第15話

 卯辰を追って交差点を曲がると、やや遠くにその姿を捉える。卯辰は踏み込みこそ遺伝的に強化されているとはいえ、走る速度自体はそんなに速くないことを先川原は知っている。


「どっち方向?」


 手に持ったスマホから成岡の声が聞こえる。先川原は走りながら商店街との位置関係と卯辰の向かう方向を出来るかぎり丁寧に説明し、一旦通話を切ると伝えて携帯をポケットにしまう。

 一瞬、気を逸らしてしまったせいで既に卯辰は先川原の視野から消えていた。


「困ったなあ。」


 卯辰の壁を抜ける能力は、隠れるために使えばめっぽう強い。だからこそ先川原は早めに追い付こうと急いでいたのだが、卯辰はもうどこかしらに隠れてしまったのだろう。今は焦っても無駄だと思い、先川原は携帯を取り出す。


「ハルカにも連絡しとこ。」


 西吉が何をしているのかは知らないが、細坪の居場所が分かりそうだと聞けば合流したがるはずだ。逆に、今連絡せずに3人で居場所を見つけてしまえば疎外感を感じてしまうだろう。それは可哀想だと先川原は思う。



 先川原は青の魔法として姿をやや薄くする能力と足音を完全に消す能力を持っているが、それは今、卯辰を探すためには役に立たない。

 代わりに足を止め、耳を澄ます。


 先川原は生まれついて耳が良い。感覚系の強化と遺伝や魔法との関連は今のところ良く分かっていないが、青の魔法使いの感覚が特に鋭敏だという記事を先川原は読んだことがある。

 西吉が第四高校に来たときもそうだが、この聴覚が役に立ったのは一度や二度ではない。


 商店街の雑踏、烏、そして小鳥の鳴き声の中に忍ぶような静かな足音が聞こえる。そして無理やり抑えるような荒い息遣い。

 場所は先川原からたった1区画離れた路地だ。


 卯辰は先川原の能力を知っている。だからこそ音を立てないようにゆっくり歩いているのだろう。しかし、今回はその知識が仇になっている。

 先川原は静かに、くすりと笑う。


 先川原は追跡というものを人生で一度もしたことがないが、逃げる側の思考は何となく予想できる。

 追手が西にいれば東に、追手が北にいれば南に。つまるところ追手から離れる方向に動くということだ。

 なら、こちらの選ぶ行動も1つに決まる。


「先回りすれば、簡単に捕まえられるね。」


 先川原は独りごち、自嘲して笑う。今の発言はやや嗜虐的だっただろうか。しかし、逃げている友達を追い詰めることに何処か楽しさを感じる自分が確かにいるのを感じる。


 ◇


 今も、自分の位置は先川原にばれているだろうか。

 強い不安を圧し殺し、卯辰は足音を立てないようにゆっくりと歩を進める。


 別に、逃げる必要があるわけではない。先川原は卯辰を捕まえたところで、学校や警察に連れて行ったりはしないだろう。

 しかし今、先川原に捕まってしまったら多分自分は学校に戻りたくなる。それが卯辰には絶対に避けるべきことのように思えた。


「まだ、辞めたくない。」


 卯辰は呟く。今までは優等生らしく生きてきたが、今回の家出のせいで、学校からの評価はかなり落ちるだろう。

 そしたら、自分はもう家出なんて出来ない。高校の生活態度が進学に関わる今の時代、大学に上がり、そこそこの企業に務めるためには割ってはいけないボーダーラインがある。


 昔は勉強が出来て入学試験さえ通れば生活態度がいくら悪かろうが良い大学に進めたらしいが、しばらく前に“頭のいい”白の遺伝子なんてものが発見されてから、入学試験を課す大学は著しく減った。

 それに、そういった大学は試験の前に遺伝子の申請があるから、“器用な”青の遺伝子と“容姿の良い”緑の遺伝子しか持たない卯辰は試験を受けることすらできない。

 まったく、嫌な時代になったものだ。


 卯辰は拳を握りしめ、気合を入れ直す。

 卯辰の見積もりでは1週間までなら休んだところで迫る中間考査に大きな影響が出るとは思えなかった。せめてそれまでは、細坪との非日常を楽しませてほしいと卯辰は思う。


「はあ。何で見つかっちゃったかなあ。」

「それは、探していたからだよ。」


 耳元で囁かれる聞き慣れた声に体がぴくりと跳ねる。

 手首を掴まれる感覚に諦観を抱きながら振り向いた卯辰は、いたずらっぽく笑う先川原を見て肩を落とした。

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