白膠木


 山鳴りがした。どおん、どおんと何かを訴えかけるように、木の葉のさざめきを呼び起こす。

 物部の本拠地・渋川へと向かう隊列は、不気味な響きにパラパラと空を仰いだ。木々の合間に見えるのは果てしない晴天で、まるで血の色を知らぬ様子である。しかし土を巻き上げる蹄の鳴りが、日を受ける鎧の光沢が、確かに戦の気配を浮かび上がらせていた。


 止利は主戦場近くで物資管理をするため、列の中央付近にて兵に付き従っている。そこに御座すのは旗印たる皇子たちだ。前線を担う兵と殿をつとめる兵に守られ、皆が鉄製の鎧に身を包んでいた。やはり皇子となれば保身が第一なのだろう。兵ですらない止利など鎧の一つも身にまとっていない。

「大丈夫でしょうか」

「······怖いか?」

 止利のすぐ前を行く竹田と難波の会話が耳に入る。竹田はまだ十四ということもあり、馬の手綱を握る手が些か震えているようだった。

「物部は強いからなぁ」

 難波がため息をつくように言う。

 そうなのだ。物部はこの国の軍事を司る氏族である。戦に不慣れな蘇我と、戦に長けた物部。しかも主戦場が物部の本拠地に近いとあっては、こちらが不利であることなど明白だった。戦慣れした大伴おおともの者たちが蘇我についてくれたことは心強いが、やはり物部相手となると油断など一切許されない。緊迫した空気が肌を刺すようで、皆が苦い顔をしていた。

「そもそも意味あるのか? この戦」

 そう気だるげに悪態をついたのは難波の弟である春日だった。止利が彼を見るのは先の大王の葬儀の日以来だ。今回がたったの二度目である。あの時も難波とは顔つきが違うなと感じていたが、やはり口調も表情もまるで真反対で、本当に兄弟なのか疑いたくなった。

 何より、彼に対する周りの反応が引っかかる。春日が戦に参加すると言い出した時、周りの皇子たちも豪族たちもざわりとどよめいた。皆が口を揃えて言ったのは、「まさか春日皇子さまが参加されるとは······」の一言だ。誰もが春日は来ないと思っていたらしい。

 きっと、それが彼の性格を表しているのだろう。何も知らない止利が決められることではないが、確かに春日の名を飛鳥の周辺で聞いたことはない。よほどこちらの動乱に巻き込まれたくないとみた。だからこそ、何故彼がこの戦に出たのか気になって仕方がなかった。


 うんうん考え込んでいると、ふと隊列が止まる。どうやら今日留まる地に着いたようだった。開戦は明日の日の出だと聞いている。今日はゆっくり休み、作戦を練る他ない。

「止利くーん」

 突然名前を呼ばれたので振り返る。こちらへにこにこ近寄ってきたのは秦河勝はたのかわかつだった。

大臣おおおみから聞いたよ。物資調達してくれるんだって?」

「ええ、僕なんかでいいのかなとは思うのですが······」

「あっはっは、多分君なら大丈夫さ。それに福利ふくりくんもいるんでしょ?」

「えっ、福利さんのことご存知なんですか?」

「存じるもなにも、彼の馬具使ってるの僕だよ」

 意外な繋がりに飛び上がりそうになった。福利のお得意先とは河勝のことだったのか。

「じゃあ福利さんに字を教えてるのも······」

「うん、僕だね。彼勉強したそうだったからさ。馬具を作ってもらう代わりに書き言葉教えてるの」

「しかし何故品部の僕たちに文字を······」

「知ってて損はないでしょ? 渡来して来る人達は文字知ってたりもするんだからさ。それに、意外なところで将来役に立つかもしれない。ほら、それこそ今回みたいにね」

 まあ河勝なら品部に文字を教えることも難なく承諾してしまいそうだ。大陸との繋がりが深いようなので、文字というものの大切さはよく分かっているのだろう。相変わらず呑気な河勝を見て、ほんの少しだけ緊張感が薄れた気がした。

「それでね、止利くんに頼みたいことがあるんだけど」

「はい」

「あそこにある木、分かる?」

 河勝はそう言って斜め前方の斜面を指さした。そこに生えているのは、少々灰っぽい幹をした何処にでもある木だった。悠々と茂る葉の中に、いくらか白い花が咲き始めている。

「······あの漆のような木ですか?」

「そうそう、白膠木ぬるでっていうの」

 そこまで言うと、彼はちょいちょいっと止利のことを手で呼んだ。素直について行けば、腰に下げていた剣を抜き出して樹皮に傷をつける。

「これ触ると稀にかぶれることがあるんだ。止利くんこういうの耐性ある?」

「まあ······漆などは触れます」

「うん、じゃあ大丈夫かな。ちょっと待ってて」

 河勝はそう言うと、己の剣を白膠木めがけて振り下ろす。ザシュッと小気味よい音を立てると、腕ほどの太さはある枝が、目の前を掠めて転がった。

「あげる」

「······はい?」

「この白膠木、厩戸皇子さまのご所望品さ。でも君にあげるよ」

 また訳の分からぬことを言う。

「この枝を四つに分けて、ある程度人型に彫っておいて。それを持って、明日の夜、厩戸皇子さまのところを訪ねなさい」

 ゴロリと腕の中に転がされた枝は、両手で抱えるのがやっとだった。一体何を言われているのか分からぬまま、止利は開いた口を閉じられずにいる。しかしあれやそれやと聞く間もなく、河勝は皇子たちを誘導しながら即席の本陣へと移動してしまった。

「彫れって言われても······」

 止利はほとほと途方に暮れた。あまりにも唐突な出来事に頭が追いつかない。しかし、河勝の頼みを無下にすることなど出来ず、腕を蝕むような枝を抱えて自分の持ち場へ移動せざるを得なかった。











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