第7話 ハチでやんす

 やっとの思いで危機から逃れると、遠くからカラスたちの鳴き声が聞こえた。


 カラスの言葉はわからないが、人間の言葉で「阿呆アホウ! 阿呆アホウ!」と罵っているようにも聞こえる。

 ひょっとしたらそういう意味に取れると知りながら鳴いているのではないかと勘繰らずにはいられない。


 もっとも、誰を「阿呆」呼ばわりしているのかまではわからない。

 カラスたちを蹴散らした人間に対してか、それともトンカツにありつけなかったコジロウに対してか、あるいは自分たち以外の者すべてに対してなのか。


 店の方を見ると、ホウキを振り回していた人間がトンカツを拾い集めてバケツの中に入れ直しているのが見えた。きっと後で独り占めするつもりに違いない。

 どこから見つけてきたのか、逃亡して自由の身になったはずの蓋も連れ戻されていた。


「まったく。誰だよ、重しを置き忘れた奴は」

 などとぼやいているのが聞こえ、バケツの蓋の上に大きな石をみっつ置いたのが見えた。

 そのひとつひとつが、コジロウよりも重たそうだった。


「あーあ。あれはもう諦めるしかないでやんすねぇ」

 背後から声が聞こえ、コジロウは跳び上がった。

 振り返ると、黒い塊が見えた。

 背後にカラスがいたのかと緊張で背中の毛が逆立つ。


 しかし、よく見るとそこに居たのは一匹の猫だった。

 白猫に黒い上着をかけたような模様の雄猫で、顔は上半分が黒く、下半分は鼻筋から左右に割れるように白い。

 しっぽの先が墨汁にひたしたように黒くなっているのが印象的だった。


 コジロウの緊張をよそに、彼はのんびりと言った。

「もう大丈夫でやんすよ、ホラ」

 言われるがまま電線の方を見ると、これ以上粘っても無駄だと判断したのか、あるいは罵り飽きたのか、カラスたちは一羽、また一羽と飛び去ってゆくところだった。


 先程の声はこの猫だったのかと気付き、コジロウは丁寧に礼を言った。

「おかげで命拾いしました。ありがとうございます」

 すると、白黒猫は人間が手をひらひらと振るように、耳をぱたぱたと動かした。

「なんのなんの。このあたりに迷い猫がいると聞いて参上したんでやんす」

「迷い猫ですか、それは大変ですね。きっと困っているんだろうなぁ」


 コジロウがそう言うと、何がおかしかったのか相手はのどをゴロゴロ鳴らし、口の両端をにっと上げた。

 牙をむき出したのかと思えばそうでもなく、それはどこか人間が笑う時の表情に似ていた。


「おまえさん、面白い奴でやんすねぇ」

「はぁ……どうも」

 何を言われているのかわからないまま、コジロウは曖昧に返事をする。


「おいらはハチ。以後よろしくでやんす」

 そう名乗ると、白黒猫は優雅にお辞儀をした。

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