鈴の音


 物部もののべに勝った!

 帰ってきた豪族たちが口々に繰り返す。


 知らぬ間に戦が終わっていた。作業場にいた止利とりは全く実感が湧かなかった。切り裂かれた肩を寄せ合いながら戻ってくる雑兵たちの姿は、退却していたこれまでと何ら変わらない。これだけの血が流れているのに、本当に勝ったとでもいうのだろうか。

 福利ふくりと共に陣を駆け回りながら、ひたすら傷の手当ばかりをした。痛々しい血肉の裂け目を作ったのが己ら品部しなべの武器だと思うと指が震えて止まらない。献上した美しい剣や馬具など、権威を表す飾りであったはずなのだ。飾りであって欲しかったのだ。


 しばらくして赤檮いちいが帰ってきたが、何も言わなかった。一部の中小豪族たちがワッと囲いこんで何か褒めたたえていたものの、上の空のようだった。豪族たちは言いたいことだけ言うと、波が引くように離れていく。何を話していたのかよく聞き取れなかったが、「四天王」という言葉だけは聞き取れた。

 ほんの少しの時間を置いて、赤檮がこちらへやって来る。「怪我してないか」と聞いてきたので、問題ないと答えておいた。

「これ、助かった」

 赤檮が差し出したのは木彫りの広目天だった。今朝、厩戸うまやとが手渡した止利の仏像だ。何故返すのか聞こうと思ったが、赤檮は矢継ぎ早に一言だけ付け足した。

大連おおむらじは死んだぞ」

 初めは上手く飲み込めなかった。しかし、聞き返してもそっくりそのまま返されるので、守屋もりやが死んだことだけは分かった。聞きたいことは山ほどあったが、赤檮はそれっきり黙ってふらりとどこかへ消えてしまう。あの守屋が、というわだかまりだけが、疑問と相まって靄のように立ち込める。


 広目天を持って呆然としていると、キンと耳鳴りがした。しばらくして、それがどよめきであったことに気づく。

 木漏れ日揺れる山の小径を登ってきたのは河勝かわかつだった。進む先に目をやれば、馬子うまこと厩戸が並び立っている。彼が歩く度、地が割れるように人波が捌けていき、手にぶら下げられたものがあらわになる。それが何かに気が付いた瞬間、止利は吐き気を感じて口元を押えた。

秦造河勝はたのみやつこかわかつ物部大連守屋もののべのおおむらじもりやの首を討ち取りました」

 馬子の眼前にあった切り株に、ごつ、と重いものが乗せられた。静まり返る山中ゆえに、微かに紅い水音のようなものも聞こえた。

 本来ならば屈強な肉体を伴うはずのそれは、今や樹齢数十年の切り株の上に収まるほどしかない。 山風に煽られる淡い髪が、ただ艶なく血にまみれている。そこに此の世の何を見れば良いのか、考える余裕すら止利にはなかった。


 馬子が徐に手を伸ばす。しばらく静寂だけが山を支配した。しかし、雲の一端が流れ去った頃、くつくつと笑い声がした。湧き出でる泉のようで、転がる鈴のようでもある。それが馬子のものだと理解した瞬間、彼の指が守屋に触れた。

 解れていない片方の角髪みずらに指をかけると、結紐を荒く引きちぎった。プツリと爆ぜた音がして、守屋の髪がざんばらに解ける。玉の髪飾りを掲げた馬子の名無し指が、結紐に沿って紅く黒く裂けていた。

 晴天に玉飾りが掲げられる。日を照り返す鮮やかな赤だ。下から湧き出すかのように流れた馬子の血が、指から腕へと滴ってゆく。

「勝った、四天王は我らに味方した!」

 馬子の声に豪族たちが応える。この山道で鬨の声をあげてから丸三日。三度の退却を経ての勝利だった。

 厩戸も馬子の肩に手を乗せると、薄い唇を綻ばせる。

「さぁ、帰りましょう。飛鳥の天は我々のものです」

 しめやかに笑った厩戸が別人のように見えて、止利は広目天を握りしめる。静かな笑みは変わらないのに、ふとそう思ったのだ。

 むしろ、顔付きが変わったのは馬子の方だろう。しかし彼の笑顔にはまだ無理があるように見える。そこがこれまでの馬子とも重なるゆえか、どうも厩戸の方が奇妙に見えた。守屋の髪飾りを手にする馬子の手は震えていたのに、厩戸は一つの震えもなかった。


「······やっと終わった」

 帰京の準備が整う頃、小さく馬子が呟いた。誰に言うでもない独り言だ。しかしそれこそが彼の本心のように思えて、印刀を包みながら視線を逸らす。

 豪族たちは、集まっては離れ集まっては離れ、勝利と恩賞の話ばかりをしている。隅に追いやられた雑兵の男が、弟らしき屍を抱いて泣いていた。木漏れ日に光った声泣き涙こそ、止利が最後に見た戦の姿だった。










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