竹田皇子
帳を揺らした風が枯れた木々の香りを運ぶ。まだ雪が降るには遠いが、秋を想うには些か寒々しい。灰色の雲の隙間からチラチラと顔を覗かせる青を、
一方の厩戸はそんな竹田を見つめていた。あの戦の後、憔悴した様子で眠っていることが多くなったのだという。最近はやっと調子を取り戻してきたのか、こうやって外を眺めているそうだ。
「寒くはありませんか?」
厩戸が声をかけると竹田はこちらを向いた。かじかんだ頬が強ばるのか、ぎこちない笑みを浮かべる。
「······すみません、戻ります」
厩戸が裸足でいることに気づいたらしい。ゆっくりと歩いてくると、厩戸のことも中に迎え入れた。
「最近、お身体の具合が悪いとか」
「ちょっと。でも良くなりました」
竹田は厩戸を座らせると、風から身を守るように羽織を手繰り寄せて目を伏せた。
「母上から言われてきたのですか?」
「大后が心配されていたのは事実ですが、私も竹田皇子さまを案じていたので、お話に」
「ごめんなさい。私もね、心配かけているのは分かっているんだけれど」
竹田は情けないと言いたげに笑った。
「
「ふむ」
「泊瀬部さまは私に似ているような気がするから。あの日······ね。厩戸さまは軍議に出ておられたでしょう。その時、泊瀬部さまはずっと泣いておられたんです。ごめんなさい、ごめんなさいと何度も呟いて、ずっと泣いておられました」
難波と春日が死んだ日か。厩戸は静かに竹田を見た。
「うん······泣いていたのかな。分からないけれど、震えておいででした。私はそれを聞いていたら余計に悲しくなってしまって、ずっと泣いておりました。庇われたのは彼も同じでしたから。私たちを生かすために春日さまたちは死んでしまった。なのに、何も出来ないんです。守ってもらったのに泣くことしか出来なくて。結局、お礼も言えなかった」
竹田は細くなった指で、腕にたわむ布を握りしめる。その指が白むほどに震えていたのは、確かに近づく冬のせいだと思いたかった。
「春日さま、初めて笑ってくれました。ずっと笑わない人だと思っていたのに、笑っておいででした。もっと話してみればよかった。彼の手はあたたかかった。難波さまにそっくりで、初めてそっくりだと思いました。生かしてもらったくせに、何をすればいいか分からない。私は何で守られたのでしょう。母が大后だから? 年下だから? 何で生きているのかも分からないのに、死ぬのは怖い。死にたいわけではなくて、生きたいわけでもなくて、ああ、消えてしまいたい。跡形も残さず。春が来たら忘れられる雪みたいに」
ほろほろと溶けた雫が竹田の頬を滑ってゆく。さながら葉の上を解けゆく雪のようだ。厩戸は何も言えなかった。誰かに生きて欲しいと思う。死んで欲しくないと思う。しかし自分が生きたいと、死にたくないと、そう思ったことはなかった。
「······不思議な御方。厩戸さまに会ったら口が勝手に動いてしまう」
竹田は笑った。
「分かっています。父上が亡くなったのも、
泣いているのに笑っている。その矛盾するような顔を見て初めて、この皇子が自分と同じように歳をとっていたのだと思った。己のことで精一杯になっている間に、厩戸も竹田も子供ではなくなっていた。そこにあるのは一人の皇子だ。誰からも皇子だと見なされる、そんな一人の男だ。子供だから仕方がないなどという涙はもう許されぬのだ。厩戸にはそれが無性に寂しく、しかし腑に落ちたように思えてならなかった。
竹田は「また来てください」と言う。厩戸は一つ微笑んで頷いた。
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