第56話(回想) ボスにならないか?

 翌日も、その翌日もトラは来なかった。

 そのかわり、ハチがやって来るようになった。どうやら気に入られたらしい。クロにとってそんなことは初めてだった。


 ある日、ふとハチが言った。

「あんた、この町のボスになってみないか」

「唐突だな」

「みんながひれ伏す様子を眺めるのは気分がいいぜ。なんなら手伝ってやるよ」


 彼はありのままに自分の目的を話した。

 ボスの側にいることで人間の情報が入りやすくなること。その中に、人間になるためのヒントがあるかも知れないということ。

「どうせなら理解のある奴の側にいたほうが安心だからね」

 と、ハチは付け加えた。


「それなら、お前がボスになればいいだろう」

「それはそれ、忙しくなっちゃ意味がないだろう」

 興味がないと断っても、ハチは同じ話を熱心に繰り返した。

「どうしてそんなに勧めるんだ」

「ゆっくり眠るためさ」

 彼は冗談めかしてそう言う。


 ひどく曖昧だな、と思った。一体「誰が」ゆっくり眠るためなのか。

 町内の猫たちが安心して暮らせるようにという意味なのか、ボスにのぼりつめれば良い寝床でゆっくり眠れるということなのか、それとも単に、実力者の側にいることでハチが安心して眠るためなのか。


 クロがそんなことを考えているうちに、話はどうやら勝手に進んでいるらしかった。

「俺と勝負したがってるってのはお前か?」

 そう言って現れたのは、白い毛に黒い斑模様のついた大きな猫だった。たしかモーと名乗ったか。


 クロにはまったくその気がなかったが、相手は既にやる気満々だった。クロが何か言う前に、巨大な斑模様が迫る。

 体格差では負けているものの、身のこなしで負けるつもりはなかった。日々の狩りで鍛えられた瞬発力で、鋭い爪が相手の耳を切り割いた。


 あっさりと勝負がついた後、物陰から一部始終を見ていたハチが現れた。

「あ~あ、なんでわざわざ顔の横に傷をつけさせたんだ? あんたなら余裕で避けられただろうに」

「相手に傷をつけてしまったからな。あいつがわらわれないためには、そうするしかないと思ったんだ」

 不器用だねえ、とハチは呆れ顔で言った。

「ま、ともかくこれであんたがボスだ。これからもよろしくな」

「ああ」

 クロがしぶしぶと返事をする。


「しかし、あれだね。あんたも俺も少し棘がありすぎる。あんたはそのままでいいとしても、俺までこのままじゃあ他の連中が怯えて近寄らないかもな」

「というと?」

 ハチはゆっくりしっぽをふって少し考えると、唐突にひょうきんな口調で言った。

「ボス、これからもどうぞよろしくでやんす~」

 相手の様変わりに驚き、クロは瞬きをする。

「何の真似だ」

 相手はなおもおどけたまま言った。

「力で押さえつけるだけじゃ能がないでやんすよ~。少しでも多く情報を仕入れるために、頭を使わないとね」

「そこまでやる必要があるのか?」

 クロがそう尋ねると、ハチは呟いた。

「人間になるために必要なら、なんでもやるさ」

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