第23話 高架下の静寂

 ブロック塀の上を伝うように歩き、二匹は帰途についた。


 その間、ハチはいろんな話を聞かせてくれた。そのほとんどが今後コジロウにとって役立つであろうものだった。

 猫に好意的な犬がいる家、近寄らない方がいい場所、人間の生活習慣についてなど、その内容は多岐にわたり驚くほど豊富で濃厚だった。


「そうそう。犬と言えばね、これは犬がいるという目印でやんすよ」

 そう言ってハチは立ち止まり、ある家の門柱につけられている印を見つめた。

「え、そうなんですか? それは便利ですね」

 コジロウも立ち止まり、ハチの視線の先を追う。

 小さな四角の中に、太い線で模様が描かれていた。


「あれは、人間の言葉で『犬』と書いてあるんでやんすよ」

 とハチが言うので、コジロウは心底感心した。


 人間が文字というものを使うことは知っているし、町中に出れば看板や貼り紙や標識などいたるところに文字は溢れているから目にする機会は多いが、それがどういう意味なのかまでは知ることがなかった。


「ハチさんって、本当に物知りですね。それに時々なんだか人間っぽいし」

「ありがとうでやんす」

 ハチは嬉しそうに言うと、また歩き出した。

 コジロウもその後について歩き出す。


 見れば、来るときにくぐった高架が目の前にあった。

 あれからどれくらいの電車がこの上を通り、どのくらいの轟音がこの高架下に溢れたのだろう。電車も車も通っていない今は、来た時の騒々しさが嘘のようだ。

 風が吹き抜けて耳を掠めてゆく。


 その音よりもなお小さく、まるで独り言のように、ハチは小さく呟いた。

「ここだけの話だけど……」

 すぐそばを車が通っていった。風が少し冷たくて、コジロウは身震いをする。

 ハチは、そっと言葉を続けた。

「おいらはね、いつか人間になろうと思っているでやんす」

「え……?」


 遠くで警報機が鳴り始めた。

 ――あれは危険を知らせる音なんだ。だからあんなにけたたましく鳴るんだよ。――

 昔、誰かがそう言っていたことを、コジロウは不意に思い出した。


「本当に、そんなこと…………」

 そう尋ねた瞬間、高架下は電車の轟音で満ちた。


 ハチが何かを言った気がしたが、コジロウの耳には届かなかった。

 しばらくの間、二匹はそのまま立ち尽くした。

 電車が通り過ぎると、高架下は恐ろしいほどの静寂に包まれた。


「さあさあ、帰るでやんすよ」

 ハチがいつもの通り陽気に言う。

「…………」

 コジロウは、返事をすることができなかった。

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