第五話 緑樹 3

 寝転び、ククルは満天の星を見上げる。


 これだけ疲労していれば眠気はすぐやって来ると思ったのに、妙に感覚が冴えて眠れない。


「……ユル」


「何だよ」


 期待せずに呼び掛けたら、返事があった。ククルは顔を横に向け、こちらに背を向けて寝転ぶユルを見る。


 こうして見ると、思ったより華奢な背中だった。そういえば、ユルは自分と同い年なのだと今更思い返す。


 起きている時は――偉そうな態度のためか――実際より大きく見えた背も意外と小さかったのだ。姿勢が良いせいもあるだろう。ユルは立ち姿がすっとしていて、綺麗だ。武具の扱いも達者だし、身のこなしからして、武道をやっていたのは確実だろう。


(ユルはもしかして、士族しぞく出身なのかな)


 琉球の上流階級である、士族。そうだとしても、おかしくない。

 だけど、姿勢や立ち振る舞いだけが彼を大きく見せているのではない、とククルは思う。彼は――わざと、自分を大きく見せようとしている。虚勢を張って、弱みを見せないように。


 何故、彼は強くあろうとするのだろう。


「ユルは、誰かと旅をしていたことがあったの?」


 勝手に、言葉が口から零れ出る。しばらくの沈黙の後、ユルは短く答えた。


「――ああ」


 やっぱり、とククルは心の内で呟く。


 旅慣れている理由が、やっとわかった。


「その人は……」


「もう死んだ」


 一言だけ答えて、ユルは沈黙した。もう答える意志はない、と言わんばかりに、背中がククルの言葉を拒んでいた。


「そう」


 “死んだ”


 きっと、大切な人だったのだろう。


(私は兄様を亡くした。ユルも、誰かを亡くした。私達が“兄妹”となったのは、ただの偶然とは思えない……)


 ククルは深い考えに浸りながら、空を見上げた。星々は、夜空の下で寝転ぶ二人の子供とは無関係に、ただただ清冽な光を放っていた。




 翌朝、久々の野宿だったせいか、体が痛かった。


「……おはよ、ユル」


 と横を見たが、ユルは居なかった。


 どこに行ったのかと首を巡らしたその時、後ろからユルの声がした。


「動くな」


 その鋭い声に悲鳴を上げそうになったが、それよりも足に絡み付いた蛇を見て凍りついてしまった。


 ハブだ。


「動くなよ。咬まれるぞ」


 ククルとユルと蛇の間に、緊張が走る。


 後ろに居るので見えないが、ユルもきっと近くに居るのだろう。ユルが動けば、蛇も動く。時機が悪ければ、ククルが咬まれる確率は非常に高い。


「ここらへんのハブは大人しい蛇だ。じっとしてたら、どっか行ってくれる」


 落ち着かせるような穏やかな声だったので、ククルも冷静になることが出来た。


(そうだ、暴れたら余計に危険なんだ)


 混乱を鎮めてじっとしていると、蛇はするするとククルから離れ、密林の奥へと消えてしまった。


「…………び、びっくりした」


「とろくせえ奴だな、全く。ほらよ」


 振り向くと、ユルが黄色い果実をククルに差し出して来た。


「ありがと。取りに行ってくれてたの」


「甘いもん食いたかったからな」


 ユルは腰を下ろし、ばくばくと黄色い果実を食べ始めた。


「猫も戻って来たみたいだぜ」


 ユルの言った通り、いつの間にかあの道案内を務める山猫が傍にひっそり佇んでいた。


「今日には着くんだろな?」


 呟きに近いユルの問いに、山猫は驚いたことに、こっくり頷いたのであった。




 昨日のように、山猫に先導されて密林をひたすら歩き続ける。


 前方から少女の声が聞こえ、ユルもククルも足を止めた。


「どう思う?」


「女の子の声だね」


 一人じゃない。何人もの、年若い少女の声だ。


 尚も進むと、眼前に一軒の大きな家が現れた。


 五人の少女達は、いきなり現れたククルとユルに一斉に視線を向ける。山猫はその内の一人に向かって、悠々と歩き出した。


「おや、御苦労だったね」


 十二歳ほどの容姿とは似合わぬ老成した口調で言い、彼女は山猫の頭を撫でる。


「お前達も、よく来たね。私はヤナ。この島の神女ノロだ」


 そうして、ノロは名乗りを上げたのだった。




 ユルは、少女の姿をしたヤナがノロとは、信じられないようだった。家の中に入れてもらい、お茶を待ちながらもユルはじろじろヤナを眺めている。


 それは仕方ないだろう。初めて会った時、ティンも自分も信じられなかった。この島で崇められている偉大なノロが、子供にしか見えないなんて。


「私はこれでも、もう四十だ」


 茶を淹れながら言われたヤナの台詞に、ユルは目を剥いていた。


「嘘だろ?」


「本当だ。お前にはもう、話したっけね?」


 ヤナはククルを見たが、ククルは曖昧に首を傾げた。


「あんまり、覚えてないです」


「そうか。あの時のお前は、酷く衰弱していたからな。覚えていなくても無理はない」


 ヤナは二人に湯飲みを差し出し、ククルとユルは有難くお茶を飲んだ。飲んだこともないような香草茶だったが、美味だった。温かい茶が、疲れ切った身に染みる。


「私は十二の時以来、成長していない。一度、毒蛇に咬まれて死に掛け、九死に一生を得た時からな」


 二人は、ヤナの話に耳を傾けた。


「だから、初潮も迎えていないのだ」


 ここでユルがお茶を噴きそうになっていたが、そんなユルを気にも留めずヤナは続ける。


「死に掛けた時、ニライカナイを一瞬だけ見た。鮮やかな神々の楽園を」


「……ニライカナイを?」


 ククルは思わず身を乗り出した。


「ああ。そして目覚めた時、今までとは比べ物にならないくらいの霊力セヂが己に宿ったことに気付いたのだ。おそらく、一度ニライカナイに行ったことにより、己に眠る僅かな神の力が増したのだろう」


 ヤナはククルに向かって微笑み掛けた。


「お前には負けるがね」


「ええ? でも、私は死に掛けたこともないし」


「それでもお前の血はとても濃い。先祖返りだ」


「先祖返り?」


 ククルは驚いた。自分の発揮する力が強いのは、兄のティンが強いからだとばかり思っていたのだが……。


「お前の血が濃いから、前の兄の力は強かったのだ。今回は……まだお前達、付き合いが浅いのだろう」


 ヤナは全て見透かしたように、微笑んだ。


「時が経ち、お前達が互いにより信じ合えば、以前よりも強い力が生まれるかもしれない」


 ヤナの意味深な言葉を聞いて、ユルが立ち上がった。


「……ユル?」


「ちょっと、このノロと二人で話させてくれないか。良いだろ?」


 勝手に決められてククルは鼻白んだが、ヤナもゆっくりと頷き掛けて来たので、ククルは渋々と立ち上がった。


「じゃあ、私はどこに行けば良いんですか?」


「あの子に付いて、一旦外に行っておくれ」


 ヤナが示した先には、小柄な少女が立っていた。


「頼んだよ」


「はい、ヤナ様。では行きましょう」


 少女はにっこり笑い、ククルの着物の袖を引っ張った。




 ククルが出て行ったことを確認してから、ヤナは薄く笑った。


「あの子には、聞かせていないのかい」


「ああ。もし、言うつもりなら――」


 ユルが鉈を素早く構えてヤナの喉元に突き付けようとしたが、小刀がその刃を阻んだ。


 少女がヤナの前で小刀を構え、ユルを睨み付けている。


「……馬鹿なことはお止め」


 ヤナに言われ、ユルはため息をついて鉈を下ろした。


「すげえな。護衛かよ」


「先ほどのように殺気をまとわれていては、護衛を後ろに控えさせたくもなる」


 ユルの嫌味に、ヤナは嫌味で返した。


「もっとも、この子は護衛ではないがな。なかなか武術に秀でているだろう? …………とにかく。そんなことをしなくても、お前達に必要以上に口は出さないよ」


 じっと見つめられ、ユルは床に腰を下ろした。


「ククルの祖母も、そうやって脅したのかい。そうして、兄となった?」


 ヤナは唇を歪め、ユルを見下ろす。ユルよりも小さい華奢な体躯なのに、この圧倒的な迫力は何だろう。


「オレは脅していない。ティンの言葉を伝えただけだ」


「……ふん、なるほど。ならば、彼女は受け入れざるを得なかっただろうね。ティンの言葉とあっては」


 真偽を確かめるかのごとくヤナはユルをねめつけたが、すぐに力を抜いた。


「本当のようだね。ティンとはどこで会った?」


「――旅の途中で。その時に、契約を交わした」


 ヤナに嘘を言ってもすぐにわかると悟ったユルは、簡潔ながら正直に答えた。


「契約の内容は」


「言わない。他人に言わないことも契約の内だ」


「そうか」


 ヤナはため息を一つついて身を屈め、ユルと視線を合わせた。


「ククルの力を利用するつもりなら、気を付けるが良い。あの子は本当に神に近しいぞ」


 その重い忠告には、沈黙をもって答えとした。




 一方、ユルとヤナがそんな真剣な話をしているとは夢にも思わず、ククルは少女達と談笑していた。


 彼女達はククルよりも幼いのに、とてもしっかりしていた。


「あなた達も、ノロなの?」


「いいえ。私達は、ヤナ様の弟子です。親を亡くしたところを、ヤナ様に拾われました」


 一番年上の少女――と言ってもククルよりは下だ――が、はきはきと答える。彼女の名は、サーヤというらしい。


「次代のノロになるため、修行中です」


「なるほどー」


 ヤナにも寿命があるから、後継者を育てなくてはならないのだろう。この少女達の中から、新しいノロが生まれるのだ。


「あなたのことは覚えています。光り輝く男の人と、一緒に来た女の子ですね」


 彼女の言い方に、ククルは眉をひそめた。


「光り輝く……? 兄様のこと?」


「はい。あなたは見慣れていたので、意識しなかったんですね。あの方は、私の目には光って見えました。内から光る、希有な人でしたね」


 サーヤの真剣な視線を、ククルは受け止める。


(そういえば、たまに兄様を見て“ティンは明るいね”と言う人が居た。もちろん社交的な性格だったせいもあるだろうけど、内の光を感じ取っていたとしたら……)


「それも、太陽の明るさです。真昼の海のような、眩い光でした」


 サーヤの言葉に、ククルは心から同意した。ティンを思い浮かべて思い出す雰囲気は、真昼の海だ。眩くて心地良くて、何故だか懐かしい。兄はそんな人だった。


「今日あなたと一緒に来た方は、対照的ですね」


 サーヤに手を引かれ、我に返る。


「今度はユルのこと……だよね」


「ユルと言うのですか。名は体を表すとは、このことですね」


 彼女は仄かに笑った。


「彼は夜の海。青い月光で水面を輝かせる」


 ごくりと、ククルは喉を鳴らす。初めて会った時から忘れられない、黒々とした目が思い浮かぶ。何を映しているのだろう。底に何を、たたえているのだろう。


「怖いのですか?」


 問われ、ククルはうつむいた。


 怖い? ――そう、怖かった。たまに、ユルは怖かった。でも同時に安心することも確かだった。


「だけど彼とあなたの相性は、とても良い。ひょっとすると、前の御方よりも」


「……ティン兄様よりも?」


「何故なら、あなたもまた真昼の海のようだから」


 そっとサーヤは、ククルの手を握り締めた。


 やけに早く打つ心臓の音が手を通して伝わってしまうのではないかと気になり、ククルは呼吸を落ち着ける。


「同質のものを取り込んでも、ある程度しか強くなれません。しかし異質のものを取り込み、それをも自らの力とすれば……」


 サーヤの目は、ヤナにそっくりだった。ヤナのように、全てを見透かすような目だった。肉体を透かして心を読み、時を透かして先を読む――ノロやユタだけが持ち得る目だ。


 きっと、次のノロは彼女なのだろう。確信に近い予感に酔いながら、ククルは次の言葉を待った。


「相反するものは、反発し合うものです。だけど、上手く融合すれば新しい力が生まれるでしょう。……そして同時に鎮め合うでしょう」


 少女は肩から力を抜き、ククルの手をすっと放した。


「申し訳ありません。偉そうに、つらつらと語ってしまいました」


「ううん、ありがとう」


 彼女のおかげで、少しだけユルという存在をわかることが出来て、もう少しティンを深く知ることが出来たような気がしたのだった。


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