第13話

 日光の欠片が空を灰色に染め始める朝4時。一人の少年が奇妙な球体に近づく。球体の中では透明な液体と蛍光色の液体が互いの質量に押されながら流動している。


 少年はポケットから取り出したレジ袋を広げ、球体の真下に置く。少年が手を離してもレジ袋は重力に引かれることなく、球体の下で大きく開いた状態で固定される。

 少年はそれを確認すると、奇妙な球体の中に躊躇なく手を差し込む。そして、中心にあるものを掴むと能力を解除する。


 途端、球体は不定形な液体となって落下し、レジ袋を満たす。


「さて、と。」


 少年は手に持った黒く四角い機械を回転させ、小さなオス端子を見つけるとそれを取り出した携帯に繋げる。手間取りながら携帯を操作した後、表示された画面を見て少年はほくそ笑む。


 画面に映るのは倍速再生された映像で、燐光を放つ液体の隙間から球体の外が映し出されている。真っ暗な夜の中で燐光に照らされる丁字路から顔を覗かせ、興味津々で近寄ってくる青と緑の目の少女、そしてその後ろから躊躇いながらゆっくりと近寄ってくる赤い目の少年。

 まさに探していたものを見つけたと拳を握りしめ小さくガッツポーズをする黒と白の瞳の少年を、目にした人は誰もいなかった。


 ◇


 警察や大人に見つかったらどうしようと周囲を見回しながらぎこちなく歩く細坪の前を、卯辰は軽やかな足取りで歩く。


「ミキタカくんは真面目な女の子の方が好きなんじゃないの?夜な夜な寮を抜け出してるような私なんかよりさ。」

「いえいえ……。」


 卯辰はどこに向かっているのだろうと疑問を抱きつつ、置いていかれないように細坪は少し足を速める。


「そんなに怯えなくても、そもそもこの街に警邏なんてほとんどいないよ。私、見たことないもん。」


 曲がり角に当たるたびに右や左、時にまっすぐ、目的の分からない道のりを進み、ある路地を左に曲がったところで卯辰が声を上げる。


「ほら、あったよ。」


 一体、何があるのだと恐る恐る角を覗き込んだ細坪は、燐光を放つ不思議な球体を見る。卯辰と出会ったときに見たものと同じものだ。


「戻ってきたのか?」

「違うよ。もう一つ見つけたの。」


 細坪は周囲を見回し、確かに周囲の景色が先程と違うと気づく。もしかすると卯辰はこれを探すために夜、寮を抜け出しているのだろうかと細坪は思う。


「この球は何なんですか?」

「さあ。今日、初めて見つけたんだ。何か分からないけど、これを見つける直前に足音が聞こえたからさ、足音の向かった方を探せばもう一つ見つかるんじゃないかと思って。」


 確かに細坪も卯辰に会う少し前に、誰かが急いでいるような足音を聞いていた。しかし、どうして卯辰がこんなにおどろおどろしい球を探していたのかは理解できなかった。


「ちょっと近寄ってみてよ。」

「……え。でもさっき、毒だとかなんとか……。」


 細坪はやんわりと断ろうとするが、無言で顔を見つめ、可愛らしい仕草で首を傾げる卯辰に逆らうことはできない。

 ゆっくりと慎重に球に近づき、見れば見るほど何のために使うのか分からないなと思う。右手首にひんやりとした感触があり、その感触に引っ張られるように右手が球に引き寄せられる。


 細坪はとっさに手を振り払う。


「おっと。」


 右から聞こえた声に細坪が恐る恐る顔を向けると、さっきよりもずっと近い位置にある卯辰の目と目が合い、卯辰は悪戯坊主のような顔で笑う。


「びっくりした?」

「び、びっくりしたよ。本当に。」


 細坪は耳に響く心拍を押さえるように右手を胸に置く。右手首に残る冷たさがこそばゆいし、普段より数段高い体温にすぐ消されてしまいそうでもったいない気がする。


「なんか、変なことを言うんですけれども……」


 動きが硬くなり、言葉を選ぶように目を右往左往させる細坪を見て卯辰は、こういうときに細坪は緊張しているのだなと察する。


「手を……」


 胸に置いていた右手を下ろし、ぎこちなく前に差し出しながら慎重に言葉を選ぶ細坪を見て卯辰は何を言おうとしているのか察する。


「繋ぎたい?」

「はい。」


 卯辰が細坪の前に手を差し出すと、おずおずと細坪が手を重ねる。


「……申し訳ないです。」


 小さく呟かれた細坪の言葉に卯辰は少し嫌な気分になる。卯辰が考えていたのはこんな気を遣われるような関係性ではない。本気で付き合いたいと考えているのならもっと付き合いたくなるような格好良い行動を示すのが筋ではないだろうか。

 ハンカチを拾ってくれた時はまだ他人だったし、気弱だろうと不安そうな顔をしていようとどうでもよかったが、アプローチされた今となっては卯辰の方も仲を深める気がある。しかし自分が仲良くしようとしても距離を取ってこようとする相手とは仲良くできないし、その動機が自分への気遣いだとしたらまさに余計な気遣いだ。


「ねえ。」

「はい。」


 細坪は卯辰に対して面と向かって好きだと伝えてきた初めての人だったから、卯辰としてもあまり邪険にするのは躊躇われる。しかし好ましくない人と一緒にいるのは卯辰の性格的に耐えられない。


「こんなこと言うのもあれなんだけど……」


 赤い目に怯えの色を見せる細坪に、卯辰は覚悟を決めて話を始める。

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