仲間


「······お前、皇子さまのこと好きか?」

 赤檮が唐突に問いかけてくる。やはり幼い子供の疑問のように、真っ直ぐ素直な言葉だと思った。

 止利は揺らぎのない声を受け止めると、「はい、好きです」と答えてみせる。

「どんなところが?」

「······僕のような、身分も知識もない下っ端にも、優しく接してくださるところです」

 赤檮は視線をやわらげて黙り込んだ。彼の握る剣がキラキラと朝日を跳ね返す。七色に染る東の空は、羽衣のように美しかった。

「俺も」

 赤檮がぽつりと呟いた。柔らかな響きは親を想う子のようにあどけなかった。

「俺も厩戸皇子さまなら仕えてみようと思った。初めは嫌だった。彦人皇子さまだけが、俺の主人だったから」

 幼さに混じった寂しさは、故郷を想う時のそれによく似ている。赤檮は小さく息を吐くと、煌めく剣を鞘におさめた。

「お前、鞍作部だったな」

「はい」

「実は、俺も品部になろうとした時期があった」

 止利は驚いて顔を上げた。自分とは似ても似つかぬ体格の持ち主が、同じ品部になりたがっていたとはどういうことか。赤檮のような腕があれば、いくらでも偉い人の護衛になれるだろうに。

「前に仕えてた中くらいの豪族が落ちぶれてな。クビになったから拾ってもらおうとしたんだ。でも俺不器用だから怒られてばっかで、ムカついたからやめてやった。そこを助けてくれたのが彦人さまだった」

 思わずぱちぱちと瞬きをする。赤檮は己の無力さや浅はかさを隠すように視線を逸らすと、「お前はいいよな」と恥じらいながら口を曲げた。

「お前みたいに器用だったらどこへでも行けるさ。何やっても上手くいくんだろ?」

 止利はいよいよ目を丸くした。まさか羨望されていたのか? ほとんど話したことの無い彼に、非力な自分とはかけ離れているはずの彼に、この自分が羨まれていたのか? 全く予想もしていなかったその事実に、心の奥がくらりと揺らめいた気がした。

 止利とて少しの憧れがあったのだ。恐怖を抱かせるほどの赤檮の体躯は、他人より頭一つ分抜きん出ている。小柄な自分では到底守ることが出来ないものを、彼は強い剣をもって守ることが出来る。中臣勝海なかとみのかつみを暗殺した時がそうだったではないか。それゆえに、心の隅の奥底で止利も赤檮を羨んでいた。そのことに今初めて気がついた。

「僕も······同じです。強い赤檮さんが羨ましい。僕ではきっと無理です、皇子さまを守るなど」

 心の内をさらけ出した。今気づいたばかりの羨望を、訥々と真っ直ぐ赤檮に告げる。彼も驚いたようだった。鋭く細い瞳を大きく見開き、静かに止利を見つめている。

「た、確かに身体が大きいので少し怖いですけど、でも、彦人皇子さまを守り切った赤檮さんは悪い人じゃないって、僕にはないものを持っている凄い人なんだって、そう思うんです。だから気になったのです。どうして彦人皇子さまは、自慢とまで言っていた赤檮さんを手放したのか······。僕は厩戸皇子さまが好きですから、きっと同じ立場だったら命令されても離れたくない。赤檮さんは、寂しくないのですか?」

 赤檮は痛いところをつかれたような顔をした。しかし一度ケッと横を向くと、「寂しくなんかねえよ」と眉を寄せる。

「俺は彦人さまを信頼してる。彦人さまは厩戸皇子を信頼してる。だから厩戸皇子を守るために俺がここへ来た。彦人さまの命令に逆らうわけないだろ。俺は一番の従者なんだから」

 言い訳をする子供のようだった。言葉とは裏腹に、彼は未だに彦人の元を訪ねている様子。しかし声音に表れる忠義と親愛が、彼を厩戸の元へ導いたのは確かなようだった。

「ふふ、赤檮さんは彦人皇子さまのことをよっぽど好いておられるのですね」

 彼は「ああ······」と言いかけたが慌ててこちらへ顔を向ける。そして「馬鹿っ! そんなんじゃねえよ」と強がりにしか聞こえぬ言葉を吐いて睨みつけてきた。

 瞳は相変わらず鋭いが、日に焼けた頬が赤みがかっている気がした。しかしそれを指摘すればまた怒るだろうから、赤々と照り始めた朝日のせいにしてやった。

「赤檮さんならきっと彦人皇子さまのことも、厩戸皇子さまのことも、お守りできますよ」

 止利はまだ熱の冷めやらぬ赤檮を見上げると、にこりと朝日を背負って笑ってみせる。

「僕には厩戸皇子さまの良いところをお教えするくらいしか出来ませんが、それも皇子さまと関わっていくうちに分かるはずです。皇子さまも貴方を歓迎致しましょう」

 赤檮は不意をつかれたようだった。しばらく眉を曲げたままきょとんとしていたが、「お、おう」とだけ返してそっぽを向く。大方また照れたのだろう。思いの他子供っぽい彼を見て、やはり彦人は赤檮を可愛がっていたのだろうなと思う。全てが一致するのだ。今目の前にいる赤檮と、彦人が語った赤檮の姿が······。彦人が赤檮をここへ送り込んだのは本当に厩戸を守るためだけなのだろうか。真意は分からないが、ひとまずは赤檮と友達になってみたいと思った。時たま恐ろしい顔をするが、やはり彼は心優しい。

「これからどうなるか分かりませんけれど、皆で仲良く一緒に過ごせれば良いですね。蘇我も物部も関係なく、彦人さまたちも交えて」

 理想に過ぎぬことは止利とて分かっていたが、これほどまでに綺麗な朝日の中なのだから、希望くらい抱いても良いと思った。やっと赤檮が仲間になったと実感したのだ。これまでは距離を測りかねていたが、もう怖くも気まずくもなんともない。止利の社交性ゆえの部分もあるが、品部の世界だけでは分からなかった飛鳥の賑やかさが身に染みた。だからこそ、新たな門出をきった赤檮を皆で祝いたいと思った。

「あれ、皆さんお早いですね」

 ふと、馬の世話を終えてきたらしい調子麻呂が現れた。距離の縮まった止利と赤檮を不思議そうに見つめていたが、「せっかくなので一服どうですか? 赤檮にも朝の挨拶をしたい、と皇子さまが探しておられましたよ?」と柔らかく笑う。

「ほら! 行きましょう赤檮さん!」

 止利は手の平に収まりきらぬほどに太い赤檮の腕を掴んだ。それを無理やり引っ張ると、調子麻呂の方へ駆けてゆく。

「おい待て引っ張るな!」

 転びかけながらも赤檮が素直についてくる。やはり犬のような男だと思った。

 ほんの少しの騒がしさと共に、また新たな飛鳥の一日が始まった。
















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