軍配


「······そっかぁ、死んじゃったかぁ難波くんと春日くん」

 たった一つの灯火だけが揺れる板の間。朧気な光を受け止めていたのは、一人自分の宮に残っていた彦人ひこひとだった。蘇我にも物部にもつかず中立を保っていた彼は、こっそりと戦場に送り込んでいた舎人とねりの報告を受けて天井を見上げる。

「多分友達だと思ったんだけどなぁ難波くんは」

 多分?と舎人は首を傾げる。昔からこの皇子に仕えてはいるが、どうも彼の本意を探るのは苦手だった。

 生前、難波はしばしば彦人の元を訪ねてきていた。世話好きの彼のことだから、一人だらだらと過ごしている彦人の生活が心配だったのだろう。難波が来る度に快く出迎えると、彦人はのんびり世話を焼いてもらっていた。彦人の方が年上にもかかわらず、さながら母と子のようなやり取りばかりしていたが、それなりに思い入れでもあったのだろうか。

 しかし間延びした声から読み取れるのは、赤の他人の訃報を聞いたかのような淡白さ。言葉と声音があまりにも釣り合っていないので、疑問を投げかけるかのように彼を見上げた。

「ん? なぁに?」

「いや······失礼しました」

「言いなよ、別に怒ったりしないよ?」

「······難波皇子さまとは親しくされていたようなので、やはり信頼しておられたのだろうかと」

 彦人はぱちりと瞬きをする。そして「うーん?」と首を捻って虚空を見上げた。

「さぁね。まあ頼れる子だなぁとは思ってたよ。それに、多分仲は良いんだと思う」

「······」

 まただ。また「多分」ときた。己の感情のことなのにはっきりとしない物言いが、やけに心をモヤモヤとさせる。難波が自分のことを友達だと思っていたか否かが気になるのだろうか。

「難波皇子さまは、きっと皇子さまのことを仲の良いお友達だと思っておられましたよ」

「あ、そうなの? 気にしたこと無かったなぁ」

 思いもしない言葉に冷や汗が垂れる。難波から見た自分など気にしていなかった。ならば何故「難波は友達だ」と言い切らないのだろう。

「なんかねぇ、難波くんって難波くんだって分かるんだよね」

「と言いますと?」

「他の人って分からないじゃない? この間来た泊瀬部はつせべくんだってさ、見ただけじゃ影みたいで顔も何も分からないもの。声があって、服があって、周りの反応があって、ああこの子は泊瀬部くんだったのかって分かるじゃない。でも難波くんは居るだけで難波くんだなって分かるもの。変な人だよね、色があるって言うの? だからいわゆる距離が近い?っていう関係だと思うの。違う?」

 ······何を言っているのだろう、この人は。舎人は途中から考えることを放棄した。よくこのような事があるのだ。時折彦人が同じ人間だと思えなくなる。非道だと感じる訳では無い。ただ何か、限りなく人に近く、しかし人ではない何かに出会ってしまった時のような、そんな感覚が背中を伝う。

「まぁねぇ、大変だよねぇ物部もさ」

 難波の話など忘れたかのように目の前の彼は頬に手を当てる。

「多分二人のこと狙ってたんじゃないの? 大連おおむらじ。だって蘇我に勝ったところで軸になる皇子がいなきゃ意味ないじゃない。多分蘇我の血がない難波くんと春日くんだけ生き残ればどうにかなったでしょ、可哀想に」

 灯火がジリリと焦げた音を運ぶ。揺らめいた光が瞳に映り、彦人の黒い瞳孔を一層際立たせた。

「······ねぇ、ちょっと一仕事頼んでみてもいい?」

「はい」

 暗がりから目をそらすように平伏すれば、彼は少し楽しそうな声音で持って唇を和らげた。

「蘇我・物部両軍に伝えて。僕は勝った方に茅渟ちぬを任せるよ」

 聞こえた名にヒュッと息をのむ。茅渟皇子······紛れもない彦人の第一子であった。まだ幼いことや彦人自身が中立に居たこともあり、今までは物部にも蘇我にも重要視されてこなかった。しかし、突然出てきたその名がやけに大きく聞こえて、えも言われぬ焦燥が胸を焼く。

「ああそれと、これは必ず赤檮いちいくんにも伝えてね。必ずだよ」

 付け足された言葉はやけに楽しげで暫く返事が出来なかった。それを了承だととったのか、彦人は軽い足取りで寝所へと帰って行く。

「ふふふ、どう動くかなぁ」

 最後に聞こえた声はたった一言。まるで悪戯を仕掛けた子供のようだった。遠ざかる足元が暗闇に消えたところでやっと大きなため息が出る。


 こうして舎人はかつての同僚である赤檮の元へと向かった。久しぶりに自分の顔を見た赤檮は驚いたようだったが、横にいた厩戸皇子と小柄な青年を残して素直に着いてきてくれた。

 例の伝言をすればたちまち赤檮の顔が変貌する。犬のようだった目が狼のようにつり上がり、「······それはほんとか?」と低く唸るような声を出した。

「物部には」

「今から伝える」

「······俺も大臣おおおみに伝えてくる」

「待て赤檮、必ず俺の口から言えとの指示だ」

 駆け出そうとした赤檮の腕を掴むと慌てて制止の声を上げる。赤檮は苛立ったように足を留めると、「厩戸皇子さまには伝えていいか」と真っ直ぐにこちらを見つめてきた。

「いいと思う。蘇我の本陣で言う予定のことだからな」

「······分かった。今すぐ伝えてこい。早く行け」

 そう咳立てられて蘇我の本陣へと向かう。厩戸の元へと向かった赤檮の迫力に、彦人の真意がほんの少しだけ見えたような気がした。










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