番外編 天の子守唄 2


 その日、ククルは夜から熱を出してしまった。彼女にはかわいそうだが、都合がいい。ティンは「僕の部屋で寝かせます」と宣言して、ククルを抱えて自室に入った。


 祖母も父母も、いぶかしんでいなかった。


 ホッとして、ティンはいつものようにククルの血を鎮めてやろうとする。


 だが、今日はなかなか鎮まらなかった。首を傾げ、子守唄を歌ってやって初めて、少し熱が下がる。


「……うーん」


 ククルを腕に抱いたまま額をくっつけると、まだほのかに熱い。微熱が残ってしまうのは、初めてだ。


(――まさか)


 ティンは、己の心中を意識する。今日は、ずっと心がざわついていた。家を抜け出すことに対しての不安、恐怖、そして期待というもので、心が乱されていた。


 ティン自身が鎮まっていないから、ククルを鎮めることができないのだろう。


 納得して、ティンは布団にククルを寝かせてやる。


「……ごめんね。今夜だけ、我慢しておくれ」


 ククルは苦しそうに呼吸を繰り返して、目を固く閉じていた。




 風呂に入って、寝支度をして、ティンはククルの隣で眠った。いや、眠るふりをした。


 いざ朝になったらと思うと怖くて、目を閉じられなかった。暗い室内で、妹の頭を撫でてやりながら、ティンは脳内の計画をなぞる。


 夜中に抜け出し、波止場に行く。これだけ、これだけだ。


 そのまま、時間が過ぎるのを待っていた。頼れるのは、感覚だけ。


 そろそろいいだろう、と判断してティンは手早く着物を着換える。護身用の小刀を懐に入れて、ククルを抱き上げた。


 部屋を出て、寝静まった家の中を歩くのは、相当緊張した。足音に気を付けていても、誰かが起きて来そうで。また、ククルが起きて声をあげないかも不安だった。幸い、ククルは大人しく眠っていたが。


 慎重に戸を開き、外に出る。月の位置は、大分低い。良い頃合いだ、と頷いて、ティンは足音を立てないように注意しながら家から離れた。


 もういいだろう、というところで、走り出す。


 母様は、喜んでくれるだろうか。


 笑みが止められず、ティンは波止場を目指したが――ぐい、と首を掴まれて驚愕した。


「……やっぱりか」


 手を放され、振り向くと、ククルの父が立っていた。その後ろには、厳しい顔をした祖母も佇んでいる。


「見張っていてもらって、正解だったね」


「どうして、おばあ様」


 震える声で、詰問すると祖母はため息をついた。


「わしは馬鹿じゃない。護衛の者が酔わされたのは、理由があるだろうと思っていた。護衛が付いていないのをお前が気付かないはずがないのに、お前からは報告しなかったね。何かあったと、踏んだのさ」


「……」


 唇を噛み、ティンはうつむく。


「ティンや。気持ちはわかる。……これは言いたくなかったのだが、お前――以前の暮らしを覚えているかい?」


「以前の暮らし? ……少しは」


 ひっきりなしに人が出入りして、毎日ご馳走が振舞われて、母はいつもティンをかわいがってくれた。


「豪奢な暮らしだったろう」


 黙って頷くと、祖母は眉をひそめた。


「うちの家も、神女ノロの家系だ。クムのところと違って、最初からノロと定められた名家。そんなうちと比べ、おかしいと思わなかったかい?」


「え……」


 そこで、ティンは気付く。以前の暮らしは豪奢すぎたのだと。


「クムはね、お前を見世物にして金を取っていたんだ。幼いお前には、わからなかっただろうけどね。神の子だと触れ周り、拝みに来た者から金を取っていた。神の子なんて、このご時世には貴重だ。たくさんの人が、参りに来たそうだよ。だが――そういうことは、しちゃいけないんだ。うちからも警告に行ったし、王府から警告も入った。だけど、クムは止めなかった。まともに見えたが、タガが外れていたんだよ」


 ティンはその話を聞いた衝撃で、ククルを落としそうになってしまった。


「正直に言うけどね、うちもお前を利用できると思ったから連れ去った。そこは否定しないよ。だけど同時に、あんたがあそこにいるといけないと思ったのも、たしかなんだ。最悪、神からの罰を受けるかもしれないしね……」


 ふう、とため息をついて祖母は顔を上げる。


「さあ、どうする? 無理矢理、引きずられるかい? それとも、自分の足で歩くかい?」


「歩き、ます」


「じゃあ、付いておいで」


 肩を怒らせ、歩き出す祖母の後を追って、ティンは力なく歩を進める。その後を、ククルの父が付いて来る。ティンが逃げないよう、警戒しているのだろう。


「……ティン。お前の気持ちもわかるが、ククルを連れて行こうとしたのは感心しないね。その子を巻き込むんじゃないよ。お前の母親は、その子を歓迎しない。うちの子だと知れば、殺そうとするかもしれない」


 びくりと、肩が震える。その拍子に、眠るククルが呻いた。


 そうか、とティンは自覚する。ティンは、大好きな母とククルと共に暮らせたら、と自分の感情のことしか考えていなかった。ククルがどんな目に遭うか、母がククルをどう思うか、想像もしなかった自分が恐ろしくなる。


 阻止されて、よかったのだろう。だけど、母を求める心は理屈では納得しなくて、苦い痛みを胸に残した。




 家に戻り、自室に戻ろうとしたティンの頬を、ククルの父が思い切り平手打ちする。


 思わず倒れ込みそうになった腕を掴まれ、立たされる。


「これは、罰だ」


 短く言って、父は立ち去ってしまった。祖母は眉をひそめたものの、何も言わずに廊下を歩いて行く。


「……」


 部屋に戻り、ククルの体を布団に横たえてやった後――ティンは、さっきの痛みと胸の痛みのせいで、火がつくように泣き出してしまった。口の中が切れたらしく、血の味がする。


 こんなに大泣きするのは、連れ去られた日以来だ。


 座って、声をあげ泣いていると、腕に小さな手が触れた。


「あにさま、どうしたの!?」


 ククルが目覚めてしまったらしい。


「……」


 思わず、その姿を見て――醜い感情を抱いてしまう。


 お前のせいだ、と響く声がある。


 ティンが連れ去られたのも、さっきぶたれたのも、何もかもこのククルのせいだ。そんな、理不尽な気持ちが溢れる。


 気が付くと、手を振り上げていた。


 何をされるかわかったのか、びくり、とククルの体が震える。潤んだ大きな目が、ティンを見つめる。


「あにさま。ククル、悪いことしたの? ごめんね、ごめんなさい。わかんないけど、泣かないで。怒ってるのね。ククル、悪いことしたならごめんなさい」


 その言葉を聞いて、みるみる内に感情が解けていく。代わりに、また涙が溢れた。


 手を下ろし、ティンは拳で涙を拭う。


 ククルはおろおろして、ティンの頭を撫でる。


「あにさま、よしよし」


 いつもティンがかける、言葉を覚えていたらしい。必死に、幼いククルはティンを慰めようとしている。


 それが、いとけなくて、愛しくて……ティンは、自分の心がようやく凪いでいく感覚に、安堵した。


 ティンはそっと手を伸ばし、その小さな体を抱き上げる。


 膝に抱えると、ククルはきょとんとしてティンを見上げた。


「ククル、覚えておいて。どんなに辛くても、罪のない者に当たってはいけないとね。そうすると、新たな哀しみを呼ぶからね」


 ククルに、と言うよりは自分に言い聞かせるように、ティンは語った。ククルはよくわからないようで、首を傾げていたが、構いはしない。


 何も知らない、無垢な少女。


 そう、彼女は神の家に生まれついてしまっただけ。たまたま、先祖の血が濃く出ただけ。罪はない。


 頬に手を滑らせ、額に額をつける。


 ああ、とホッとする。ようやく、微熱も収まったようだ。


「あにさま、かなしいの?」


「うん? 大丈夫だよ。ほら泣き止んだ」


 ティンは体を離し、笑ってククルを見下ろす。ククルは、いきなりティンが大泣きしたものだから、とても驚いたのだろう。まだ心配しているらしい。


「……あのね、あにさま。ばばさまが、もうすぐククルに祈り方を教えてくれるって! そうしたらククルは、あにさまのオナリ神になれる。あにさまを、守れるの。かなしいことからも、守るの」


 幼くて拙くて、それでも力強い言葉に、ティンは口元を綻ばせた。


「そうか……。なら、僕も――ククルの兄弟エケリとして、君を守るからね」


 もう、傷つけたりしない。恨んだりしない。


 誓いを胸に、ティンは妹の目を見据えて頷いた。




 ティンとククルが兄妹神としての力を使えるようになったのは、これより二月後のことであった。




(了)

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