不意打ち
開戦から二日目の午後。二度の退却を経て、蘇我の第一軍は再び
中央のやや後方に付き従っていた
馬子は皇子たちを戦場へ連れてきたことに罪悪感があるらしく、
緩やかな斜面の下。山と川に挟まれた平地に守屋がいるであろう渋川の屋敷が見えた。蘇我軍の前衛は既に進撃しており、物部軍らしき粒が対抗しようと弓を引いている。
「······」
難波の横で
味方についた豪族が少ないとはいえ、彼らは
「おい、
難波は比較的余裕のありそうな弟の春日を呼び寄せる。
「何?」
「お前、目が良かったな」
「まあ人よりは」
「物部の屋敷、見えるだろ? 兵の数、少なくないか?」
春日が怪訝そうに目を細める。しばらく黙って前だけを見ていたが、やがて「確かに」と難波に向き直った。
「第二軍と戦っているんじゃないか?」
「いや、第二軍はまだ物部とぶつかるほど近くへ来ていないはずだ」
「では何故」
春日はくるりと辺りを見渡す。すると、同じように周囲を探っている男と目が合った。厩戸の近侍になっていた
「おい、そこの厩戸の舎人」
「えっ? は、はい。私でしょうか」
「お前だ。ちょっと来い」
春日に声をかけられて動揺しつつも近寄ってくる。
「お前、何故周りを見ていた。違和感に気づいたからか?」
「では皇子さま方も······? それが、馬の香りがするのです。ここにいる子達とは違う、どこか潮の香を孕んだ毛並みの香りが」
「お前鼻が良いのか。それはどこから?」
「それを探っていたのですが、どうも、後ろの方から······」
調子麻呂が振り返った瞬間、人の良さそうな目が見開かれた。
「奇襲です!」
調子麻呂の声に、波のようなどよめきが起こる。見れば茂みから次々と騎兵が攻め込んできていた。その素早さたるやまさに鷹のようで、
「膳部殿! 挟まれました!」
傍にいた膳部傾子の行動は早かった。調子麻呂が叫ぶやいなや、直ぐに身体の向きを整えて「皇子さま方は奥へ!」とハリのある声を響かせる。
「調子麻呂、皇子さま方を案内なさい。挟まれたら第二軍のいる北へ逃げよとの指示だ」
調子麻呂は傾子に頷くとすぐさま皇子たちの安全確保に取りかかった。うねる土埃と蹄の音。突然の喧騒に涙を散らしている竹田や泊瀬部の馬を引き、比較的冷静な難波春日兄弟と厩戸に挟ませる。遠くに聞こえていた剣の音がすぐ傍まで来たというのに、年少の厩戸は気を保っている様子だった。難波や春日が北へ向かうのを見て、竹田と泊瀬部を連れて後を追う。
「
奇襲をかけてきた淡い髪の青年を見て、春日が悔しそうに呟いた。守屋の右腕とも言える万の行動。はなから仕組まれていた作戦であったことがうかがえる。結局挟み撃ちをしようとしたのは蘇我も物部も同じだったのだ。ただ、地の利に長ける物部の方が一枚上手であった。
「わっ!」
その時、春日の後方から悲鳴が聞こえた。振り返ると竹田の乗る馬が白目を剥いて身体をひねっている。しかし小さな竹田では抑えることも出来ないのか、ただ振り落とされないように
「チッ」
春日が小さく舌打ちをすると即座に馬の向きを変える。前にいた難波が驚いて振り返るのも束の間、春日は艶やかな髪を翻して竹田の元へと向かった。
「手を伸ばせ、乗せてやる」
必死の形相で伸ばされた竹田の左手が、春日の右手に触れた。春日は細い指で力強くそれを握る。そのまま小柄な体躯を抱き上げると、自分の前に座らせてやった。
「か、春日皇子さま······」
竹田が口を開いた時、二人の後ろでキンと甲高い音が鳴った。飛んできた矢を調子麻呂が短剣で跳ね返していた。
「礼は後にしろ。とにかく逃げるぞ」
怒濤の勢いで斜面をおりてくる捕鳥部軍を視認し、春日は馬の手綱を握りしめる。思わず足を止めていた泊瀬部や厩戸をも睨み、「ぼーっとするな、さっさと走れ」と先頭の難波の元へ誘う。
竹田の馬は未だ興奮冷めやらぬ様子で取り残されていたが、扱いに慣れた調子麻呂が引き取った。手馴れた様子で気を鎮めると、皇子たちを導くように先頭へ出て第二軍の元を目指す。戦いながらで少々出遅れたものの、後方には膳部軍がついてくれた。
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