第六話 人魚

 ククルは寝床から、むくりと起き上がった。


(……全然、眠れなかった)


 横を見やると、隣の布団でユルがすやすやと眠っていた。


 何故か帰り道は行き道より短かった。それでも疲労が濃いことは確かで、集落に着くなり、すぐに宿で眠り込んでしまったのだった。


(どうやって兄様に会ったの。どうやって兄様と話すことになったの。どうやって――私と兄様の血がつながっていないことを知ったの)


 問いたくて問い詰めたくて。だけど本人を前にすると、何も言えなくなってしまう。


(私は怖いんだ。あの話が本当だって言われることが)


 お願いだから聞き違いであって欲しいと願う思いは、強くなるばかりだった。


 ククルの視線に気付いたのか、ユルがうっすらと目を開いた。


「……何だよ」


「何でもないよ」


 ククルはユルから目を逸らした。


「もう朝か」


 ユルは起き上がり、呑気にあくびをかましていた。


「さっさと船捕まえて、信覚島しがきじまに渡ろうぜ」


「うん」


 元気のないククルの様子もさして気に留めず、ユルは勢いよく立ち上がった。




 船に乗せてもらい、ククルは船の端でぼんやり海を眺めていた。


 ユルは反対側で、船員と談笑していた。彼らの会話に入る気にもなれなくて、ククルは海に目をやる。


 ユルを、ついつい避けてしまう。船に乗るまでのやり取りも、最小限しかしなかった。


(いつもならもう少し話すのだけど……。ユルは、私の様子がおかしいことに気付いてるのかな)


 きっと気付いているのだろう。でも敢えて、気付いていない振りをしているに違いない。


 それが何故だか悔しいような気がして、ククルはユルの方を見ないようにして、青い水面を見続けていた。


「ククル」


 いきなり耳元で名前を呼ばれ、ククルは驚いて飛び上がってしまった。


「ユル、どうしたの?」


「やばいぞ。あれ、海賊じゃね?」


 ユルの視線を追うと、少し離れたところに一隻の船があった。明らかにこちらに向かっている。


 船員たちも只事ではないと察したのか、各々に武器を構え出す。


「神の力、頼むぜ」


「うん……」


 恐怖に震える心を鎮め、ククルは海賊と思しき船を凝視したのだった。




 ユルの予想は当たりで、船をぶつけられた後に屈強な男達がこちらに乗り込んで来た。


 海賊の狙いは、船に載っている金品や商品だ。海に飛び込んで逃げ出す者も、後を絶たなかった。


 しかし、ユルは鉈を構えた。


「戦うぞ」


 ユルの決断はもっともだったので、ククルはこくりと頷いた。


 ここは海の真ん中で、泳ぎ着けるほど近くに島があるかわからない。海に飛び込んだって、助かるとは限らないのだ。


 ユルは早速襲い掛かって来た男を返り討ちにした。すぐに二人目が飛び掛かり、ユルは舌打ちして刃で刃を受けた。


(――あれ……?)


 ユルの後ろで祈りを捧げていたククルは気付いた。ユルが、手こずっていることに。


 いつもの神の力を帯びたユルなら、すぐに彼らを一網打尽に出来たはずだ。それなのに、二人目で随分と苦戦している。


 ククルは焦り、一層集中力をこめて祈った。だけどユルの様子は変わらなかった。


 横から飛び掛かって来た三人目の槍がユルの肩をかすめ、彼は歯を食いしばった。


「やべえな」


 二人を牽制してからユルは後ろに下がり、肩で息をついた。傷から、どくどくと血が流れている。


 傷が治らない……神の力が、全く利いていないのだ。


「ユルっ!」


「来るな! そこに居ろ!」


 いつの間にか、ユルは取り囲まれていた。


 がちがちと歯が鳴って、自分が震えていることに気付く。


(どうして、神の力が届かないの!?)


 震えを鎮めて祈るのに、ユルの傷は治らない。身体に青い燐光を帯びることもない。


 とうとう三方からの攻撃で一つの太刀がユルを捕らえ、ユルは後ろに吹っ飛んで倒れた。右胸からおびただしい血が流れ、頭にも刃がかすめたのか、こめかみから血が伝っている。


「ユル! しっかりして!」


 ククルは倒れたユルを抱き起こした。意識がないらしく、ユルは苦しげに息をするだけだった。


「かわいそうにねえ、お嬢ちゃん」


「そいつはもう死ぬよ」


 海賊が殺戮の手を止め、ククルに猫なで声で言って来る。


「死なないよっ!」


 ククルは怒鳴り、ユルの身体を引きずって船べりに足を掛けた。


「おいおい、若いのに心中か?」


「止めとけ。お前は生かしてやるから、そいつを置いてこっちに来な」


 海賊の言葉は聞き流し、ククルはぎゅっと目を閉じた。


 ここに居ても、殺されるだけだ。賭けるしかない。


「神様、お願い――!」


 ククルはユルの身体を抱きながら、海へと飛び込んだ。




 二人、青い海の底へと沈んで行く。


 ククルは血の気の失せたユルの顔を見た。浜辺で見たティンの姿と重なるのは、どうしてなのか。


(私はまた、死なせるの……? 私の力が足りないせいで?)


 ユルの傷から流れる血が、水中でふわりと赤黒く広がる。


(――死なせるもんか。兄様みたいに、死なせるもんかっ……! 嫌だ。ユルが死ぬなんて、嫌だ)


 口が悪くて、酷いことも言う。ククルも知らないティンの秘密を知っていて、自分のことは何も話してくれない。


 だけど、いつでも助けてくれた。トゥチに殺され掛けてククルが泣いていた時は一晩中、傍に居てくれた。


(ユルが死ぬなんて、嫌だ。私達は、二人で旅をするんだ!)


 再び強く思った時、熱い力が全身を駆け巡った。


 ククルは目を見開き、海の向こうの一点を凝視した。


(――ニライカナイに住まう、神々よ)


 目の前に在るのはどこまでも続く海の水ではなかった。浮かび上がるは、神々の楽園。


「――ユルを連れて行ったら、許さないから!」


 叫び、何かが弾けた。






 波の音で、ユルは目を覚ました。真上に、欠けた月がぽっかり浮かんでいる。


 浜辺に横たわっているのだと気付き、ユルはゆっくり起き上がる。隣には、ククルがずぶ濡れになって横たわっていた。


 あんな怪我をしたのによく生きてたな、と思いながら右胸に触れる。鈍い痛みと共に、じわりと着物に血が染みる心地がした。


『あらかた、治しておいたよ』


 声の方に顔を向けると、ククルの兄だった青年――ティンが座っていた。


『残念ながら、完全には治せなかったけれどね』


「……礼を言うべきか」


『言いたいならどうぞ』


 と返されたので、ユルは小さな声で言うことにした。


「ありがとよ」


『どういたしまして。もっとも、ククルが君を助けようとしたから私が来たんだ。私よりもククルに、後で礼を言いなさい』


「言わせといてそれかよ」


 ユルはむっとして、ティンを睨み付けた。


 やはりこの男はいけ好かない、と心の中で毒づく。


『この子は、ニライカナイを引き寄せたんだ』


 ティンは優しい笑みを浮かべてククルの頭を撫でた。


「ニライカナイを?」


『そう。今日はニライカナイが遠い日だったから、本当なら私は来れなかった。でも、ククルのおかげでニライカナイが近付き、私が来れたというわけさ。本当に、恐ろしい子だね。ニライカナイを引き寄せるなんて』


 ティンは呆れながらも、どこか喜んでいるようだった。


『神の力が奮えなかったのは、ククルのせいではなくお前のせいだよ』


 いきなり強く見据えられ、ユルは顔をしかめた。


「どういうことだよ」


『これまでお前達二人で神の力が使えたのは、ククルがお前を疑いながらも心のどこかで信じてくれていたからだ』


 神の力には信頼が必要、と言われたことをユルは思い出す。


『だけど、ククルの信頼は揺らいでしまった。お前の方は、全くククルを信じてはいない。だから、力が使えなくなったのだ』


「これまでククルの信頼だけで、神の力が奮えていたと?」


『そういうことだね』


 ティンは冷たいとも言える表情になって、頷いた。


「馬鹿馬鹿しい力だ」


『君に警告しておこう』


 ティンは立ち上がり、ユルを見下ろす。


『人を疑うばかりでは、何も得をしないとね』


「うるせえな。オレの勝手だろ」


 頑として聞き入れないユルを見て、ティンは呆れたように肩をすくめた。


『もう一つ、警告だ』


「何だよ」


『お前は、この島に来たことがあるだろう』


「何だって?」


 浜辺だけでは、既知の島とそうでない島との判別が付かない。


『この島は、人魚の島だ』


 それを聞いて、ユルの顔色が変わった。


 それきり、ティンは海の向こうに姿を消してしまった。




 ククルが目覚めた時には、もう朝日が上っていた。


「よう、起きたか」


「……うん」


 ユルのぞんざいな挨拶に返事をしながら、身を起こす。


「あっ、ユル! 怪我は!?」


 ククルが気色ばんでユルを揺さぶると、彼は痛みに呻いた。


「大丈夫だ……と言いたいところなんだがな」


 ユルが胸元の着物をはだけると、ざっくりとした裂傷が見えた。


「ちょっと休ませてくれたら、また旅に出られる」


「こんなの、神の力があれば一発だよ」


 ククルは祈りの姿勢を取ったが、また神の力がユルに影響を及ぼすことはなかった。


「どうして……?」


「調子、悪いんだろ。良いから、行こうぜ。この島にはちょっとした知り合いが居るんだ。上手くすれば、そこに泊めてもらえるかもな」


「知り合い?」


 ユルの知り合いなど、初めて聞いた。


 しかしククルが詳しく尋ねる前に、ユルはさっさと立ち上がって歩き出してしまった。


「ま、待って!」


 ククルはユルを追いながらも、“知り合い”のことが気になって仕方がなかった。




 ぽつりと佇む民家に、ユルは我が者顔で入って行った。


 門をくぐったところで、庭に居たこの家の住人がこちらを見る。


「あなたは……」


 初老の女だった。


「お久しぶりです」


 ユルが頭を下げるのを見て、ククルもそれにならった。


「これはこれは。また、ここに寄ってくれるとは……。主人は今、漁に出ていてね。どうぞ上がって」


 招き入れられ、ククルとユルはその家の中へと入った。




 どういう知り合いかは、説明してくれなかった。だけれども女も、しばらくして帰って来たイチという夫もとても親切だった。


 寝床に入り、うつらうつらしていた時だった。気配を感じて目を開けると、ユルが部屋から出ていくところが見えた。


 密林の島でのことを思い出し、ククルはゆっくり起き上がり――しばらく迷ってからユルの後を追ったのだった。




 開けた場所に、ユルは佇んでいた。


 その背中があまりにも淋しげで、ククルは息を呑む。


 彼は、石を見下ろしていた。名前の刻まれた石――どうやら、簡素な墓のようだ。


 花を手向けるでもなく手を合わせるでもなく、ユルはただ佇んでいた。だが――その背が何より、哀悼を示している。


 ククルは足音を殺し、そっと家の中に戻った。


 きっとユルはククルが居たことに気付いていただろう。けれど、彼は振り向かなかった。


(あそこに、私は入っちゃいけないってことだ――)


 ユルの領域。彼が頑なに守ろうとしているのは、何なのだろう。


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