殺人少女

アオピーナ

『僕の彼女は殺人愛好家』


 愛善睦美あいぜんむつみは、僕の高校生活三年目にしてようやく出来た、初めての彼女だ。

 艶やかな黒髪に、すらりとした鼻立ち、ふっくらとした桃色の唇————まさに、絵に描いたような美少女である。

 しかし、精悍な顔つきを裏切らないクールな相好だから、彼女は教室ではあまり目立たなかった。

 それでも、路傍の石ころの如く平凡な僕が睦美と付き合えるようになったのは、ある一つの秘密がきっかけだった。

 僕はその秘密を、今後一切誰にも話さず、あの世まで持っていくことだろう。



 都会の一番端に位置する、閑散とした町。そのとある路地裏の一角で、それを目にした。

 凍りついた喉から漏れ出たのは、ありきたりな質問だった。


「……君は、愛善……さん?」 

  

 正気を無くして虚な瞳で僕を見据える中年の男。腹部から溢れる鮮血は僕の鼻を捻じ曲げ、血溜まりに佇む彼女の貌は、恐怖に揺れる瞳を真っ向から射抜いていた。


「そういう貴方は、秋原君……だっけ」

 

 能面のように感情が消えた表情で問い返す睦美。唇だけ動く彼女の様子は、やけに作り物めいて見えた。


「殺した、の……?」


「うん、殺した。ちゃんと正当防衛にしたけど」


「どうして……」


「病気だから」


「びょう、き?」

  

 睦美は血濡れたナイフを持つもう片方の手で自らの豊かな胸を示し、


「ここの高鳴りを抑えるには、殺していくしかないの」

 

 そう言って、彼女は初めてにこやかに微笑んだ。

 そして、


「君は、どうするの?」


「……どうするのって?」


「通報、しないの?」

 

 微笑みを崩さないまま、彼女はゆっくりと近づいてくる。

 通報──普通なら、そうするだろう。けれど、恐怖と共に胸に在るのは、とても自分本意で醜い感情だった。


「協力する……って言ったら、どうする?」


「あら、それは嬉しいわね。けれど、貴方にその誠意が示せるの?」


「──君が好きだから。僕は愛善睦美のことが好きだから……これが、僕が示せる最大の誠意だ」

 

 睦美は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、そして腹を抱えて笑った。

 本心だ。本心から、僕は告白をした。何故ここで躊躇いもなく言葉を紡げたのかは分からない。

 ただ、恐らく。


「うんっ、合格。あなたは、今日から私のパートナーよ」


「光栄……です」

 

 互いが互いの瞳を見て──そしてその内に渦巻く情を視て、僕らはきっと運命の糸を目にしたのだろう。

 それから僕は、彼女の『手助け』をすることになった。

 具体的には、裁かれるべき対象のリサーチ。

 日常ではパッとしない僕だけれど、画面の内側では色んな人達と繋がりがあった。だから、そのツテを辿っていき、睦美の晩餐を探すのは容易だった。


「──集団リンチを立案し、実際にそれを仕切った少年A……政治関係者の両親により、その事実は闇の中へと葬られた。尚、被害者の女生徒は二日前に自殺……」


「他にも、長きにわたる執拗なストーカーの挙句、会社員の女性に暴行をはたらいた大企業の御曹司、遊びで痴漢を訴えたものの、その相手は路線に飛び出して死亡した……こういった、権力や法に守られてのうのうと生き延びている輩は沢山居るらしい」

 

 僕の部屋の床に散らばっているのは、大勢の人間の名前が連なったリストだ。そこには住所をはじめとした、詳細な個人情報が記載されている。

 彼女は、それらを恍惚とした眼差しで眺めていた。まるで、目の前に並べられた馳走に胸を馳せる子供のように。


「早速行こうよ」


「本当に、するの?」


「心配なら要らないわ。私が賢いからこそ、今、私は貴方の目の前に居るのだから」

 

 長い前髪を払い、頬を微かに紅潮させて自信満々に言った彼女。

 僕は、愛しい恋人のために、死神として手を汚していく。  



「こんなことをしてタダで済むと思うなよぉ⁉︎ 大体、あの女の方がバァカだったんだ。俺の口車にまんまと乗せられたから……そんで拒まなかったから、俺から、俺の仲間から痛い目に遭って、その挙句処女まで──」


「よし、食事前の、『外道の嘆き』という愚かで無様な前奏をありがとう。これで美味しく貴方を頂けるわ」

 

 路地裏、端正な顔を悲壮に歪めて泣き喚く学生が一人、少女が光らせるナイフの切っ先に怯えていた。


「訳わかんねぇこと言ってんじゃねぇ! この世は権力こそ全て! だからとっととそれを下ろしやが──」


「時間だ」


「はいよっ」

 

 黒髪が靡き、鈍い光が一閃した。

 一瞬だった。ほんの刹那の一陣の風。

 それが吹いただけで、目の前で一人、命が消え去った。


「ごちそうさまでした」

 

 役目を終えた器が崩れ行き、睦美はそれに向かって礼句を紡いだ。

 僕の胸の高鳴りは、嵐のように慟哭どうこくしていた。



「愛善さん……と言ったかな? 君は私と同じ瞳をしている。獲物を狩る時、この世の何よりも快楽を覚え、絶頂の果てに生き甲斐を見出す探求者の瞳だ」

 

 若き紳士は、胸を張って、声高らかにそう豪語した。ストーカーをはたらいた御曹子だ。


「いいえ、それは少し違いますわ」

 

 風が吹いた。命を刈り取る疾風だ。

 鮮血が散りゆく時、睦美は微笑みの曲線を浮かべて呟いた。


「最後まで食べ尽くさなければ、探求者とは呼べないのよ」

 

 胸の高鳴りは、全身へと伝播する。



「だってぇ、あのオッサン、明らかにあたし達の太もも見て興奮してたもん。だから、これからあいつが他の子に手出さないように、セーギを実行しただけだよ」

 

 制服を着崩したギャルは、睦美のナイフを見ても平然としていた。

 だが、彼女はギャルが腰に回した手の動きに気付くと、


「貴女、愛されているわね。常に信頼出来る相手が友達欄の上に居るから、画面を見ずに助けを呼べる……」

 

 短い悲鳴と共に、風が吹く。

 血飛沫に濡れたスマートフォンの画面には、『ウチの宝物』と記された相手のアイコンが表示されていた。 

 やがて、通話開始となって聞こえたのは、若い男の声だった。だが、その声に応える者はもういない。


「貴女が悪戯で死に追いやった人も、誰かにとっての宝物で……誰かのことが宝物だった筈よ」

 

 耳朶に響く心臓の鼓動音は、もう僕を逃そうとはしなかった。



 沢山の風が吹いた。沢山の灯火が消え去った。

 その度に、沢山の輝きを目にした。


「どうしたの? こんな時間に呼び出して。あ、もしかして、最近お預けだったから欲求不満なのかしら」

 

 外灯が薄闇を照らす橋の上。僕達は相対していた。


「そんなんじゃ……なくもないけれど……それよりも大事なことだ」


「大事な……? 今日はもう、一人頂いたから晩餐の方は大丈夫よ」


「いや、まだだ。まだなんだよ」

 

 形のいい眉を顰める睦美に、僕は自分の胸を叩いて言った。


「僕の、ここの高鳴りがまだ、収まっていないんだ」


「秋原……君?」


「収まりきって……いないんだ……っ」


「まさか、君も……」

 

 目を見開き、驚きの表情で僕を見つめる睦美。

 きっと、自分で完結していた衝動が、他人に伝染するとは思ってもみなかったのだろう。


「それでも、僕には命を刈り取る勇気なんて無い……だから、我儘でどうしようもなない願いだけれど、聞いて欲しいんだ」

 

 睦美は、やがて瞠目し、ゆっくり目を開いて頷いた。


「分かったわ。話して」

 

 僕はフッと笑んで、「ありがとう」と言った。

 そして、ポケットから出した果物ナイフの柄を彼女に差し出し、


「僕を……殺してくれ」

 

 嘆くようにして懇願した。

 彼女は壊れた人形のように静止した。けれど、最終的に柄を握り、僕の願いを汲み取ってくれた。


「……後悔、しないの?」

 

 睦美は上目遣いで、声を震わして問うた。


「後悔したからこそ、君に願ったんだ」

 

 僕は滔々と答えた


「……分かった。今までありがとう」

 

 ナイフの切っ先が鈍い光を帯びる。


「こちらこそ、ありがとう。君と付き合えて幸せだった」

 

 心臓の鼓動が、鼓膜を突き破る程に高鳴っていく。


「──さようなら」

 

 一陣の風が、過ぎ去った。



 幸せだった。そして、恐ろしかった。

 だから、歯止めをかけた。

 その筈だった。


「どう、して……」


「だって、君が死んだら、私……もう生きていけないもの」


「でも、僕はもう正気じゃないんだ……っ」


「だから、私が殺してあげるの」

 

 睦美は、血を浴びずに空を切ったナイフを地面に落とし、優しく僕を抱擁して言った。


「私が、貴女のその気持ちを殺してあげる」


「どうやって……っ」


「折角付き合っているというのに……そして肌を重ねたこともあるというのに、殺意の欲求なんぞに浮気されては癪だもの」

 

 「よって……」と白く細い指先を僕の耳もとに這わし、


「今まで以上に、頑張って貴方を誘惑します」

 

 思いもよらぬ文言に、僕は「は……?」と気の抜けた声を漏らす。


「その代わり、貴方も私を頑張って愉しませなさい。私に生じる殺意の欲求が掻き消えるぐらい、激しく……ね」

 

 空白が思考を蝕んだ。しかし、気がつくと僕は笑っていた。

 顔をくちゃくちゃにして、心の底から笑っていた。 

 不意に、抱擁を解いた彼女と目が合った。

 そのまま僕達は、引かれ合うようにして唇を重ねた。 

 啄むように、そして貪るように。口腔から下を這わせ、さらに奥まで互いの熱を求めていった。

 やがて短い逢瀬を終え、頬に朱を帯びたまま、僕達は互いの手をとりあって繋いだ。


「少しは、死んでくれたかな……?」

 

 僕はもう片方の手を胸に当てて聞いた。


「まだ序の口ね。でも、安心して。必ず、私が貴女のそれを殺してみせるから」

 

 彼女は、僕の胸を人指し指で突いて言った。

 その笑顔は、今までで一番、華やかで美しいものだった。



 こうして、僕達は階段を登っていく。

 屍が積み重なって出来た階段を、登っていく──。

 


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