第五話 緑樹 4

 痺れを切らしたヤナが、仏頂面で腕を組むユルの顔を覗き込む。


「お前はティンのことを、全て聞いたのか?」


「……ああ。聞いたさ。あいつも、オレと一緒だってな」


 それだけ言って、ユルは口をつぐむ。


「お前はティンの代わりになるのかい」


「そういう約束だが――正直、考えられねえや。オレはオレであいつを利用して、この関係を終わらせたい」


 ユルの勝手な言い分にもヤナは怒らず、静かに息をついた。


「ティンの怒りを買うことになっても?」


 ヤナの質問に、ユルは黙って頷く。


「こればかりは、私が口を出せることじゃないからね。好きにおし。ただし、自暴自棄にならないように――と忠告だけしておこう」


 そう言い残し、ヤナは家から出て行ってしまった。




 その夜、ククルは少女達やユルと一緒に、広い寝間で雑魚寝することになった。


 きゃあきゃあ騒ぐ少女達に辟易したのか、ユルは隅っこで布団を被ってさっさと背を向けてしまった。


「そういえばヤナ様は、どこで眠るの?」


 尋ねると、一番年少の少女が答えてくれた。


「ヤナ様は、あまり眠らないのです。外で、祈りを捧げています」


「へえ……」


 ククルはヤナが一人、星空の下で祈る光景が容易に想像出来た。十二で時を止めた華奢な体に秘められた強大な霊力セヂを使い、天に向かって祈るのだろう。


 この島を支えているのは、あの小さなノロなのだ。


「私……ヤナさんみたいな人になりたいな」


 ぽつりと落ちた呟きに、サーヤが微笑んだ。


「奇遇ですね。私もヤナ様を目指しております」


「サーヤは、すぐになれそうだよ」


 ククルが思わず言ってしまうと、サーヤは嬉しそうに目を細めた。


「有難いお言葉をありがとうございます、ククル様。あなたのように霊力高き人と関わる機会は滅多にないと、ヤナ様も申しておりました」


「そ、そう?」


 ククルは気まずかった。どうも自分が過大評価されているような気がしてならない。ククルから見れば、ヤナやサーヤの方がずっと立派だ。


「……私、よくわからないな。ヤナさんは私の力が強いって言ってくれたけど――“兄”が居ないと何も出来ないのに」


 ここで言った“兄”には、二人の男子が含まれていた。兄であったティンと、兄となったユルだ。神の力のことだけではない。ティンが居なければ、ユルが居なければ……旅など出来なかっただろう。


「ククル様。力に何を求めるのです?」


 サーヤの深い色をした目が、ククルの目を覗き込んでいた。


「強さですか? 己一人で強くなりたいと、そういうことですか?」


「――ええと」


 いざ聞かれるとわからない。自分はどうしたいのだろう。一人だけ強くなりたいのだろうか。ぐっと唇を噛んで考え込んで、答えを絞り出す。


「……ううん、違う。私、足を引っ張りたくないの……」


 ティンへの祈りが足りずに死なせた。体力が持たなくて、いつもユルに苦しい役割を押し付けている。


「私は、引け目を感じなくて良いような人間になりたい……」


 “兄”に頼り切るのではなくて、助け合うようなそんな存在になりたいと、いつでも切望していた。だがティンが死んだことにより、自分の力に一切の自信も抱けなくなった。


(私には祈りの力しかないのに、それすらも――)


 いつの間にか伝っていた涙を、サーヤが袖で拭ってくれた。


「でもそれは、仕方のないことです。ククル様。完全な人間など居ないのだから、人は助け合うのでしょう?」


「違う、違うの。私はまだ、助け合うまでもなく無力で。助けてもらうことばかりで」


「……自分をいじめるのは、お止めなさい。何も、生み出しませんよ」


 優しく言われ、また涙がこみ上げた。


 そうだ。ティンを殺したと断罪される夢を見る際――いつも先頭に立って指を差して来るのは、他でもない自分自身だった――。




 サーヤに背をさすられながら、ククルは目を閉じた。年下の少女の前で大泣きして慰められるなんて格好悪い、という気持ちもあったが、どうしようもなかった。


 いつの間に眠ってしまったのか、ふと目を覚ますと辺りはしんと静まり返っていた。少女達は、すやすやと安らかに眠っている。


 窓から差しこむ月光が、室内を青白い色で満たしている。まだ、夜中のようだ。


 ククルはふと、ユルの姿が見えないことに気付いた。ユルが包まっていた上掛けは、平らになって主の不在を示している。


「ユル?」


 小さな声で問うも、ユルの返事は返って来ない。室内には居ないのだろう。


 ククルは迷ったが、結局布団からそっと抜け出して寝間から出た。




 外に出ると、ヤナとユルが並んで大岩に座る光景が見えた。


 二人で何をしているのだろう、と思いながらククルは一歩踏み出した。


「どうしてティンは、あの子に何も説明していないのだ?」


「知らねえよ」


 ヤナの質問に、ユルが面倒臭そうに答えていた。


 ククルは何故かわからないながらも足を止め、息を殺して二人の背を見つめた。


「多分……本当のこと知ったら、あいつが落ち込むって思ったんだろ」


「ふむ、まあそれはそうだね」


 ヤナは夜空を仰ぎ、相槌を打った。


「あいつは臆病者だ」


「いいや、ティンは立ち向かった。臆病ではない」


 ヤナはすっぱりとユルの言葉を否定した。


「お前も覚えておきなさい。神々を恐れる必要はない。ただ、畏れは必要だ」


「わかってる」


 本当に了解しているのか怪しいほど軽い口調のユルに、ヤナは苦笑していた。


 一体、何の話なのだろう。


 緊張した面持ちで、ククルはその場に固まってしまっていた。


「本当にあの子は、何も知らぬのか」


「ああ。ティンと、血がつながってなかったことさえもな」


 ユルの一言を聞いた途端、ククルの口の中は、からからに乾いてしまった。


 “ティンと血がつながってなかった”


 ユルは一体何を言っているのだろうと笑い掛けたところで、ククルは凍り付いた。


(――兄様と、血が……つながっていなかった? 嘘だ。嘘に違いない。兄様は私の本当の兄だ。だからこそ、神の力も――)


 そこでククルは気付く。ユルとは血族ではないのに、兄妹神としての力が奮えるのだ。ならば、ティンと血がつながっていなくとも――可能だった。


(でも、どうして? どうして?)


 ククルは混乱しながらも踵を返し、のろのろと寝間に戻って布団に包まった。


(もしかして、私はよその子だった? 拾い子だった……? だから兄様は、私には言わなかった?)


 “お前の血はとても濃い”とヤナは言ったが、それはもしかすると――。


 ククルの家の他に、神の血を伝える家があったのだとすれば。そこが、ククルの本当の故郷なのだとしたら。


(私は……誰……?)


 ククルは知らず、嗚咽を漏らした。


 守りの力が足りなかったのは、実の兄妹でなかったからだろうか。だとすれば、自分の存在自体が致命的だったからだろうか。


 わけもわからず泣きじゃくっていると、急に揺さぶられて目を開けた。


「おい、大丈夫か?」


 珍しく、ユルが取り乱した様子でこちらを覗き込んでいる。


「……うん」


「お前、まさか」


 おそらくユルは“さっきの会話を聞いたのか”と言い掛けたのだろうが、ククルは素早く首を振った。


「兄様の夢を見たの。だから泣いてしまったの」


「そうか」


 ユルは一瞬面喰ったようだったが、明らかにホッとしていた。聞かれていないと思って、安心したのだろう。


「大丈夫かい」


 凛とした声音と共に、今度はヤナが戸口に立っていた。


 彼女に見透かされるのが怖くて、ククルは布団に包まって頷いた。


「大丈夫です。すみません」


 まだ自分に注がれる視線を感じたが、ククルは敢えて気付いてない振りをした。


 どうしても、あの話を聞いていたことを知られたくなかった。


「……ヤナ様?」


 隣のサーヤが、不審そうに起き上がった。


「何でもないよ。皆の者、気にせずおやすみ」


 ヤナに言われ、起き出していた少女達は再び眠りへ戻った。


 ユルが自分から離れ、ヤナの足音が遠ざかるのを確認して、ようやくククルは全身に入っていた力を抜いた。




「道中、気を付けるように」


 旅立ちの際、ヤナは真っ直ぐにククルとユルの目を見て言った。


「また、いつでもこの島においで。あの子達も待っている」


 ヤナの振り返った先には、サーヤを筆頭とする小さなノロ候補達が頭を下げていた。


「集落まで、またこの子に案内をお願いしようかね」


 ヤナの合図で、またあの山猫が現れた。


「まーたお前か」


「フーッ!!」


 文句を言ったユルを山猫が威嚇し、ユルとククルは引っ繰り返りそうになってしまった。


「ユル、いい加減に刺激するの止めてよね」


「へいへい」


 反省の様子がない。


「それでは、お世話様でした」


 ククルが頭を下げると、ヤナ達も一礼した。顔を上げると同時に、ヤナと目が合う。


「思いつめるんじゃないよ。良いね」


「ヤナさん?」


「時が満ちれば、どんなややこしい問題も解けるものさ。そういうものだよ」


 小さな声だったので、ククルにしか聞こえていなかったかもしれない。


 ヤナは口をつぐみ、手を合わせて祈りの姿勢を取った。


「お前達ニライカナイの御子みこに、ニライカナイの加護を」


 そうして祈るヤナと少女達に手を振り、ククルとユルは山猫を追って歩き出したのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る