灯
「······
「そうか······。ありがとう」
報告をしに来た
「皇子は休まなくていいのかい?」
馬子が問いかけた先は
「大丈夫です、始めてください」
そう言ったきり、薄い唇を閉ざしてしまった。
馬子は些か心配そうな目で厩戸を見ていたが、そのまま軍議を開始した。戦に長けた錚々たるメンバーが並ぶ中で、止利も厩戸の横に立たされている。兵法など分からぬので場違いな気もするが、厩戸がそばにいて欲しいと言ってきたので舎人の
最初に馬子の口から出たのは苦しい言葉だった。彼自身も言いにくそうに目線を下げていたが、睫毛の奥に瞳を隠し、淡々とした声で告げる。
「本日、
経緯を知らずにいた
「お身体は
「そのことを
「知っていると思う。捕鳥部万がそばに居たらしい」
そんな掛け合いを聞きながら、止利は黒々と広がる森の奥に目を向けた。先程運ばれてきた二人の遺体を、
馬の背に乗せられた身体には布が被せてあったが、馬が揺れた時にたらりと白い手が垂れたのを見た。あの細さは春日の方だろうか。朝と変わらずきめ細やかだった肌がむしろ死を強調しているようで、心の奥がざわりと揺れたのを覚えている。
しかし未だに信じられない。あの布の下に難波と春日が居たなどと。軽快に馬に跨り、ニカリと片手を上げてみせる青年こそが止利の思う難波の姿だ。凛とすました顔で、ただ静かに前方を見据えている青年こそが止利が知る春日の顔だ。
明日の朝になればまた元気に「くらつくり!」と駆け寄ってくる。そうして止利の頭をわしゃわしゃと掻き乱す。そんな難波の姿がこれほど鮮明に見えるのに、それも有り得ぬ未来だと言うのか。
「······分からねぇな」
止利や厩戸にしか聞こえないくらいの声で、赤檮がぽつりと呟いた。あまりにも短い言葉すぎて、ひかれるように顔を見上げる。
彼は寂しがる子犬のような瞳で軍議の様子を見つめていた。一体何が分からなかったのか。知らずとも不思議と共感できる気がした。赤檮は物部に親しかった
しかしそれでいて、今の瞳は澄んだ光でもって別れの切なさを湛えている。いつか朝日の中で見た子供のような表情を思い出して、あの時の希望ある未来は雲に隠されたのかと今更胸が苦しくなった。半ば予想していた結末ではあったが、ここまで惨たらしいとは思っていなかった。せめて明日は皆が無事に帰れるようになどと、雀の涙ほどの期待で願いを込める。
「とりあえず、皇子はもうおやすみなさい」
軍議が長引きそうなのをみて、馬子がそう声をかけてきた。厩戸は何か言いたげに口を開きかけたが、そのまま「······はい」と立ち上がる。
去り際に、馬子が止利の肩をたたく。「頼んだよ」と一言だけ囁いて、微笑みをたたえたまま踵を返した。
そのまま厩戸と赤檮と三人で、皇子たちに与えられた寝所へと向かう。その間一言も喋らなかった厩戸の背中が、妙に目に焼き付いて離れなかった。
しかし目的地に着いたあたりで、ふと横から声がかかる。
「赤檮さん」
呼び止められたのは赤檮だった。彼はそこに居た男の顔を見るや否や目を丸くして動揺する。
「すみません、ちょっと······」
連れられていく赤檮を見ながら、止利と厩戸は顔を見合せた。一体何事かと気になったが、厩戸が「大丈夫でしょう」というのでそのまま足を進める。
今日は雲が出てきたからか、月の姿はどこにも見えない。山の香を運ぶ夜風の中に、雨の匂いが混じっている気がした。
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