第10話 猫たちの食事

 老女の後をハチがついて歩き、その後をコジロウがついて歩く。


 畳が敷かれた部屋をいくつか通り過ぎる。奥に進むほど畳は傷んでいて、色が変わっていたり、ささくれやシミが目立つ。

 柱や壁もかなり傷んでおり、そこかしこに引っ掻き傷やかすり傷がついている。

 その多くがどうやってついたものなのか、コジロウは見当がついた。


「ハチさん、この家って……」

 コジロウがそう声をかけようとした時、老女が立ち止まり、部屋のふすまを開けた。

 一瞬遅れて、濃厚なにおいが流れ出す。

 それと同時に、賑やかな声に出迎えられた。


「ハチだ!」

「こんばんは~」

「久しぶりね!」

「元気だったか?」

「お、知らない奴だ」

「知らない奴がいる」

「その子はだあれ?」


 長い廊下は数えきれないほどの猫で埋めつくされていた。仔猫から老猫まで、よくもこれだけ集まったものだ。

 ハチはその中を「こんばんはでやんす~」と陽気に返事をしながら歩いてゆく。

 コジロウもおとなしくその後をついていった。


 やがてハチは一匹の猫の前で立ち止まった。

「モー、こんばんはでやんす」

「おうハチ。久々だな」


 それは、山のように大きな猫だった。

 白い毛並に大きな黒の斑模様が浮かんでいる。体が大きいせいか、斑のひとつひとつまでやたら大きく見える。

 眼は深い水たまりのように淀んでいて、両方の耳が欠けているのが印象的だった。


「お邪魔させてもらうでやんすよ」

 ハチがそう言うと、牛斑猫モーは雷鳴のようにのどを鳴らした。

「かしこまるなって。お前ならいつでも大歓迎だぜ」

「そう言ってもらえると、ありがたいでやんす」

「今日はどうした? クロのやつでもくたばったか」

「ボスなら元気でやんすよ」

「ふん、そりゃ残念」


 ひとしきり挨拶を交わすと、彼はコジロウに視線をやった。

 緊張でヒゲの先が震えたが、相手はお構いなしにじろじろと見てくる。


「……見かけねぇ顔だな」

「新入りでやんす。コジロウ、挨拶」

 促されるまま、コジロウはおそるおそる挨拶をした。

「こ、こんばんは」


 しかし、モーは無遠慮に鼻を鳴らして呻く。

「おいおいハチよ、あんまりよその奴を連れ込むなよ。俺たちの飯が減るだろう?」

 どうやらあまり歓迎されていないらしい。


 強烈なパンチを喰らう前に帰ろうかなどと考えていると、ハチが言った。

「おいらの分は好きにしてもらっていいでやんす」

「それならかまわん」

「ハチさんはどうするんですか?」

 そう尋ねると、ハチは「気にしなくていいでやんすよ」と言い、耳をぱたぱたと振った。


 彼がそう言うのなら本当にそうなのだろうと思い、コジロウは安堵した。

 その途端、また腹がきゅるきゅると鳴った。もはやその音は泣き声に近かった。


「もうすぐ飯の時間だぜ」

 モーがぶっきらぼうにそう言い、入口の方へのそのそ移動してゆく。

 それを合図にするように、廊下の猫たちはそわそわし始めた。

 人間の足音が近づいてきてふすまが開くと、そのそわそわは歓声に変わった。


「ごはんが来た!」

「やった! ごはんだ!」

「ああ、もうお腹ぺこぺこ」

「ねえ、早くちょうだい、早く~」

「ごはんっ、ごはんっ」


 襖を開けたのは、先ほどハチとコジロウを招き入れてくれた老女だった。

 彼女はその手に大きなお盆を持っていた。

 よく見ると、お盆の上にたくさんの皿が並んでおり、その上にまたお盆を置いて皿を並べ、さらにその上にもお盆と皿があり、三層に積み重なっているようだ。


 猫たちの視線はその盆と皿に釘付けになった。

 長いしっぽを持つ者は皆、天井へ向かってぴんとしっぽを伸ばしている。まるで「ごはんを必要としている者がここにいますよ」と主張しているかのようだった。

 気付けば、コジロウのしっぽも真っすぐ天井へ向かっていた。


「お待ちどおさま。仲良く食べてね」

 女性はお盆と皿を手早く解体していった。色あせた床の上に、ひとつ、またひとつと皿が並べられる。


 最初に置かれた皿には誰も手出ししようとしなかったが、他の皿には我先にと猫が群がる。

 どうやら一皿に一匹というルールのようだ。

 その様子を尻目に、モーは悠然と歩き、さも当然のごとく最初の皿の前に座った。


 コジロウは次第にそわそわし始めた。

 はたくさんありそうだったが、猫の数もまた多い。自分もありつくことができるだろうか、と不安になり始めた。

 その時、隣にいた雌猫が「だいじょうぶ、大人しく待っていればもらえるから」と教えてくれた。

「わかりました。ありがとうございます」


 コジロウが礼を言うのと同時に、二匹の前にも皿が置かれた。

 いつの間にか、ハチの姿は見えなくなっていた。

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