第11話 美猫姉妹れんげとつくし
皿はあっという間に空になった。
銀色の丸い皿を見つめながら、コジロウは今まで自分がどれほど空腹だったのかを思い知った。
今なら新たな餌を受け入れる余裕は大いにある。それを誇示するためにしばらく皿を見つめていたが、いくら待っても餌が湧いて出てくることはなさそうだった。
今までは、家族が食べ物を用意してくれていた。
出されたものはすべて食べてかまわなかったし、それを誰かと分け合う必要もなかった。足りないと催促すれば少しだけ追加してくれたし、気が乗らない時は残すことだってあった。
それでも毎日決まって同じように食べ物を出されることが、コジロウにとっての「日常」だった。
諦めて廊下を見回すと、モーがまだ悠然と餌を食べている姿が視界の端に映ったが、他の猫たちはほぼ食事を終えているようだ。
ここにはなんと多くの猫がいるのだろう。
毛の長い者や短い者、しっぽの長い者や短い者、耳が大きい者やぺたっと伏せている者、やんちゃそうな仔猫、好奇心満載の若者猫、一日中日向ぼっこをしているような年寄り猫。さまざまな猫が集まっている。
もしかしたら、と期待に胸を膨らませ、コジロウはその場にいる猫たちを一匹一匹注意深く見ていったが、見知った猫は一匹もいなかった。
ハチはまだ戻らない。彼も今頃どこかで夕食をとっているのだろうか。
暇を持て余していると、先程の雌猫が声をかけてきた。
「あなた、どこから来たの?」
均整のとれた縞模様が綺麗な猫だった。
「実は、自分の家がどこかわからなくなってしまったんです」
コジロウが正直に答えると、雌猫は「そう、迷子なのね」と呟いた。
「困ったことがあったらいつでも声をかけてね」
「ありがとうございます」
コジロウはうやうやしく礼を言った。
変に緊張してしまうのは、知らない場所にいるからではなく、相手が美猫で優しそうだからだ。それに気付き、余計に緊張してしまう。
「私、れんげっていうの。よろしくね」
「こちらこそ、よろしくお願いします。……あの、えっと、すごく素敵なお名前ですね。僕、
「まあ、蓮華の花をご存知でして?」
「はい。春の始まりの頃……ちょうど今頃に咲いて、小さくて、あの……とっても可愛いらしい花です。まるで、れんげさんみたい」
緊張しながら精一杯の褒め言葉を口にすると、れんげはふふっと笑った。
「まあ。お上手ね」
まんざらでもなさそうなので、コジロウもほっとする。
その時、後ろから元気の良い声がした。
「ねぇねぇ、何の話してるの?」
声をかけてきたのは、目がくりっとして可愛らしい猫だった。
こちらも縞模様だが、はっきりとしているれんげの模様とは異なり、毛布のように柔らかそうな毛並みに淡い色の縞模様がうっすら入っている。
年の頃はコジロウと同じか、少し若いようだ。
「自己紹介をしていたのよ」
れんげがそう答えると、若い猫はぱっと顔を輝かせた。
「あなた、さっきハチさんが連れてきた猫よね? 名前は? どこから来たの? 兄弟はいる? どこでお昼寝するのが好き? 毛繕いはどこから始めるタイプ?」
「名前はコジロウです。あとは、ええっと…………」
矢継ぎ早の質問にたじたじになっていると、れんげが相手の猫をたしなめた。
「こら、つくし。困っているじゃない」
「……だって。お姉ちゃんばっかりずるいもん」
どうやらこの元気の良い猫は「つくし」というらしい。彼女は拗ねたようにつんとそっぽを向いた。
「ごめんなさいね。この子ったら、外から来たあなたに興味があるのよ」
「いえ、話しかけてもらえて嬉しいです」
コジロウはそう答えた。
美しいれんげと可愛らしいつくしに囲まれて話すのは、お日様の光をいっぱいに浴びてうとうとまどろむのと同じくらい心地良かった。
彼女たちといる間は、見知らぬ土地に来てしまった不安も、仲間の猫たちに会えない寂しさも、家族のところへ帰れない焦りも、三毛猫やカラスに襲われた恐怖も、トンカツを食べ損ねた悔しさも、すべて溶けて流れてゆく気がした。
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