第69話(番外編) ラルの不調
ある日、ラルがご飯を残した。
いつも大喰らいな彼にしては珍しいが、ナナコにとってはどうでもいいことだった。
「ラル、それ食べないの? ちょうだい」
「ダメだよ。僕のを君にあげたら体に悪いんだ」
「あんた毒でも食べてるの?」
「違うよ~。君のを僕が食べても体に悪いんだ」
「私は毒なんか食べてないわ!」
「そうじゃないってば。……ごめんね、ちょっと今日は疲れているみたいなんだ。もう寝るね、おやすみなさい」
ラルはとことこと歩いて行き、ごろりと寝そべった。
「なによ、もう」
ナナコは膨れてラルを睨んだが、どんなに待ってみても彼が起き上がっていつものように散歩の話をすることはなかった。
暇を持て余して柱を爪で研いだら人間に怒られたので、その日はずっとふて寝して過ごすしかなかった。
翌朝、ラルはなかなか起きてこなかった。
ナナコが寝床を覗き込むと、彼は苦しそうな呼吸を繰り返していた。
「どうしたのよ……」
おそるおそる尋ねると、ラルは頭を上げることすらしないままで答えた。
「ちょっと、調子が悪いみたい」
ナナコは眉間にしわを寄せ、
「軟弱ね。そんなんじゃ大好きな散歩にだって行けやしないわ」
と言い捨てた。
散歩という言葉に反応したのか、ラルはわずかに頭を動かしたものの、依然として呼吸は苦しそうなままだ。
ナナコは人間たちのところへ駆け寄った。
「ラルの様子がおかしいわ」
リビングにはこの家の人間が三人ともそろっていたが、誰一人としてナナコの声に耳を傾ける者はいなかった。
「ねえ、聞いてよ! ラルの様子がおかしいのよ!」
ナナコが再び言うと、ようやく一人が顔を上げた。
「おい、ナナコにちゃんと餌をやれよ」
もう一人が面倒臭そうに応える。
「やったよ」
「ごはんじゃないわよ!」
ナナコが叫ぶと、三人目の人間が言った。
「遊んで欲しいんじゃないの?」
「違うわよ! 役立たず!」
怒りに身を任せてそう言い捨て、ナナコは再びラルの元へ戻った。
ラルはますます苦しそうな息遣いになり、いつもは鬱陶しいくらいに振っているしっぽも今日は微動だにしなかった。その様子を、ナナコはただ眺めているしかできなかった。
昼近くになり、人間のうちの一人がようやくラルの異変に気付いた。
ラルはそのままビョーインへ連れて行かれ、数日間戻って来なかった。
空になった寝床を見つめ、ナナコは何度となく呟いた。
「ねえラル、また散歩の話を聞かせてよ。……あたしを一匹にしないで」
今となっては、ラルの低く聞き取りにくい声も、鬱陶しいくらいに振られていたしっぽも、よくわからないことだらけの話も、すべて大切なものだったように思えた。
今日こそはラルが帰ってくる。
そう思い、ナナコは窓辺に立つことが多くなった。
今まで外には興味がなかったが、庭を眺めているといろいろなことに気付いた。それは訪問者の存在である。空から来てまた空へと帰っていくものはトリだと見当がついた。これは害にならなそうだったので、どうでもいいと思った。
問題は猫だった。
ナナコは奮い立った。かつてラルは、いざという時には番犬として吠えるのだと言った。そのラルがいない今、自分がこの家を守らなくては、と思った。
そしてある日、虎模様の猫が庭を歩いているのを見つけたナナコは、ありったけの声で相手を脅した。
「あなたのしっぽに別れを告げなさい、今すぐ喰い千切ってやる!」
「うっ、うわああっ!」
相手は情けない声を挙げながらへっぴり腰で逃げて行った。
その姿が見えなくなってもナナコはしばらく窓の外を睨み続け、ようやく相手が去ったと思える頃にはどっと疲れて床の上に横になった。
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