狼煙


 翌朝、日の出とともに蘇我・物部両軍の前線がぶつかった。遠く木々の向こうに立ち上る煙を見て河勝が眩しそうに目を細める。

「始まったね」

「あの煙は?」

狼煙のろしだよ。前線がぶつかったら教えてって赤檮いちいくんに頼んでたんだ」

 細く青く光る煙に、止利は持っていた矢をギュッと握る。既に豪族たちや皇子たちは戦場へ赴いている。昨日震えていた竹田の手をふと思い出し、ただ無事であることだけを祈った。

 河勝はこちらへの指示を終わらせると、自分の武器をまとめて皆が向かった方角へと背をかき消した。

 それを眺めていると、従兄弟の福利ふくりがやって来る。

「河勝殿から渡された木簡は全部読めたよ。今から武器の仕分けしたいんだけどいい?」

「······うん、ありがと」

 文字による指示に対応するため、福利も止利と同じ役目に抜擢されていた。二人で各豪族へ提供する武器の数を確認しようと、戦場から少し離れた特設の作業場へ移る。

 戦場の様子は気になるものの、止利のような非戦闘員がのこのこ立ち入れるわけもない。······いや、わざわざ命が脅かされる戦場になど、本当は行きたくはないのだ。しかし、危うい場面に立ち会っているだろう皇子たちのことは、見に行ってしまいたいと思うほどに気にかかった。


 ちょうど、昼をすぎた頃だろうか。昇った朝日が沈む間もなく、山の小道がザワザワと揺れ始めた。

 舞う土埃と生々しい鉄錆びた香りが徐々にこちらへ近づき、朝方の隊列が帰ってきたのが分かった。

 思いの他早い帰着に、勝ったのかと喜びそうになる。しかし赤黒い筋を流し、馬や仲間に担がれた兵士たちの姿を見て早とちりも塵と化した。

 ほつれ、土に塗れた髪。破れた衣服から覗く抉れた手足。生気のない兵士たちの隊列は、てんでこの世のものとは思えなかった。

 どうやら物部軍の勢いに押されて一時的に戻ってきたらしい。行きの時よりも、人数も統率感もない隊列の中央に馬子の姿が見えた。続けて見えたのは皇子たちの顔で、止利は思わず駆け寄りそうになる。しかし、どうにか足を踏み止めると、頭の数を数えた。

 難波なにわ春日かすが泊瀬部はつせべ竹田たけだ、そして厩戸うまやと······。うん、全員いる。二度も三度も数えたが、誰ひとりとして欠けていなかった。そのことに幾分か安堵し、足から力が抜けそうになる。先頭にいた難波が止利に気づいたようで、どこか寂しげな笑顔で片手を上げた。

「ただいま止利くん」

 続けて河勝も帰ってくる。一足遅く出ていったからか、衣服にも肌にもシミひとつ着いていなかった。恐らく皇子の護衛をしていたのだろう。やはり皇子も参加するとはいえ、目的はあくまで旗印。彼らが危険な目にあうなどそうそうないのかもしれない。

 そんなことを呑気に考えていたが、最後に現れた赤檮を見てギョッとする。遠目からでも分かるほどに、あちこちが赤黒く染まっていた。

「わぉ······赤檮くん大活躍だね······」

 河勝が少々引いた様子で口に手を当てる。初めは怪我をしたのかと思って心配したが、近づいてきた赤檮をよく見てみれば、布も肌も切れた様子がない。どうやら身に纏う紅は全て返り血であるようだった。

 赤檮は不満そうに河勝の反応を見ると、「別に」と口を尖らせる。

「俺が切ったのは全部雑兵だよ。肝心の上のやつらには出会ってすらねぇ。こんなんじゃかき集められた民ばっかりいなくなる始末だ。俺は納得出来ねぇ」

 地面に下ろされた赤檮の視線が心に刺さる。そうか······そういうものなのか。改めて、これは蘇我と物部の問題だけでは無いのだと思い知らされた。

 皇子たちが無事だったというだけで、すっかり安堵していた自分が浅ましい。視界の端を掠める雑兵たちの遺体が、妙に意識の隙間に入り込んできて思わず目を伏せた。怪我をしたわけでもないのに、身体や頭がキリキリと痛んで仕方がなかった。

 それは、その夜に訪ねた厩戸も同じようだった。










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