一進一退


 翌朝、陣営の前には二つの隊列が出来ていた。どうやら兵を分け、進軍するルートを変えるらしい。

 第一軍は、馬子や皇子たちを含めた部隊で、物部軍との正面衝突を図る。一方の第二軍は大伴おおとも阿倍あべ平群へぐりなどで構成され、第一軍より北側から攻め入り物部の本拠地・渋川しぶかわを目指す算段だ。

 止利は、馬子の指示で第一軍の方へ付き従うこととなった。付き従うといっても武器を持ち運ぶだけなのだが、やはり緊張した空気はヒリヒリと肌を焼く。居心地が悪い中で、置いていかれないようにすることがやっとだった。


 第一軍は朝日が昇らぬうちに二上山ふたがみやまの北側にある逢坂おうさかを通り、物部軍が待つ河内かわちへと向かった。昨日も通った山道を進み、途中、第一軍の陣営のところで隊列から離れる。そこで待機して弓矢などをまとめつつ、止利は暇を見つけてはノミを手にした。

 昨日完成させた四天王像は二つ。いつ終わるかも分からない戦ゆえに、なるべく早く完成させて厩戸に手渡したかった。少々荒さは目立つものの、それなりに形には成っていると思う。やはり顔の造形に納得がいかないのだが、そこは実力不足という他なかった。


 やっと三つ目の仏像を彫り終えた頃だっただろうか。やはり、今日も昼過ぎには隊列が戻ってきた。昨日よりも損傷が激しいようで、一気に血の香りが立ち込める。列の真ん中にいた竹田たけだなど泣いていた。難波なにわに理由を聞けば、目の前で人が果てる様を見てしまったのだという。幸い怪我はないようだが、身体に傷がないからといって喜ぶ気持ちにもなれなかった。

 馬に乗ったままの泊瀬部はつせべも放心しているようで、ケロリとして見えるのは春日かすがただ一人であった。相変わらずシャンと背筋を伸ばしている様子に尊敬と違和感を抱きつつ、河勝かわかつに呼ばれたのでそちらへと向かう。

「ちょっとこれ見てくれる?」

 河勝が手渡してきたのは一本の矢であった。弓矢ならば鍛冶部かぬちべ弓削部ゆげべの方が詳しいだろう。なぜ鞍作部くらつくりべの自分に寄こしたのか理解に苦しむが、彼らの作業場に出入りすることも多いのでとりあえずは受け取ってみた。

 ぱっと見るに何の変哲もない矢だった。鍛冶部などが作っているものと変わりない。河勝が何を言いたいのか検討もつかないが、自分に渡してきたということは何か意図があるのだろう。それを見つけてやりたいという矜恃でもって、隅々まで眺め倒す。

「あっ」

 矢を縦にした時、やっと違和感に気がついた。矢には、真っ直ぐに飛ぶように必ず羽根がついている。現代では三枚が主流だが、当時は二枚のみであった。しかし今も昔も変わらず、矢の羽根というのは向きが揃えてある。鳥の羽根の表と裏、つまりはしなりの向きを揃えているのだ。

 しかし、止利が今手にしているものは、向きがちぐはぐになっている。これでは矢の回転が妨げられ、真っ直ぐ飛ばすのは難しいだろう。

 それを伝えると、河勝は「ご名答」と嬉しそうに笑った。

「さすがは止利くん。やっぱり観察眼はあるね」

「うーん、褒めていただけるのは嬉しいのですが、何でこんなもの持ってるんですか?」

「実は、少し前に物部方へ武器を送ったんだよね」

「ええ!? 何で敵に武器を······」

「そこがミソなわけさ。弓や剣にも、こんな感じで細かい細工がしてあってね。それを物部に使わせて爪の先くらいでも動揺させられれば本望なわけ」

 またこの男は大胆なことをする。しかし、物部は物部で武器を仕入れる伝手などあるのだろう。わざわざこちらが提供した武器を使うなど考えられるだろうか。

「まあ、もちろんそう簡単には行かないさ。物部には専属と言っていいほどの鍛冶部たちがいる」

 心を読んだかのような言葉にドキリとする。しかし、続けられた言葉はそれ以上に止利の目を丸くさせた。

「それで、その鍛冶部たちを裏で買ったわけ」

「は?」

 勢いよく顔をあげれば、到底二十歳前後とは思えないような笑みが目に入る。

「買った······とは」

「文字通りだよ。物でつったの。僕が直接売った武器なんか、怪しくて使うわけないでしょ? だからこそ、物部は自分たちの下にいる鍛冶部たちをより重宝するようになると思ってね。そもそも、僕は商人として独り立ちしたいわけじゃないからね。なのにこれまで商売特化で活動してきたのはこのためだよ。物さえたくさんあれば、囮の分まで用意出来る」

「で、でも戦になることがそんなに前から分かるなんて······」

「戦になると確信していようがいまいが同じだよ。皆が欲しがるものは必ず役に立つ時が来る。どんな時代になろうとも、絶対物につられる人ってのはいるはずだからね。だから良い物を揃えておいて損は無いのさ」

 かつて厩戸の父が即位した際、一人だけ次の大王に目を向けていた男がいた。それがこの河勝だったと思い出し、薄い瞼の奥の瞳が少々恐ろしくなる。

「物部が物部のための品部を従えているからこそ、彼らさえ味方につけてしまえば細工のされた武器は物部だけに向かう。蘇我や大伴おおとも巨勢こせには基本的に入ってこない。下の人々にとっては生活出来ることこそ命なんだよ。自分の衣食住を保証してくれるのならば、別に物部が勝とうが蘇我が勝とうが同じさ」

 なるほど。この世には流れというものがある。止利は河勝と関わることで、初めてそれに気がついた。

 今までの自分が見てきた作業場の流れとは規模が違う。とてつもない人や物が大河のように流れては渦を巻くように戻ってくる。その速さも大きさもまちまちだが、全てがどこかで繋がっているのかもしれない。まだはっきりと理解出来るほどの知識も経験もないが、何となく、そんなことが頭をよぎった。

「でも、何故そこまでするのですか? 貴方が動くのには何か理由があるのでしょう」

 止利は一番知りたかったことを問いかけた。河勝は、若いながらに行こうとすべき場所が決まっているようにも見える。しかし今の止利からすれば、ほんの少しの利益のために、リスクの高い賭けに出ているようにしか見えなかった。

「······さぁね。きっとそのうち分かるよ。いや、分かってもらえるような結果を出して見せたい、の方が正しいかな」

 河勝は珍しく年相応の青い笑顔を見せる。

「そのためには蘇我に勝ってもらいたい。僕は期待してるんだ。大臣にも、皇子さまにも、君にも。今回の矢の件で止利くんの観察眼はよく分かった。君の才能を知れて良かったよ。ただ、やっぱり物部は桁違いに強いね。せめて明日のうちには決着をつけないと危ないかもしれない」

 河勝は止利から矢を返してもらうと、くしゃりと頭を撫でてきた。

「今から僕と一緒に第二軍の大伴や平群へぐりに弓矢を届けて欲しい。出来るかい? 戦場に一番近い道を通ることになる」

「僕が······ですか?」

「そう。今来てくれてる品部の中で、一番第二軍に近い場所にいるのが君なんだ。何かあれば全力で守るよ。どうだろう」

 また突然とんでもない役を任された。河勝がついているならば幾分か安心出来るものの、わざわざ見たことも無い戦に近づくなど恐ろしい。どれほどの矢が降ってくるのだろう。どれほどの屍が積まれているのだろう。想像するだけでも吐き気がするようで、上手く返事が出来なかった。

 しかしその時、視界の端に皇子たちの姿が見えた。人の死を引きずっている様子の竹田に対し、難波が慰めようと背中をさすっている。

 そうだ。皆が戦に立ち向かっているのだ。ふと、その意識が蘇る。

 きっと、本当に乗り越えなければならない壁は物部ではない。物部にとっても、蘇我にとっても、最大の敵はこの戦なのだ。

 それに気づいた時、止利の答えは決まった。まだ膝が震えるような心地がするものの、はっきりと顔を上げて河勝の目を見据えてみせた。

「やります。その仕事、僕にさせてください」

 河勝は一度だけ柔らかに眉を下げる。しかし、すぐに見慣れた胡散臭い笑みを浮かべると、「さすがは止利くん! 惚れ直したよ」とカラカラ愉快に笑い出した。












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