本島編
第八話 姫君
琉球王国の首都は、見たこともないぐらい賑わっていた。
大陸の着物や大和人の着物も目に付くが、やはり娘や婦人の
「うわあ、凄いね」
ククルが思わず声を漏らすと、隣のトゥチがくすっと笑った。
「ね、凄いでしょう。私も一度しか来たことがないのだけれど、こんなに人が居るなんてね」
一方、男性陣は静かなものだった。何回も来たことがあるはずのカジはともかく、ユルも全く感動していない。
(ユルは多分、都から来たんだよね……)
ククルの故郷である八重山諸島と本島では、言葉が大分違う。別言語というわけではなく、あくまで方言の違いだ。しかし大きく違うことは確かなので、ククルは都に向かう船の中でカジに本島言葉の特訓を受けたのだった。
だがユルは、習わなくても普通に聞き取りも発話も出来た。むしろ、諸島に居る時より話しやすそうだった。
そんな光景を見て「ユルって
「オレ、眠いから先に宿に行く」
いきなりユルがそんなことを言い出し、カジが呆れたように彼を止める。
「おいおい、勝手なこと言うなよ。まだ日も高いんだし観光でもしようぜ」
「――オレは良い」
ふいっと背を向けてユルが行ってしまおうとするのを見て、トゥチが慌ててユルの腕を掴んだ。
「待って、ユルくん。それなら私も一緒に行くわ」
「……おい、トゥチ?」
「兄さん。私、ちょっと船酔いしちゃって……。ユルくんを一人で行かせるわけにも、いかないでしょう? 兄さんの言ってた宿に部屋を取って、先に行って待ってるわ」
見れば、確かにトゥチの顔は青かった。
「そうか。気を付けてな」
カジは不満げに妹とユルを見送った後、ククルを振り向いた。
「トゥチはともかく――ユルは本当に愛想のない奴だな。しゃあない、ククル! 二人で都見物といこうじゃないか!」
「うん、そうだね」
(聞得大君だって、いきなりうちの兄が代わったこと聞いても困るんじゃないかな)
そもそもどうして、わざわざ聞得大君に申し伝えなければならないのだろうか。それまで祖母の言うことは絶対だと思っていたが、ティンの母親に会ってから、つい疑問を抱くようになってしまった。
ククルはまた思い出しそうになって、うつむいた。
「さあて、都には珍しいもんがいっぱいだぞ。行くぜククル!」
「うんっ!」
せめて今は忘れよう、と心に決めてククルは大きく頷いた。
歩きながら、カジはユルについて気になることがあったと、ククルに語った。
「あいつさあ、船に乗ってる時に、船員と大陸の言葉喋ってたんだよ」
「大陸の言葉……? カジ兄様も、喋れるんだっけ?」
「まあ、俺は商売で使うこともあるからな。少し喋れる、って程度だ。だけど――ユルは、
「……そうなんだ。やっぱり、教養あるのかな……。私、ユルは
士族――琉球の貴族に当たる存在だ。大和の侍のように戦うこともあるが、基本的には貴族的な生活をしている。
もちろん、武芸をしないわけではない。ユルのあの身のこなしは、武芸を習っていたためであろう。
「ああ、そうだろうな」
カジは頷いたが、途中で首を横に振った。
「……あんまり推測ばかりしてるのも、あいつに失礼か。しかし全く、謎の多い奴だ」
「カジ兄様は、ユルに何で大陸の言葉を喋れるか聞いたの?」
「聞いたけど、“少し習ったことがあるだけ”って言って、話を打ち切りやがった。少し習ったことがあるだけ、で身に付くほど簡単じゃねえっつの」
カジは、大きなため息をついていた。
「……うーん。しっかり勉強したのかな」
ククルは首を傾げて、考え込む。本当に、ユルは不思議な少年だ。
(でも――多分、
実は良いところの坊ちゃんで、家出して来たのかも――なんて考えて、ククルは笑いそうになってしまった。
緩む口元を引き締め、ククルは賑やかな市の光景を見やる。
(今は、観光を楽しもう)
大陸から来たと思しき、すべすべした陶器。珍しい匂いのお茶。大和から来た刀も売っており、思わずそれを手に取り掛け、カジに怒られてしまった。
「さあさあ、お嬢さん。翡翠はいかがかな? とっても綺麗なだけでなく、力を持つ石だよ」
呼び声に引かれて店を覗くと、翡翠がところせましと並べられていた。その深い緑に、ククルは魅せられる。
「綺麗……」
ほうっと息をつくと、にっかりカジが笑った。
「おーし、一つ買ってやろう」
「え、カジ兄様……。いいよ、高いし」
「遠慮すんな! どれか良いの選べ」
カジに促され、ククルは迷いながらも小ぶりな翡翠を一つ手に取った。
「これ、欲しいな」
「良いのか、小さいけど」
「うん。これが良いの」
握った手の平から力が注ぎこまれるほどに、
「じゃあ、これくれ」
店主は「毎度あり」と言って、翡翠をかわいい巾着に入れてから、ククルに渡してくれた。
「えへ。ありがとう、カジ兄様」
「はっはは。どういたしまして」
二人が談笑しながら市場を歩いていると、大きな広場のようなところに出て、掲示板に群がる人々の姿が目に入った。
「何だろうね?」
「行ってみるか」
二人は群衆に近付き、貼られていた紙を見て愕然とした。
「――ユルの顔?」
似顔絵が書いてあった。しかもどう見ても、ユルだ。
「おいおい。行方不明の王子……って書いてあるんだが」
カジとククルは思わず、顔を見合わせた。
「ま、まさかね! ユルが、そんな人なわけないよね!」
「だ、だな! あんな山猿が王子でたまるかよ!」
二人は引きつった笑みを浮かべ、もう一度貼り紙を見た。やはり、似ている。いや、似すぎている。
「あの、すみません」
声を掛けられて振り返ると、布を被って顔を隠した怪しい人物が立っていた。声や、少し見える顔の下半分からして女性だろう。
「あの人を、知っているのですか」
鈴を転がすような可憐な声にぼうっとしてしまったククルは一瞬、反応が遅れてしまった。カジに「おい、ククル」と小突かれたおかげでハッとして、ようやく口を開く。
「あ、いえ。ちょっと似てる人を知ってるだけで――」
「その方に、会わせてくれませんか。お願いです」
手を取られて請われ、ククルはおどおどしてしまった。
「で、でも」
知らない人に頼まれ、ユルに会わせて良いものかどうか判断がつかずに、ククルは答えあぐねる。そこで、カジが助け舟を出した。
「だけどな、嬢ちゃん。あんたが何者かも知らないのに、あいつに会わせることは出来ねえよ」
「――そうですか」
少女はククルから手を放し、迷ったように首を振った。
「ならば……付いて来てもらってもよろしいですか。事情を話します」
カジもククルも不安げに顔を見合わせたが、華奢な少女にこちらがどうこうされることはないだろうと判断し、二人は少女の後を追ったのだった。
三人は、ひたすら歩き続けた。いつの間にか商店の並ぶ通りを出て、家の並ぶ区画に出ていた。鮮やかな赤瓦の屋根に白い壁の対比が目に眩しすぎて、日差しも相まってくらくらしてしまう。
ククルが息を切らした時、少女が足を止めて振り返った。そこには、涼しげな茶屋が在った。
「お――」
少女を見て、店の前を掃き掃除していた店員と思しき青年が何かを言おうとしたが、少女はシーッと唇に人差し指を当てて制した。
「その呼称で呼ばないで。この人達に、冷たいお茶をお願い」
「……わかった」
店員は頷き、店の奥に引っ込んだ。彼を追うようにして少女が入って行ったので、ククルとカジも店の中に足を踏み入れる。
一足先に入っていた少女は、頭にかぶっていた怪しげな布を取り払っていた。
髪の色は、ククルほどではないが色素が薄いのか、焦げ茶色に見えた。目の色は、それよりも深い色だった。
そして可憐な声にふさわしい、端正な顔立ちにククルは思わず声をあげた。
「うわあ、かわいい」
「お前はオッサンか」
カジにからかわれ、ククルは照れて頭をかく。
少女の方はくすりとも笑わず、こちらを凝視していた。
「私の名前は、ナミです。あの人は、私の兄なんです……。ずっとずっと、捜しているんです」
切々と訴え、ナミは涙を堪えていた。ティンを恋しく想って泣いている自分に、自然と重なる。
「わかったよ。ユルに会わせる。あなたの兄かどうかは、わからないけれど」
ククルは微笑み、ナミの手を握った。
「お、おいククル。もし、あの貼り紙のが王子で――彼女が妹なんだとしたら……王女様ってことだぜ」
カジがごくりと息を飲んで見つめると、ナミは伏し目がちに頷いた。
「城からは、内緒で抜け出して来ました……。お願い、その人のところに連れて行って。ずっと……ずっと、捜していたの」
ナミはしくしく泣き出してしまい、とうとうカジも首を縦に振る羽目になったのだった。
茶屋から出る前に、ナミはまたあの布を頭にかぶっていた。王女とわかると、すぐに連れ戻されてしまうらしい。
ナミを連れて宿に行くと、ちょうどトゥチが受付近くにある席に座って、受付の男性と話をしているところだった。
「おい、トゥチ。ユルはどうした?」
「ユルくんなら、一休みした後にどこかに行っちゃったわよ」
「何だって? 時機が悪いなあ……」
カジは、ちらりとナミを見やった。
「その内、帰って来るだろうから――部屋で待っておいてもらうか。ククル、相手してやってくれ。俺は、そろそろ商談に行かないといけないんだ」
「う、うん!」
「その子、だあれ?」
トゥチに悪気なく聞かれてククルとナミは身を強張らせたが、カジが咄嗟に「市場で会った子だ。ククルと気が合ったらしくてな」と答えてくれたので、宿の人の前でナミの正体を明かさずに済んだのだった。
ククルはトゥチにどこの部屋か聞いてから、ナミと共に部屋に上がった。
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