第60話 決心

 ――コジロウ。



 呼ばれた気がして、コジロウは振り返った。

「……え」

 そして、自分の目を疑った。


 空き地の入口に、小柄な猫が佇んでいた。

 彼女はコジロウの顔を見ると、安心したように駆け寄ってきた。

「やっぱりコジロウだわ。会えてよかった」

「……つくし?」


 どうやってここへ来たのかと問う前に、彼女の傍らにいた牛斑猫モーがうんざりと言った。

「ここに来るまでにな、犬に吠えられたのが二回。虫に驚いて逃げ出したのが三回。人間に見つかりそうになって隠れたのが八回。車にひかれそうになったのが五回か。よくもまあ、辿りつけたもんさね」


 聞いているだけで肝が冷え、コジロウは身震いをした。

 しかし、つくしはぴしゃりと言う。

「そんなことを言っている場合じゃないわ、モー」

「おうよ」

 モーがぴたりと黙ると、つくしは真剣なまなざしを向けた。


「コジロウ。私ね、あなたにお願いがあって来たの」

 もう春が近いはずなのに、風はまだ冷たい。

 空き地の草たちが、ざわざわと騒ぐ。

 心から不安を追い出すために、コジロウはひとつ身震いをした。


「――お願い。私をクロさんのところへ連れて行って」

「なんだって」

「クロさんを助けたいの」

「ボスはどこにいるかわかっていないんだ」

「目星はついてるんでしょう」

 余計なことを、とコジロウはモーを横目で見た。


 モーは目を逸らしながら、決まり悪そうに言った。

「ハチの奴はクロを見捨てるんじゃねぇかって噂もあるぜ」

「そんなことは……!」

 否定しようとしたが、先ほどのハチの冷たい口調が脳裏をよぎり、コジロウはそれ以上何も言えなかった。


「まあな、クロやハチが戻らなかったとしても、後は俺様が仕切るから心配ねぇぜ」

 どの口からそんな言葉が出るのか、モーがしゃあしゃあと吐く。

「縁起でもないことを言わないで!」

 つくしはしっぽの先まで毛を逆立ててモーを睨んだ。

「おうよ」

 モーは再び黙り、それ以上は何も言わなかった。


「あのね、コジロウ。……私とお姉ちゃんは、本当の姉妹じゃないの」

 つくしが静かな声で言った。

「私たちは同じ日にクロさんと出会って、助けられたの。クロさんは私たちをあの屋敷に連れて行ってくれたのよ、いつもあんなに人間を嫌っているのに……」


 それは彼にとってどれだけ屈辱的なことだっただろう、とコジロウは思った。

 ――結局、俺たちを酷い目に遭わせるのも人間だし、俺たちを救うのも人間なのさ。

 いつだったか、モーから言われた言葉を思い出す。


「私が今生きているのは、クロさんのおかげだわ。あなたと出会えたのも、今こうしてお話できているのも……。だから私、どうしてもクロさんを助けたいの」

 そう言うと、つくしは目を伏せた。


 コジロウは家を出てから今までのことを思い出していた。

 カラスと人間に襲われて危ないところをハチに助けられたこと。猫たちがたくさんいる屋敷でモーやつくしやれんげに出会ったこと。廃車の寝床を貸してくれたクロのこと。公園の自由猫たちのこと。神社に棲むナギとミシキのこと。

 家族の待つ場所に帰りたい気持ちは今でも強かったが、この数日間で体験したことや出会った猫たちは既にコジロウの中で大切なものとなっていた。


 そして、再びつくしと目が合ったとき、コジロウは決心をした。

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