第6話 カラスたちの襲撃

 言い知れない不安に身の毛がよだつ。

 その影は、コジロウと同じか、あるいはそれ以上もの大きさがあった。

 つややかな羽、鋭い鍵爪、凶器のようなくちばし。すぐに「カラス」だとわかった。


 彼らが人間に嫌われていることは知っていたが、猫たちの間でも決して好かれてはいなかった。

 どこにいても我が物顔で図々しいし、夕方になると群れて騒がしい。

 小狡いうえに意地の悪いところがあり、さらには「都合が悪けりゃ飛んで逃げればいい」とでも考えていそうな節があり、いかにもタチが悪い。

 わざわざ真横にやって来たこのカラスも、決して友好の意を示しているようには見えなかった。


 案の定、この嫌われ者はコジロウを押しのけるように場所を陣取り、ビニール袋をつつき始めた。このままではせっかくのトンカツを奪われてしまう。

 それだけはさせてなるものかとコジロウは低く唸って威嚇したが、黒い瞳に睨まれ、たじたじとなってしまう。


 頭上からはカァカァと不穏な鳴き声が聞こえてくる。電線にも建物の上にも、いつの間にかたくさんのカラスが集まっていた。


「おいおい、あの猫はとんだマヌケづらだな」

「あんなヤツは無視して、早くメシにありつこうぜ」

 などという会話でもしているに違いない。


 あれだけの数がいれば下手に争っても勝ち目はない。いやいや、正直なところ一対一でも自信がない。

 仕方なく、コジロウは自分の足元のビニール袋を破くことに専念した。今は腹を満たせれば良い。

 だが、相変わらずつるつる滑るばかりでうまくいかない。


 カラスはすでに別の場所から袋を破いたようだ。くちばしを使ってあっさりとトンカツをつまみあげ、見せつけるかのようにするすると口の中へ呑み込んでゆく。

 それを合図に、電線に止まっていたカラスたちも一羽、二羽、と降下してくる。

 バケツの周囲はあっという間にカラスでいっぱいになり、饗宴さながらの光景となった。


 一方のコジロウは、爪ではなく歯を使うことを思いつき、ようやく小さな穴を開けることに成功した。しかし、中身を取り出すにはまだ時間がかかりそうだ。


 その時だった。

 突然、しっぽを引っ張られたような、妙な感覚があった。

 振り返ると、カラスたちがじっとこちらを見ている。どうやら彼らの悪戯らしい。


「何をするんだ」

 コジロウは低く唸ったが、今度は足や腰を強くつつかれた。鋭い痛みが走り、たまらず身を低くすると、さらに追い打ちをかけるように顔や首を狙われる。

 彼らがこの場からコジロウを追い出そうとしているのは明白だった。

 もっとも、最初の一羽が隣に降りてきた時点で、彼らの腹は決まっていたのだろう。


「やめてくれ!」

 コジロウは牙をむき出して威嚇したが、攻撃の手は止まらない。どこを向いてもカラスだらけで逃げることさえ難しそうだ。


 その時、不意に建物の扉が開いた。

「うわっ! なんだこりゃ!」

 そう叫んだのは人間だった。


 彼は手近にあるホウキをつかむと、カラスたちに向かって振り回した。

 しかし、黒い嫌われ者たちはホウキが当たる寸前で器用に飛び立った。そうして安全な場所まで避難し、人間を見下ろしながら気まぐれに抗議の声を上げている。

 人間はというと、成す術もなくカラスたちを睨むばかりだ。


 コジロウは焦った。

 自分は空を飛ぶこともできなければ、地に潜ることもできない。姿を消すことができたらいいのにと思ったが、それも端から無理な望みであった。

 カラスたちが飛び去った今、地面の上にあるのは散乱したトンカツと倒れたバケツとコジロウのみだ。


 案の定、人間はすぐこちらに気付いた。

「猫まで居やがったのか!」

 そう叫ぶと人間はホウキを振り上げながら駆け寄ってきた。


 コジロウはたまらず逃げ出した。なぎ払うように振り回されたホウキが尻をかすり、背骨に振動が走る。

 逃げ遅れたらどんな目に遭わされるかわかったものではない。


 その時、路地の中から声が聞こえた。

「早く! こっち、こっち!」

 恐怖心に支配されてもはや何が何だかわからない中、その声を頼りに、コジロウは建物と建物の隙間に跳び込んだ。

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