様曰く、聞得大君が差し向けた刺客によって殺されたそうです。全ては聞得大君の謀り事――。元々、ユルお兄様をショウお兄様に取って代わらせる気だったのです!」


 甲高い声で紡がれた衝撃の事実に、誰もが息を呑んだ。


「だから、ユルお兄様は逃げたのです。信頼出来る教師の倫先生と共に、城から姿を消しました……」


 しん、と沈黙が降りる。


 ユルが聞得大君を見て叫んだ「人殺しの魔物」という罵りを思い出す。


「参ったな。道理で、王子の訃報が聞こえて来ないはずだ。ユルという身代わりが生きているからか! だが、おかしいな。都ではこんだけ大々的に行方不明扱いになっているが、俺達の故郷――八重山諸島じゃ、さっぱりそんなこと聞かなかったぜ」


「それは政治的な問題でしょう。八重山諸島は、かつて叛乱を起こしたこともありますもの。八重山諸島の役人には伝えられておりましたが、民衆に事を明らかにして弱みを見せたくはなかったのでしょう」


「……なるほどな。さすが王女様だ。で、見付けたらユルを王子の身代わりに、と……」


「ええ……聞得大君は絶対に、ユルお兄様を王子にするつもりです。そして、いずれはこの国を統べる王にするのです」


 聞得大君は、だからこそユルを生んだのか――と納得し掛けたところでククルの中に疑問が生じる。


「そんなの、ユルがそっくりになるとは限らないじゃない」


「――聞得大君は神と、そういう契約したと、ユルお兄様が仰っておりました……」


 ナミの返答を聞くと、うすら寒くなって来て、ククルは腕をさすった。


「もう、捕らわれてしまったから……お兄様はあなた達のところには帰って来ません」


「待って、ナミさん。あなたはずっとユルを捜してたんだよね? そんな事情を知ってても、戻って来て欲しかったの?」


 意図せずして責めるような口調になってしまったが、ナミは動じなかった。


「ええ。勝手だとわかっていても……淋しかった。ショウお兄様もユルお兄様も居なくなって、ぽっかり穴が開いたようだった。でも……戻って来てくれたのに、嬉しくないのです」


 涙が落ちて、畳に染みをつくる。


「ユルお兄様に、酷いことをしてしまった――」


「待てよ。あんたは別に、聞得大君に密告したわけじゃないんだろう」


「はい。でも、お兄様を捜して見付けたことは事実で……戻って来てと願ってしまった……。あんなに辛そうな顔をしていたのに、私の勝手な願いのせいでお兄様への守りは消えてしまったのです……」


 ナミは堪え切れずにしゃくりあげ、両手で顔を覆った。


(ああ、そうか。この子も、ユルのオナリ神なんだ……)


 血はつながっていなくても、兄を想う妹の祈りが確かにそこに在った。守り切れなかった想いが、わかるからこそ辛かった。


「でもユルはむしろ、戻りたそうだった……」


 ティンがクムから奪われた子供だとわかった時、島に戻りたいと主張したククルを諌め、早く本島へ行くべきだと促したのは――他でもないユルだった。


 そこでククルは、ハッとする。


『ククル、頼む……。力を貸してくれ! オレの力だけじゃ、こいつを倒せない』


 切々とした、ユルの声を思い出す。


 妹の祈る力をもって、兄が神がかった力を発揮する――それは、ククルの家だけの話で他には聞いたことがない。ユルはククルの兄になることによって、大きな力を得た。


 聞得大君を殺すために来たと、確かにユルは言った。


(初めは、逃げ切るつもりだったのかもしれない。でも、力を発揮出来る方法を知って――だからこそ、ユルはここに来たんだ!)


 全ては、実の母親を殺すため。


 ユルの黒い、底知れない目を想い浮かべる。そんなにもくらい感情を宿していたからこそ、あの目の色はあんなにも深かったのかもしれない。


「ナミさん。お願いがあるの」


 ククルが頭を下げると、ナミは戸惑ったように顔を上げた。


「ユルと、話をして。あなたになら、可能でしょう? ――それでユルが、何を望んでいるのか確かめて欲しい。もし、こっちに戻って来たいなら――私は歓迎するよ、って伝えて」


 ククルの発言に、トゥチが眉をひそめる。


「ククル、それで良いの? ユルくんは――あなたの力を殺人に使うためだけに、ここまで旅をして来たのかもしれないのよ」


 もちろん、ククルだって傷付いた。でも――


「きっと、そうなんだろうね。ユルは初めから、私を利用するだけだって言ってた。だから、情なんか要らないって」


 初耳だったらしいトゥチは、カジと顔を見合わせる。


「初めから、ユルは本心を言ってくれてたんだ。懐いたのは、私の勝手だよ」


(口が悪くて、粗野で、意地悪で。兄様とは全然似ていなかった。でも確かに、ユルの中には優しさがあった)


 ククルはお世辞にも人懐こい方ではない。いつまで経っても、慣れることのできない人だって居る。けど――ユルには、確かに親しみを覚えていたのだ。


「……わかりました。もしお会いすることがあれば、必ず伝えます」


 涙ながらに、ナミは承諾してくれた。


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