理想


 その夜、河勝に言われた通り、大雑把な人型に彫った白膠木ぬるでの枝四本を持って厩戸のもとを訪ねた。

 本陣にほど近い屋敷へ向かえば、負傷した兵たちの呻きが耳に刺さる。血なまぐさい響きに目を閉じるようにして、止利は門をくぐり抜けた。


 皇子みこたちへ用意された部屋へ向かえば、難波なにわ春日かすがが一番にこちらを向いた。似てないといえども兄弟なのか、ほぼ同時のことであった。

 しかし、止利が驚いたのはそこではない。二人の奥に座っている厩戸が珍しく落ちこんだ様子であったのだ。

「おお、止利! お前も来てたのか」

 難波が些か顔を明るくする。しかしすぐに快活な眉は下げられてしまった。

「怪我とかしてないか?」

「はい、私は戦場へは行っていませんので······」

「そうか、それなら良かった」

 難波はほっとしたように笑う。優しい眦に心が締め付けられるのもつかの間、春日が「で?」と茨のような視線を向けてきた。

「何か用か?」

「あ、いえ。それがその······河勝殿に言われまして。これを厩戸皇子さまに見せてやれと」

 春日の視線に尻込みしつつ、おずおずと白膠木を差し出す。厩戸はゆったりと視線をあげると、「河勝から?」と首をひねった。

「何やら人型に彫っておけと言われまして······」

「ほう、河勝はまたおかしなことを」

「何だか仏像みたいだな。そういや止利は仏師になるんだっけか?」

「いえ、その······まだハッキリとは決まっておらぬのです。自分の心が追いつかず······」

 難波の質問に苦笑を返す。父の多須奈たすなに教えを乞いながら仏像に挑戦したものの、どうも顔が上手く彫れないのだ。未だに、自分は一介の鞍作部だという意識が、溶けきらない飴のようにこびり付いている。

 曖昧な返事をしたまま黙っていた止利であったが、難波がそれ以上追及してくることもなかった。ただ厩戸が長い睫毛を伏せるようにして、静かに歪な人形に視線を落としている。

「······ふふ、四つ用意させたということは四天王でも彫らせるつもりでしょうかね」

「四天王というと、以前皇子さまに教えて頂きましたね。確か、仏法を守る神様たちでしたっけ」

「まあそのようなものですね。いかにも河勝らしい。御守りにでもさせる気でしょうか」

 厩戸はくすりと笑ってみせる。しかし、やはり心が離れているようなうら寂しい笑みで、止利は無意識にも目が離せなくなる。

「いくら四天王にすがれども、全ての民を護るなど無理なのでしょうかね」

「······ん?」

「この戦のことですよ。難波皇子さまも見たでしょう。集められた雑兵たちには何の罪もないんです。友人や親戚が敵方にいるなんてこともザラでしょう。そもそも何のための戦なのか、それを考えると物部もののべ蘇我そががおかしいのでは無いでしょうか。次の大王おおきみなど年齢順に決めてしまえばいいのです。己の利益は考えずに、決まった大王に忠誠を尽くせばいい。それでは国は回らないのでしょうか······。私にはまだ分かりません」

 難波は声を失った。止利も視線をさ迷わせながら俯いてしまう。

 昼下がりに見た赤檮いちいの顔······肌にまとわりついていた紅の粒と、切ったのは雑兵だけだという言葉。それがふと脳裏によぎり、心の奥を締めつける。

 厩戸は皆の無事を望んでいた。皇子たちだけを心配していた止利とは違い、将軍も、雑兵も、この付近に住む人々のことも······全てを傷つけたくないと望んでいた。それがまだ年若い厩戸の心の叫びなのだと気づき、同時に、心の内をここまで赤裸々に述べられたのは初めてかもしれないと気づき、何とも言い難いもやが身体に纏わりついた。

 物音一つ立たない静寂だけが過ぎてゆく。しかし、しばらくして重苦しいため息が落ちた。

「それが出来ないからこうなってんだろ。自分の得にならない人のために、命を賭けられるほど人間は優しくない」

 春の夜風のような声に驚いて顔を上げる。相変わらず涼やかな視線を落としたまま、厩戸に声をかけたのは意外にも春日であった。











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