第55話(回想) ハチとの出会い

 すぐ側に猫の気配を感じ、クロは声をかけた。

「トラか?」

 相手は苦笑した。

「そう呼ばれる理由はないね。虎模様じゃないもの」

 その猫は少し小柄な白黒模様で、しっぽの先だけが黒かった。


「すまない。知り合いと勘違いした」

「誰か待っているのかい」

「青い首輪の虎猫だ。見かけなかったか?」

「さあ、知らないな。この町には先日来たばかりなんでね」


 相手の背中に黒い毛があるのをみて、クロは尋ねた。

「お前も人間に追われてこの町に逃げてきたたのか?」

 相手はきょとんとしてから、ああ、そうかと言った。

「あんた黒猫だものな。苦労してそうだねぇ」


 こいつも俺の黒い毛を馬鹿にするのか。

 牙を見せて追い払おうかと考えていると、相手はにっと口の端を上げた。

 まるで人間が笑うときのような顔だった。


「ひとついいことを教えてやる。人間は年をとるとな、髪の色を黒く塗るんだ」

「わざわざ黒くするのか?」

 クロは混乱した。

 人間というやつは、猫の毛が黒いのは嫌うくせに自分たちの毛は黒い方が良いらしい。いったいどういうことなのだろうか。


 その戸惑いを見透かしたかのように、白黒猫が答える。

「その方が若く見えるから、だとさ」

「詳しいな」

 クロがそう言うと、相手の猫は目を細めた。

「人間になりたいと思っているからね」

「人間に……?」

 胡散臭い話だと思ったが、相手が嘘をついているようにも見えなかった。

「あんたも、馬鹿げた話だと思うかい」

 白黒猫がじっと見つめる。


 クロはふと、トラの話を思い出した。

 すべては単なる事象に過ぎない。自分の毛が黒いのも、空が晴れているのも。

 人間になりたいという胡散臭い願望を持った猫が、目の前にいる。これもまたひとつの事象に過ぎないのだろうか。ふん、と息を吐き、こともなげにクロは答えた。


「お前がそうしたいなら、それがお前というやつなんだろう」

 すると相手は不思議なものを見るような顔をした。

「俺の話を聞いて、無理だと言わなかったり馬鹿にしなかったのは、あんたが初めてだよ」

「……正直、少し変わっているなとは思うがな。それはそれでいいんじゃないか」

 そう答えると、相手は面白そうに口元を緩めた。

「俺はハチっていうんだ。よろしく」



 近道である公園を歩いているところを、トラは一匹の猫に声を掛けられた。

「黒猫があんたを待っていたよ」

 そう言ったのは初めて見る顔の猫だった。

 背中の毛としっぽの先がクロと同じ黒色だなあ、などとトラはぼんやり考える。

「ああ……行くって約束をしたからな」

「なるほどね。ところで、あんた具合でも悪いのかい?」


 そう言われて、トラは自分の足元がふらついていることに気付いた。

「少し寝込んでいてね。ようやく調子が戻って来たんだ」

「俺には、まだ休んだ方がいいように見えるけど? ほら、あの辺りでさ」

 先の黒いしっぽで相手が指示した場所は、落ち葉が積もって暖かそうだった。

「そうだな……」


 そう言うと、トラはその上に体を横たえた。

 冷たい秋風が吹き、枯れ葉を散らしてゆく。このまま落ち葉が降り積もり、うまく体を隠してくれれば安心して眠れるだろう。

「おやすみ」

 相手の猫がそう言ったのを聞いて、トラはゆっくりと眠りに落ちて行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る