第31話(回想) 言い訳の恋
――人間になれたら。
その言葉が、ハチの頭の中でぐるぐると回った。
人間になった猫の話など聞いたことはなかったが、試してみない限りは絶対にないとも言い切れなかった。
もしかしたら、探せばどこかに方法があるかも知れないと思えた。
それほどまでにハチは心から「人間になりたい」と願っていた。
ハチは決心をした。
志保との思い出を、たくさん遊んだ場所を、師匠を、万里江を、母猫を、兄弟猫を、すべてを残し、生まれた町を後にした。
彼は取りつかれたように学んだ。
人間の言葉を学んだ。人間の行動を学んだ。人間の生活をを学んだ。人間の習慣を学んだ。人間の思考を学んだ。人間のことならとにかくすべて学んだ。
ひとつの土地で学び切ったと思えば、すぐに次の土地へ移動した。
そのうち、土地ごとに少しずつ猫と人間の関わり方が異なることに気付いた。
中には人間よりも偉そうにしている猫もいた。見たこともないような美しい毛並みで、目もパッチリして、ひげもピンと伸びている。
そういう猫はたいてい大きな家の窓辺でぼんやりとたたずんでいた。大事にしてもらっているようだったが、本当に幸せなのかは疑問だった。
やがてハチはある町に辿り着いた。
適度に人間が住んでいて、猫の数も多そうだ。その土地で暮らす猫たちの様子を見れば、人間たちと猫の関係がおおむね良好だということも分かった。
いろんな猫と出会った中で、空き地で暮らしているクロという猫がいた。
人間嫌いな彼とは気が合わないと思ったが、それ以上に、扱いやすい奴だと思った。一ヶ月近くかかって説得をし、ようやく彼は町のボスになる決心をした。
あとはもう簡単だった。
彼は他の猫たちに恐れられながらも親しまれ、あっという間にボスの地位を確立した。
ハチは彼の側近として収まり、いろいろな情報が集まってくるようになった。その中には人間に関するものも多く、ハチはますます人間について学んでいった。
そんなある日、彼は一人の女性と出会う。
「あなたはハチワレ模様だから、ハチって呼んでもいいかしら」
そう言った彼女の手は、志保の手によく似た暖かくて優しい手だった。
彼女は志保ではない。
そうわかっていても、ハチは彼女を求めずにはいられなかった。
いつまで待っても会えない相手を待つことにくたびれきっていた自分に気付いた。
まるで志保のことを忘れるための言い訳にするかのように、ハチは彼女に恋をした。
ハチはあくびをひとつした。
長い夢から覚めた後で、なにか懐かしいことを思い出しそうな気がしていたが、それが何なのか、いくら考えてみてもわからなかった。
「さあて、今日もあの黒猫の面倒を見に行かないとな……じゃなかった、行くでやんす」
そう呟いてから、彼は一昨日の夜から「面倒を見る」対象が増えたことを思い出した。
やれやれ、と苦笑いをしてゆっくり背伸びをすると、彼はいつもの空き地へと向かって歩き出した。
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