第十二章 どうでもいいこと

第66話(番外編) 嬉しがる犬

 ナナコはラルと一緒に住んでいる。

 ナナコからすれば、自分が住んでいる場所にラルも住んでいるのだと思っている。ラルがどう思っているかは知らないし、どうでもいいことだ。


 それと、人間が三人。

 彼らもまた、ナナコと同じ場所に住んでいる。彼らはナナコが快適に暮らせるよう、食事を用意したり、寝床を整えたり、トイレを清潔に保ったりする役割なのだ。彼らはついでにラルの世話もしているようだが、これまたナナコにとってはどうでもいい。


 ラルは何をするのかというと、彼はまったく役に立たない。きっと、いてもいなくても同じだろう。

 そんな話をすると、ラルは決まって不満顔をするのだ。


「僕は番犬になれるよ。知らない人が来たら、吠えてご主人たちに知らせるんだ」

 だからナナコは皮肉たぷりに言ってやる。

「あんた、知らない人が来たらしっぽ振って喜んでるじゃない。何が番犬よ。笑わせるわ」

「あうぅ……」

 もはやラルは涙目だが、それもどうでもいい。


「っていうかラル、あんたのしっぽ邪魔なのよ! バサバサ振り回すのやめなさい! 今度やったら喰い千切るわよ!」

 この『食い千切る』というのはナナコにとってお気に入りの脅し文句だった。

 これを言うと、ラルのしっぽはいつだって電源スイッチを切られた扇風機みたいにパタリと止まってしまうのだ。

「恐いこと言うのやめてよう。これは癖なんだ。嬉しいとついやっちゃうんだよ」


 ああ、今日もラルは言い訳ばかり。

 ナナコはイライラして、一方的にまくし立てる。


「あんたなんか一日中嬉しがってるじゃない! 朝起きたら『新しい一日だ』って言って嬉しがって、天気が良ければ嬉しがって、風が爽やかだって嬉しがって、雨なら雨で『木やお花が嬉しそうだね』って嬉しがって、雷のときだって『雷が嬉しそうだね』って嬉しがって、ホント馬鹿じゃないの? 雷なんてうるさいだけじゃないの。べ、別に恐くなんかないんだからね。……それだけじゃないわ、ご主人がおはようって言えば嬉しがって、ご飯をもらえば嬉しがって、水を飲んでも嬉しがって、散歩となればそりゃあもう大喜びで、行ったら行ったで知り合いの誰それに会ったって嬉しがって、家に帰って来たら『やっぱりおうちが一番!』って嬉しがって、お風呂に入れば嬉しがって、タオルがふかふかだって嬉しがって、ボールで遊べば嬉しがって、テレビを見れば嬉しがって、夕飯でまた嬉しがって、寝床の敷物がやわらかいって嬉しがって、ご主人におやすみって言われて嬉しがって、『ああ今日も素敵な一日だった』とかなんとか言って嬉しがって、きりがないじゃない!」


 ナナコは乱暴にしっぽを振り回す。

 本当はこんなんじゃ全然言い足りない。ラルが嬉しがることはまだまだたくさんあるのだ。まったく呆れた犬である。


 そして、上目づかいのラルにおずおずと「じゃあ、ナナコは嬉しいことが何もないの?」なんて尋ねられれば、頭にきて強烈なパンチをお見舞いしてやらなくては気が済まないのだ。

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