第四章 ハチワレ猫と言い訳の恋
第24話(回想) チビ猫、外の世界へ
チビ猫は、窓ガラスに鼻先を押しつけた。
南向きの窓はほどよく陽光に温められ、鼻先で感じる温度もどこかぬるい。
次に、彼は前足で窓を叩いてみた。しかし、小さな体ではわずかに振動を与えることしかできなかった。
「そこで何してるんだ?」
声をかけられ、チビ猫は振り返らないまま答えた。
「向こうに行きたいの」
「ふうん」
相手はそれだけ言うと、つまらなそうにどこかへ行ってしまった。
その後ろ姿を見ることもなく、チビ猫は熱心にガラスへ体をこすりつけながら呟いた。
「みんな、向こうが気にならないのかなあ……」
そうやって、チビ猫は来る日も来る日も窓ガラスに鼻先を押しつけた。
あるいは前足で叩き、あるいは体をこすりつけ、何かの拍子に通り抜けられないかと試してみた。
それが無理だとわかると、今度はガラスの向こう側の世界を凝視した。
それにも飽きると、どこかに抜け道がないかと家の中をくまなく探し歩いた。
ある時は机の裏に潜って綿ぼこりを全身にまとったり、ある時は押入れの奥深くに潜入してそのまま気持ちよく眠ってしまったり、またある時は風呂場を覗き込みうっかり湯船に落ちてずぶ濡れになったりもした。
そんな彼の様子を見て、兄弟猫たちは「あいつは変わり者だ」とひそひそ話をした。
しかし、チビ猫にとっては外に興味がない兄弟たちの方が不思議でならなかった。
家の中はひどく退屈で、このままずっとここから出られないのかと思うたびに自分自身の体が少しずつ削られて小さくなってゆくような気持ちになった。
そうして日々を過ごしているうちに、空気が少しずつ暖かくなっていった。
切望したその日は、突然訪れた。
いつも閉まっているはずの窓が、わずかに開いていたのである。
それは人間が換気のために開けたもので、うっかり網戸を閉め忘れたことや、成猫であれば通れないほどの隙間にしてあったことや、その日その時間その部屋に猫を入れるつもりではなかったことなどの要因が重なったが、チビ猫にとってそのようなことはどうでもよかった。
外から流れ込む空気は歓喜に満ちていて、ただそれだけで素晴らしかった。
チビ猫は、迷うことなく外の世界へ飛び出した。
土もタイルもアスファルトも物珍しく、草木や電柱やガードレールのにおいをひとつひとつ丁寧にかいで歩いた。
外の世界はガラス越しに想像していたよりもずっと刺激的で楽しく、そこで見つけたひとつひとつのものが輝いて見えた。
そしてチビ猫は、最も大切なものを見つけた。
「どこから来たの?」
そう言って優しくチビ猫を抱き上げたのは、
その手はとても優しくて温かかった。
志保は自分の住んでいるアパートの庭先にチビ猫を招待してくれた。彼女はその小さなアパートで、母親と二人暮らしをしているようだった。
チビ猫は一目で彼女のことが気に入った。
彼の飼い主も気まぐれで抱き上げてくれることはあったが、家の中ではいつだって「多くの中の一匹」でしかなかった。
志保と出会うことで初めて「特別な一匹」になれた気がした。
それからというもの、チビ猫は以前よりも熱心に外へ出られる場所を探すようになった。
いつも鼻先を押し付けていた窓ガラスはもちろん、玄関も居間も寝室も浴室も廊下も押入れもくまなく歩き回っては、外に出られそうな場所を探した。
網戸を開けることを覚え、外に出る機会が少し増えた。
そして、季節は春の終わりから夏へと進んだ。
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